結局、親父は僕に無視されたのがよっぽどお気に召さなかったのか、地下に降りる前に僕の部屋の前までやってきてなんだがごちゃごちゃ言っていたが。
 しばらくしたら神巫ハルカがやってきたらしい気配がして、「全く、シノさんってば俺がいるのに、桃ちゃん桃ちゃんなんだから〜」なんて言いながら、巨大な駄々っ子を連れ去ってくれた。
 親父の愛人達に僕はなんの興味もないし、むしろあんな手間の掛かるトラブルメーカーのどこがイイのか? と彼らの精神を疑いたくなるが。
 だがその反面、親父の気を惹きたくて日夜努力しているあの連中のお陰で、僕の静かな時間が確保されている事実も判っているから、そういう意味では彼らの努力を僕は高く評価している。
 ゼミに行くのを中止したので、親父にちょっかい出される前にこれからの授業は全てキャンセルにして、僕は参考書とドリルを広げて、時々気晴らしにネットサーフィンなんかしていた。
 時計が11時をちょっと回った頃、玄関チャイムの鳴る音がする。
 玄関には隠しカメラが備えてあって、僕の部屋のパソコンにも回線が繋いである。

「はい?」
「こんにちわ、中師です」
「敬一さん、お久しぶりです!」

 僕は二階から駆け下りて、玄関の施錠を外した。

「やあ、桃太郎くん。元気だったかい?」

 現役の大学生で、K大のバスケ部のキャプテンをしている…という敬一さんは、筋肉がバッチリ付いた均整の取れた体格をしているけれど、性格はどちらかというと穏やかで口調も態度も礼儀正しい。
 日に焼けた健康的な褐色の肌に、ちょっと日本人離れした彫りの深い顔立ちをしている。

「じゃあ、僕の部屋にどうぞ」
「えっ? お父さん、いらっしゃるんだろう? 挨拶してくるよ」
「いいですよ、あんな親父になんか」
「ダメだよ、そんな風に言っちゃ。それに桃くんは構わないかもしれないけれど、そんな事をしたら俺が礼儀知らずだと思われてしまうじゃないか」

 ちょっと色素の薄い琥珀色の瞳は穏やかに微笑みかけてくれていたけれど、口調はきっちり僕を窘めている。

「そうですか…。…父さんは、地下のスタジオにいるから、呼んできましょうか?」
「いや、呼び出すのは悪いから…」

 敬一さんは靴を脱ぐと、そのまま真っ直ぐ地下のスタジオに降りていった。
 僕は敬一さんの後に付いて行ったけど中には入らずに、ドアを薄く開けて中の様子を立ち聞きする。

「おはようございます。またしばらくお世話になります」
「あ、敬ちゃん。遅かったねぇ? 中師サンは朝一で敬ちゃん来るようなコト言ってたけど?」
「余所のお宅に伺うのに、そんなに早くから来ても迷惑でしょう?」
「ぜ〜んぜん! ちゅーかむしろ、俺は敬ちゃんにウチに住んで貰いたいくらいだよ!」

 全く、本気かよ、あのバカ親父!
「そういう事なら、明日は9時頃にお伺いしますけど。……でも、一緒に住むのはちょっと……」

 唐突な親父の発言に、敬一さんは戸惑ったような返事をした。

「やっだなー! ジョーダンに決まってンじゃん! ちゅーかそんなの、中師サンが許可してくれないよ! 敬ちゃんは中師サンのご自慢の息子だもん!」
「お義父さんには、本当に良くしてもらってます」
「そーだよなぁ! あ、そんならいっそ中師サン家に俺と桃ちゃんがイソウロウしちゃおっかなぁ〜!」
「…あの……東雲さん?」
「ジョーダンだって!」

 あはははは! とか笑っている親父を、なんだか不満そうに神巫ハルカがつついたらしく、親父の笑いは途中から「いていていててて」とかいう悲鳴に変わった。

「じゃあ、桃ちゃんのコトよろしくね。あと、お昼なんだけどさぁ、家政婦いないから桃ちゃんになんか作ってやってくんない? 俺とハルカは、昼前にココ切り上げて午後からいないから」
「え? 家政婦さん、また辞めちゃったんですか?」
「ん〜? 今回は辞めたんじゃなくて辞めさせたの。も〜、ホンットまいっちゃうよね〜。中師サンが敬ちゃんは料理上手だって絶賛してたけど、ホントなの?」
「いや、あの〜。絶賛されるようなモンじゃないですよ。普通にちょっと食えるモンが作れるだけで」
「桃ちゃんもアレで結構ヤルから、二人でテキトーにやってよ」
「分かりました」
「桃ちゃんさぁ、敬ちゃん来るのスゲー楽しみにしてたンだぜ! 中学受験の時に敬ちゃんに見てもらって、そのあと敬ちゃんが来なくなってからずっと拗ねてたンだ! 桃ちゃんは兄弟とかいないし、ウチの事情が事情だからあんまり友達付き合いとかも出来ないからさぁ…………」

 僕がドア越しに立ち聞きしているのを知らずにいるのか、はたまた知っててワザとそんな話を始めたのか?
 親父の真意は解らないけれど、途中から僕はメチャクチャ恥ずかしくなってきてしまって慌てて二階の自室に駆け戻った。
 敬一さんに、あんな話するコト無いじゃないか!
 ヒデー親父だっ!
 部屋でしばらく待っていると、敬一さんが戻ってきた。

「敬一さん、親父になんか言われたの?」
「いや、別に普通に挨拶してきただけだよ?」
「どうせまた、超! 身勝手発言連発だったんでしょ? あのバカ親父」
「そんな風に言っちゃいけないな。東雲さんは桃太郎くんの事を一番に考えてくれているんだし」
「余計なお世話だよ」

 そっぽを向いた僕に、敬一さんは諦めたみたいに溜息を吐く。
 でも、敬一さんの溜息を訊いたら、なんだか急に自分がモノスゴク子供っぽい態度を取ったような気になって僕は慌てて振り返った。

「あのさ、僕ここがどうしても良く解らなくて。ネットで調べてみたんだけど、なんかやっぱり分かんないんだ。敬一さん、解るかなぁ?」
「ん? どこだ?」

 僕が差し出した参考書を受け取り、敬一さんは僕の疑問にすらすら答えてくれた。