イタリア車の助手席にエスコートされた敬一さんに、ゼンイン涼介はその時キスをしたのだ。
 それを、敬一さんが嫌がったり振り払ったりしていたら、僕だって別になんてコトもなかった。
 ゼンイン涼介や橘イオリが、親父と同類の変態だってだけだ。
 でも。
 そうしてキスを仕掛けたゼンイン涼介に対して、敬一さんは頬を染めつつ特に抵抗らしい抵抗もしなかった。
 場所が場所だったから、応じなかった……だけに見えた。
 庭のプールの横にあるブランコに乗った親父は、ブラブラ揺れながら低い声でエルヴィス・プレスリーの「好きにならずにいられない」を歌っている。
 そのブランコは僕が小さい時に、親父が一緒に乗れるようにと言ってやたらデカイサイズのを買ってきて、プールの横にある芝の上に置いた物だ。
 僕は芝の上に座って、雷も雨も上がった空を見上げていた。

「敬一さん、僕に橘サンは恋人なんかじゃないって言ったのに………」
「そりゃそうだよ。敬ちゃんは恐竜並みに神経ニブチンだから、自分が男と付き合ってる…なんて思ってないに決まってンじゃん!」
「じゃあ、どうしてそんな人とキスなんてするの?!」
「好きだからジャン」
「そんなの、変だよ!」
「ん〜、桃ちゃんの歳じゃあ、なんかそーいうのは誠実さに欠けるとか、感じちゃうかもしんないけどさ〜。でも、敬ちゃんはパパみたく愛人が何人もいるってワケでもないんだしさ〜」
「…自覚あったの?」
「だってパパは汚れたオトナだし」
「ウソばっかり! ママと付き合う前からそんなだったって、多聞サン言ってたよ!」
「だってパパは早熟だったから、初体験だって中学上がる前だったし」
「それ、犯罪だよ!」
「自分で自分に責任が取れれば、いーんだよ」
「メッチャクチャなコトばっかり言って!」
「…イオリン、スゲー真面目に敬ちゃんにお付き合い申し込んで付き合ってるんだぜ? この間、中師サン所に挨拶に行ったらしいし」
「そしたら中師のオジサン、どうしたの?」
「どーしたもこーしたも、敬ちゃんの人生は敬ちゃんのモンだから、イオリンと付き合うのが敬ちゃん的に納得してるなら構わないんじゃないの? つってたよ。どうせ元々、自分は結婚もしないでフラフラしてるよーなオッサンだもん、跡継ぎがどうのとかって言える筋合いもないジャン」
「中師のオジサン、自分が引き取った息子同様の人がホモになっちゃってもいいの!」

 振り返って問い掛けた僕に、親父は少しきまりの悪そうな顔をしてしばし無言だった。

「………まさか………」
「桃ちゃん生まれるずっと前の話だし……………」
「中師のオジサン、ホモなの!」
「どーかなぁ? オンナも抱いてたみたいだけど。………ほら、汚れたオトナの世界に生きてる、汚れたオトナだからさ〜、パパも中師サンも」
「じゃあ、中師のオジサンはむしろ敬一さんがホモになっちゃうの歓迎してる訳?」
「別に賛成も反対も無いし。…それにさぁ、桃ちゃん先刻からホモホモって言ってるけど、敬ちゃんとイオリンのチューを見て桃ちゃんがショックだった理由、ちゃんと判ってる?」

 親父はブランコから降りると、僕の正面に来てしゃがみ込み、僕の顔を正面からジイッと見つめてくる。

「敬一さんがホモに騙されてるから」
「違う、違う。…ダメだよ、現実から逃げちゃ」
「なんだよそれ?」
「敬ちゃんはニブチンだけど、真面目な性格だし。確かに世間知らずで騙されやすいかもしれないけど、モノスゴイ石頭のエゴイストなんだよ? 知ってる?」
「敬一さんのドコがエゴイストなんだよ?」
「桃ちゃん、敬ちゃんが試合してるの見たコトあるでしょ? ああいうタイプはねぇ、自分の目指している頂点に猪突猛進するから、自分の行く手を阻むような相手は容赦なくブッ飛ばすよ」
「それと橘サンと何の関係があるんだよ?」
「だからさ〜。敬ちゃんがオンナノヒトと結婚して家庭持ってって人生計画持ってたら、イオリンなんて鼻にも引っかけないちゅーの。敬ちゃんは恐竜みたいに無神経だけど、自我はモノスゴイからね。ってコトは、イオリンと付き合うコトに対して無意識のレベルではOKなのよ。それにさぁ、桃ちゃんだって敬ちゃんをステキだな〜って思ったんでしょ? みんな思うに決まってンじゃん! なのに敬ちゃん、イオリンとしか付き合ってないんだから、それだけでも既に敬ちゃんの気持ち判るでしょ?」
「バカ親父………」
「あ〜あ、桃ちゃんもついに反抗期と初恋の年頃か〜。桃ちゃんにも見せてあげたかったなぁ」

 親父は僕の隣に座り直すと、僕の頭に手を置いて、髪をクチャクチャにかき回すみたいに頭を撫で回した。

「親父の言うコトは、いつもメチャクチャだ」
「うん、みんなそー言うよ」
「子供扱いすんな」
「だって、桃ちゃんは俺の息子だもん」
「親父なんか、大嫌いだ」
「でもパパは桃ちゃんが大好きだから」

 僕は悔しくて。
 悔しくて、悔しくて、悔しくて。
 だから全部親父が悪い事にして、親父に文句を言い続けた。
 親父は、僕の頭をずっとグリグリかき回しながら、いつものように勝手な事ばっかり言っていた。