「いくらだった?」
「先に受け取ってください。精算はその後にしましょう」
ニコッと笑って橘イオリはチョコとバニラとミックスのソフトクリームを差し出してくる。
「そうだな」とか言って敬一さんはなにげなくチョコとミックスを受け取ると、なにげなく僕にミックスのソフトクリームを渡してくれた。
敬一さんはとりわけチョコレートが好きだし、両方の味をいっぺんに楽しめるミックスを僕にくれたのだ。
「プール帰りだから身体が冷えていて気温をさほどに感じてないが、やっぱり溶けるのが早いなぁ」
油断するとどんどん溶けてしまうから、歩きながら僕達は黙々とソフトクリームを食べた。
「敬一さん、こっちのヤツも美味いですよ」
そう言って、橘イオリは自分の食べていたバニラを差し出す。
「ん、そうか?」
僕はビックリしてしまったんだけど、敬一さんは差し出されたソフトクリームを受け取りもせずに、そのままパクンと一口食べた。
「ああ、うん。美味いな」
敬一さんはその後、自分のチョコを橘イオリに手渡して一口食べさせていたけど、僕が一番奇妙に思ったのは敬一さんが一口食べたバニラを橘イオリが心なし微笑みながら食べた事だ。
もっとも、橘イオリは常に穏やかに笑った顔をしているから、その時だけ特別笑ったのかどうかちょっと解らないけれど。
その時僕は、不意に色欲魔神な親父の台詞を思い出した。
慌てて頭の中で打ち消したけど、なんだか急にイヤな気分になってしまった。
そりゃ、敬一さんがまさかそんなふしだらなコトをしているワケ無いと思うけど。
でも橘イオリの立ち居振る舞いには、そんな様子が見て取れなくもない。
というか、橘イオリは僕にも親切に接してくれるけれど、それはあくまでも敬一さんの手前そうせざるを得なくてやってやってるだけ…ってニオイがして、こんな事はとてもじゃないけど敬一さんには言えないけど、実のところ僕はコイツがあんまり好きになれない。
敬一さんはべた褒めしているし、実際に敬一さんに対しては心底親切に振る舞っているようだから、敬一さんには僕のこの感じは解らないと思う。
このソフトクリームだって、最初に代金の受け渡しをしなかったから、てっきり橘イオリの奢りになるだろう。
神巫ハルカが査定した通り、敬一さんはちょっと天然気質みたいなところがあって、目標に向かってガツガツやっているときは猪突猛進だけど、日常では時に財布も持たずに買い物に出て精算の時になって初めて気付くみたいなコトを平気でやらかす。
逆に言えば橘イオリはそれを知っているから、先に代金を受け取らなかったのだ。
その橘イオリのカラクリが見えている僕は、なんとなく余計にムッとしているのかもしれない。
僕達が家の前に到着した時、ウチの前には丁度親父のポルシェ911が止まっていた。
「あ、桃ちゃんお帰り! パパも今帰ってきたトコなんだ〜。あれ? 敬ちゃんとイオリンも一緒?」
「すみません、今日はちょっと暑かったから渋谷のプールに涼みに行ってました」
車から降りた敬一さんは、そこで親父に「無断で連れ出して申し訳ありませんでした」とか言っている。
「そんなところで立ち話してないで、中に入ればいいじゃんか」
言ってから、なんかいやに不機嫌っぽい口調になったかな? と思ったけど。
「え? だってイオリン来てるから、敬ちゃんもう帰るよねェ?」
「あ、はい。今日はここで失礼させて貰います」
「うん、あんまりイオリン待たせても悪いからね。あ、じゃあ直ぐ車どかすよ」
なんて言って、いつもなら夕食まで敬一さんを引っ張る親父が、妙に素直に敬一さんを解放している。
なんかそれが余計に、僕を苛つかせた。
「いいじゃん。敬一さん、いつもみたいにご飯食べていけば…」
「う〜ん、そうもいかないよ。橘にも悪いから」
親父はサッサとポルシェ911を車庫に入れ、橘イオリは待ってましたとばかりに車をウチの前に詰めてくる。
それを見て敬一さんは親父に挨拶もソコソコに再びカイエンの助手席に乗り込んで、サッサと立ち去ってしまった。
「どうしたの? 桃ちゃん。中はいらないの?」
「いっつも迷惑なくらい敬一さん引き止めるのに、今日はどうしたのさ?」
イヤミ混じりに親父問うと、親父は一瞬呆けた顔をした後に奇妙な…というか、どちらかというと意地の悪い顔でニヤ〜っと笑った。
「桃ちゃん、男の嫉妬は格好悪いぞ」
「なんだよ、嫉妬って?」
「んも〜、桃ちゃんのおませさん! でもなぁ、桃ちゃんの初恋は相手が悪いなぁ」
「はぁ? 何寝ぼけてんの? ワルイクスリでも吸った?」
「え〜? 失敬しちゃうなぁ! パパは若い頃からワルイコトは色々やったけど、薬だけはやったコト無いよ〜?」
「そんだけ天然脳内麻薬が垂れ流し状態なら、わざわざ人工薬物投与する必要もないって?」
「やれやれ、今日の桃ちゃんは低気圧だね〜? いいから早く中はいりなよ。帰りにパパが天津楼で中華のテイクアウト買ってきてるから、それでお夕飯にしよう。ね?」
親父は僕を招き寄せて、なぜかいつもと違って僕の肩を軽く何度も叩くと、家の中に入るように促した。