目覚ましのアラーム音に時計を見る。
 午前6時30分。
 目覚ましを仕掛け間違えたかと思ったけど、そういえば今日は、家政婦サンが来てくれないので、朝ごはんの用意を自分でするよう早めにセットした事を思い出した。
 今は夏休みだけど、高校受験を控えてる身としては、名目だけの「長期休暇」だ。
 起きて服を着替えた僕はキッチンに向かった。

「あっ、シノさん、フライパン火に掛けすぎてるとバターが焦げちゃいますよー」
「フライパンはハルカがみてくれよ、俺、こっちでお茶煎れてて忙しいンだから」
「しょーがないなぁ」

 キッチンのドアを開けた途端、先客がそこでウロウロしてるのを発見する。
 朝寝坊の親父が起きてたのも驚いたけど、オマケまで付いてるなんてまったく予定外だ。
 早々に退散しようと後ろを向いたが、時既に遅し、一歩も進まず背後から羽交い締めにされた。

「モーニンッ桃ちゃ〜ん、早起きさんだな〜!!」
「うわっ、放せってばっ!」
「なんだ、ハルカが居るからってテレてんのか、桃ちゃんはいつまでもカワイイなぁ、ん〜〜〜〜!」
「ちょっ、このっ…やーめーろーよーっ!」

 もがく僕を意にも介さず、親父は自分と同じ背丈の息子の頬に、マジで吸い付いてくる。

「シノさん、桃くん嫌がってるみたいですよ?」
「何いってんだ、桃ちゃんは俺と桃ちゃんの愛の結晶だぞ! 海より深い俺の愛を拒むわけないぢゃん、なぁ桃ちゃん!」

 笑顔大全開で勝手な決めつけをする。

「拒むよっっ!!!!」
「ん〜? 桃ちゃんも、とうとう反抗期か…」
「そんなもんとっくに終わってるよ! パパがうざ過ぎなんだよ!」

 しかし何を言ったところで、この自己中親父は凹む事もなければ折れることもない。

「そーか、そーか! パパは感慨深いぞ〜!」
「は〜な〜せ〜〜〜〜〜っっ!!」

 俺の苦情なんてカケラも受け付けず、朝っぱらからハイテンションの親父は、まだヒゲも剃ってないジョリジョリした頬を更に擦りつけてこようとする。
 僕は最後の手段で、先日道場で習った護身方法を使って、抱きついてる親父の腕を振りほどき、ついでに一発かましてやろうとした。
 が…、
「さぁ〜て! パパが超美味朝食を用意してるからネ! はい、そこ座って座って♪」

 まるで僕の一撃を見透かしたみたいに、親父はスルッと身をかわすと、ついでみたいに僕の身体の向きをクルリと操縦してテーブルの方へ向けてしまう。
 相手を失った僕の鉄拳は、宙を切っただけに終わった。
 こうなったらどうせ、親父の気の済むまでつきあわされるのだ。諦め顔で椅子に座った僕に向かって、親父のオマケの神巫ハルカがニコニコ挨拶してきた。

「おはよう、桃くん」
「…おはようございます」

 本当は挨拶するのも億劫なんだけれど、挨拶されたのに返事もしないのは不作法だと思うので、僕も一応、返事をする。

「おいハルカ、なんか焦げ臭くねェ?」
「大丈夫ですよ。ちょっと焦げ目が付いている方がカリカリして美味しいですからね」

 キッチンにはもう、噎せるほどの甘い匂いが立ち込めている。
 神巫ハルカは皿を取り出すと、フライパンの上に乗っていた四角い物を皿に移した。

「桃ちゃん、トッピングはチョコレートソースとバニラアイスとどっちがイイ?」
「それ、なに?」
「パパ特製のフレンチトースト☆ 美味しいぞ〜!」

 目の前に突き出されたのは、室内にこもる甘い匂いの元凶物体だった。
 デニッシュ生地に染みこませてあるミルクと卵と砂糖の融合した甘々溶液が、皿の上でじんわりと液溜まりを作っている。

「もっと普通のごはん、無いの?」
「なんだよ、桃ちゃん。変なコト言うなぁ? フレンチトーストは一般的にフツーの朝ごはんで、しかもコイツはパパの特製だぜ!」
「僕は朝からそんな甘いモン、食べたくない」
「じゃあ桃ちゃんは、あの家政婦が作った激まじィ朝メシの方が好きだっちゅーの?」
「なんでそこで家政婦の朝ごはんの話になるんだよ! そりゃ、あの家政婦さんは料理あんまり上手じゃなかったけど、そもそも親父が家政婦サンをあんなに怒らせなきゃこんなことには…!」
「スト〜ップ、桃ちゃん。パパ、でしょ?」
「ええ?」
「だから、パパ、でしょ?」
「なに言ってンだかワカンナイよ!」
「桃ちゃん。パパ、だよ、パ〜パ。ね?」

 ガッキッ! と僕の肩を掴んだ親父は、ニッコリ笑った顔をずずず〜っと寄せてくる。

「あーもぅ分かったよ! パパッ!」
「そうそう。桃ちゃんは桃ちゃん似のプリティフェイスなんだから、オヤジなんてカワイクナイ単語使っちゃダメだよ〜」
「話逸らすなよ!」
「だって桃ちゃん。パパがせっかく桃ちゃんの為に作った、特製フレンチトースト食べないとかゆーんだもん! パパは桃ちゃんの為に、特製のロイヤルミルクティーだって煎れてあげてるのに!」

 ドンッ! と目の前に出てきたカップには、これまた甘い匂いを紛々とまき散らしている怪しげな液体が、なみなみと満たされている。

「なんでロイヤルミルクティーからメープルシロップの匂いがするんだよ!」
「フレンチトーストがハニー風味だから、ミルクティはメープル風味の方が変化があっていいじゃん」
「そーいう問題じゃなくて、僕は甘いのあんまり好きじゃないって言ってンだよ!」
「大〜丈夫! 桃ちゃんの為にパパが特別に愛情込めて作った朝ごはんだもん、絶対美味しいって!」

 ニッコニコの笑顔になってる親父には、たぶん本当に、悪意なんてこれっぽっちもない。と思う。
 しかしその笑顔はどう見たって悪魔の微笑みだ。
 僕は半ば諦めの溜息を吐いた。

「それで、トッピングはチョコレートとバニラ、どっちがイイ?」
「どっちもいらない」
「それじゃあカルピスバターを乗せよう! ほんと美味いよなー、このバター!」

 言ってる傍からもう、たっぷりのバターがフレンチトーストの上に乗っかってしまう。
 既にバター焼きにされて脂でギトギトのデニッシュパン(とゆーか、デニッシュパンってのは生地が既に甘々でギトギトだっ!)の上に、追い打ちのバターを乗せられてウンザリしたけど。
 ハーシーの激甘チョコソースや、乳固形分17%を優に超えたバニラアイスを乗せられる事を考えたら、多少はマシと諦めるしかない。