「あのさぁ、桃ちゃん」

 そろそろ敬一さんが来る時間だと思っていた僕の部屋に、いきなり親父がやってきた。

「どうしたの?」
「ちょっと悪いんだけど、今日は敬ちゃんトコ行って勉強してくれない?」
「いきなり、なんだよ?」

 聞き返した僕に親父が何か言う前に、玄関チャイムが鳴った。
 僕は手元のパソコンを操作して、玄関に設置されているカメラに切り替える。
 そこには、僕の予想に反して敬一さんではなく、見知らぬ女性が立っていた。

「裏に回って、待ってて!」

 僕が「どちらさまですか?」なんて聞く間もなく、親父が僕とパソコンの間に割って入って答えると、相手の返事も聞かずに画面を切り替えてしまった。

「誰?」
「なんとか言う、テレビの取材。断りたかったんだけど、ちょっと断れない事情があってさ。オマケになにがどうしてそーなったのか知らないけど、気が付いたらウチでインタビューするって話になっちゃってて。だから悪いんだけど、桃ちゃんは今日家に居ない方がイイと思うワケよ」

 親父としては、あの取材陣が来る前に僕を家の外に出したかったんだろう。
 そこら辺はプロ意識というか、親父は自分の事は「商品」と見なして、どんな形であれマスコミに露出するコトは「仕事」と割り切っている。
 だけど、自分の家族は「非商品」であって、マスコミがそれらの取材をする事を極端に嫌っていた。
 母さんが生きていた頃、新婚間もない親父の記事を書く為に写真週刊誌が母さんの写真を雑誌に掲載した時、モノスゴイ抗議をしたらしい。
 親父はその事を今でも根に持っていて、その週刊誌(現在既に廃刊になっている)を発行していた出版社の系列音楽誌には、一切記事を提供していない。
 ちなみにその週刊誌を(半ば面白がって)タモン蓮太郎がいまだに所有しており、見せて貰った事があるが。
 母さん(と思わしき人物)は、豆粒のように小さく、しかもボケボケに写っていただけだったし、記事に至っては「人気ミュージシャンの新婚生活」とかいう見出しに、二人が手を繋いで買い物に行ったとかなんとか当たり障りのない内容の記事が出ていただけだった。
 だけど、その一件以来、親父が公私の境界にモノスゴク煩いってコトがマスコミの中で定説となり、僕のプライベートが守られている……らしい。
 ものすごくつっけんどんに取材陣を家の裏手に回して、玄関先に人がいなくなった所を見計らって、僕は家を出た。
 駅に向かう途中で敬一さんの携帯に電話をして駅で僕は敬一さんと合流した。

「桃くんも大変だなぁ」

 電車の中で事情を説明すると、敬一さんはビックリしたみたいだった。

「でも、時々こー言うコトあるから。もう慣れっこです」
「東雲さんと懇意にしている…と言っても、ウチの義父は会社役員だからなぁ。マスコミ関係の人達とそれなりに交流はあるけど、自分がマスコミから取材されるような事はないから」
「確かにウチみたいな事は特殊だけど、でも親父だって取材されている内がハナなんだし。それより、どうします? 図書館もまだこんな時間か開館してませんよねぇ?」
「急にこんな風になってしまったけれど、図書館に行くよりウチの方が気兼ねが無いと思うんだ」
「大丈夫なんですか?」
「構わないさ。それとも、桃くんがイヤかい?」
「いいえ!」

 イヤどころか、僕は敬一さんの部屋を見せて貰えるチャンスにワクワクしていた。

 敬一さんの家は、ウチからだと電車で駅を一つ移動するか、もしくは路線バスで15分ほどの所にある。
 同じ区内だし、町名は違うけど頑張れば自転車で来る事も可能だ。

「あれ?」
「どうしたの?」

 玄関に立った敬一さんは、扉に鍵を差し込んで首を傾げている。

「開いてるんだ。おかしいなぁ? ちゃんと施錠して出掛けたのに……」
「ええ〜? 泥棒ですか?」
「う〜ん、もし空き巣が忍び込むとしても、玄関からは入らないんじゃないかなぁ?」

 ちょっと困ったみたいな顔で笑って、敬一さんは玄関を開ける。
 僕は敬一さんの後ろから、おっかなびっくり中に入った。

「おかえり、敬一。ずいぶん早いね?」
「え? お義父さん?! どうしたんですか??」
「どうしたもこうしたも、私は今日休みだって言ってあっただろう? おや? そこに居るのは桃くんかい? 久しぶりだねぇ」
「こ……こんにちわ」

 予想外に登場した中師氏にビックリして、僕はなんだかしどろもどろに挨拶を返す。

「休み…って? そんな事、俺は聞いてませんよ?」
「おや、言ってなかったかな? そりゃ悪かったねぇ」
「っていうか、お義父さんは今朝、いつも通りに出勤したじゃないですか」
「散歩には出掛けたけど、出勤はしてないよ。…今朝からずっと、この恰好でいたじゃないか?」

 ポロシャツにスラックスという実にラフな恰好の中師氏をしげしげと眺めて、それでも敬一さんは納得出来ないような顔をしている。

「とにかく、そんな所でずっと桃くんをせき止めてないで、上がってもらいなさい」
「あ、はい」

 敬一さんに促されて、僕は上がらせて貰った。

「敬一、桃くんを部屋に案内したら、キッチンに来なさい。ケーキとお茶を用意しおくから」

 そう言って、中師氏は奥に引っ込む。

「俺の部屋は二階だから、そこの階段を上がって」

 案内された敬一さんの部屋は、広さ的には僕の部屋と大差ないみたいだったけど、雑多な僕の部屋とは対照的にきちんと片付いている。
 敬一さんは中師氏に言われた通り、一度部屋を出て行くとケーキとお茶を持って戻ってきた。

「じゃあ、そこに座って。ええっと、今日はどの参考書を持って来たのかな?」
「これです。…敬一さんの本棚、難しそうな本がいっぱいですね」
「うん、お義父さんに言われて経済の本をずいぶん読まされたからね。でも、俺が桃くんの年齢の時にはもう読んだ本ばかりだから、タイトルで取っつきが悪いだけだよ。読めば結構すんなり解ると思うよ」
「そうかなぁ? でもこの間、進路指導の先生が僕に、興味がある事にはモノスゴク熱心だけど、そうじゃないものはからっきしだって言ってましたよ?」
「あははは、それはみんなそうだよ。でもどんな学問も教授してくれる人が面白く話してくれると、急に興味が湧いて先を知りたくなったりするもんだからな」
「敬一さんは、だれか尊敬する先生とかいるんですか?」
「経済の話は、学べと言った本人が直々に教えてくれたからね。お義父さんはお義父さんなりに、やっぱり俺に後継者になって欲しいと思っているんだろう」
「良かったですよね、敬一さん。引き取られた先にウチの親父みたいなのがいたら、きっと今頃グレてますよ」
「そうかなぁ? そう言っている割りには、桃くんはずいぶん素直じゃないか」
「それは、俺が生まれた時からアレと付き合わされているから、悟りが開けちゃっただけで。ある程度の年齢になってからあんなの出たら、グレてフツーですよ」

 どんなに僕がそう主張しても、敬一さんは笑って取り合ってくれない。
 全く、本当に親父の猫かぶりときたら、敬一さんみたいな人すら騙してるんだから!

 僕がそこで敬一さんに勉強を教えてもらったら、それ以外の雑談をしたりしていると、扉にノックの音がした。