「はい?」

 扉を開けて入ってきたのは、中師氏だ。

「どうしたんですか、お義父さん」
「うん。玄関の所にポールがあっただろう? サビてて邪魔なヤツ」
「ええ、ありましたね。以前になにかの支柱に使っていたヤツでしょう? アレがなにか?」
「ヒマだったから、引っこ抜いたんだけど」
「はい」
「ちょっと手元が滑って、指挟んじゃった」
「えええっ!」

 差し出された中師氏の手は、でっかい絆創膏が貼ってあって傷がどうなっているのかは全然解らない。

「大丈夫なんですか?」
「挟んだだけで、ちょっと血が出たぐらいだよ。ちゃんと消毒もしたから、そっちは別に問題ないんだけど。お昼の支度、敬一やってくれないかな? チャーハンにしようと思って先刻材料を買ってきたんだけど、この手で中華鍋を持つのはちょっとツライからね」
「そうですか。じゃあ、桃くん。そういう事なんで、ちょっと失礼するよ」
「え? あ、僕手伝いましょうか?」
「いや、桃くんはお客さんだし。直ぐ出来るから、待っててくれたまえ」

 って言われても、ここに中師氏と二人っきりで取り残されてもなぁ………。

「それにしても、桃くんももう受験するような年齢かぁ。余所の家の子供は成長するのが早いって言うけど、本当にそうだねぇ」

 そういって、中師氏はなにげなく敬一さんがいなくなった後の椅子に腰を降ろした。

「お父さんは、元気かい?」
「ピンピンしてますけど…。でも、中師サンと全然顔を会わさないんですか?」
「うん、会わさないよ。桃くんのお父さんはスタジオに籠もって創作するのが仕事だけど、私は桃くんのお父さんが創った音楽を、売るのが仕事だからねぇ。桃くんのお父さんがどんどん仕事するように、尻を叩くのは別の人の仕事だから、滅多に顔を合わせる事はないんだよ」
「尻を叩くのが仕事?」
「桃くんの家に出入りをしているサポートさん達とか、まわりのスタッフとかね。ああいう人達が忙しなく出入りしている家だから、桃くんもてっきりミュージシャンになると思っていたけど。敬一に聞いたら、天文学者になりたいんだって?」
「そりゃ、なれればなりたいですけど。でも、天文関係の仕事に就ければ、別に学者にならなくてもいいかなって」
「あっはっはっ、面白い事を言うね。でも、本当に学者になりたいなら、なにがなんでもやってやるって思ってなくちゃダメだろう?」
「そうかなぁ?」
「そうだね。それが証拠に、桃くんのお父さんは第一線で活動するミュージシャン以外の何にもなるつもりが無いって言い張って、ちゃんと今そういう風にしてるだろう?」
「他になりようがなかったんじゃないんですか?」
「手厳しいね」
「中師サンが販売用に作った「外側」だけを見てるリスナーと違って、裏も中も見ちゃってますから」
「それでも、桃くんの知らないお父さんはいるねぇ」
「どういう意味ですか?」
「うん? だからつまり、私が知ってる桃くんのお父さんと、桃くんの知ってる桃くんのお父さんは、ちょっと違うって事だねぇ。私は、桃くんの知ってる桃くんのお父さんは、見た事がないから」

 なんだか、言われている事が微妙に理解出来ない。

「でもそれは、桃くんのお父さんに限った事じゃなくて、例えば敬一にしたって、桃くんや私が知らない一面を持ってるって事さ」
「中師サンが知らない敬一さん?」
「そうだよ。学校に行ってる間の敬一の事は、私は知らないからね」
「でも、敬一さんはああいう人だから、学校であった事とか話すんじゃないんですか?」
「じゃあ桃くんは、学校であった事を一部始終お父さんに話すかい?」
「話しませんよ。あっちは聞きたがっているみたいだけど」
「敬一だって、桃くんと同じだと思うよ? 話しても良い事と話したい事は話すだろうけど、言いたくない事は言わないのが普通だろう?」
「う〜ん………」

 あの生真面目な敬一さんからは想像出来ないけど、でも確かにホントに言いたくない事は聞かれもしないのに申告するのも変だろう。

「桃くんのお父さんだって、桃くんに話したい事と話す必要のない事は使い分けていると思うよ? もっともその様子だと、桃くん自身が話を聞いてない時もあるかな?」

 図星を刺されて僕が答えに詰まると、中師氏はちょっと意地悪っぽく笑った。

「桃くんは、敬一がずいぶん気に入っているみたいだねぇ」
「敬一さんの事が好きなのもありますけど、でもゼミみたいにまわりに他の同級生がいない方が、全然気が楽だっていうのもあります」
「桃くんのお父さんは、家庭教師じゃなくて桃くんのお兄さんにしたいって言っていたけど?」

 中師氏の言葉に、僕は思わず噎せてしまった。

「大丈夫かな?」
「う……ウチの親父、そんなコト言ったんですかっ!」
「うん。だからお父さんには、敬一を桃くんのお兄さんにするなら、桃くんを私が養子に貰わなきゃならないよって言っておいたよ。私は桃くんみたいな可愛い息子が増えるのは構わないけど、桃くんのお父さんは桃くんがいなくなったら困っちゃうよねぇ?」

 あははははとか言って、中師氏は笑っているけど。
 バカ親父もバカ親父なら、中師氏も中師氏だ。
 全く、このオヤジ共ときたら、一体どんな会話を平素繰り広げているんだろう?

「お義父さん、用意出来ましたよ」
「ああ、うん。ありがとう。さあ、桃くんも一緒に下に行こうか? 敬一、桃くんが弟になったら嬉しいかい?」
「はぁ? 一体何の話ですか?」
「うん、桃くんのお父さんがね、敬一と桃くんを兄弟にしたいって言ってたから」
「ええ? 東雲さん、本気かなぁ? 俺にもその話しましたけど?」
「だから、桃くんを養子にくれるなら良いよって言ったんだけど。でも敬一は弟が欲しいのかな? って思ったから」
「そりゃあ、桃くんみたいな弟なら可愛いと思いますけど。でも、東雲さんが死んじゃうんじゃないですか?」
「そうだよねぇ。…いっそまとめて、柊一君も養子にしようか?」
「お義父さん。その場合、桃くんは俺の弟じゃなくて、甥になります」
「ん? そうかな? それじゃあ、困っちゃうねぇ」

 中師氏は、またしてもあははははとか笑っているけど。
 前からちょっと変わった人だと思っていたけど、こんなんで会社の重役というのはこなせるんだろうか?