中学最後の中総体が終わり、6月に入ると、天気はずっと雨。ここまで雨が続くとどうしても気分が沈んでしまう。バスケ部は2回戦敗退というなんとも微妙な結果で幕を閉じた。部活動を引退すると、「勉強」という言葉がいやでも耳に入ってくる。いつもは騒がしいクラス内も、朝から塾に通い始めただとか、新しい参考書を買っただとか、いかにも受験生らしい言葉が飛び交っていた。それはまるで、現実逃避をしかけている僕を引き戻すための言葉に思えた。朝から嫌なことを考えたせいで更に気分が沈んできてしまった。僕は気持ちと同じように体も机に沈める。
月夜はというと、相変わらず部活の朝練に生徒会にと日々忙しそうにしている。加えて以前から通っていた塾に行く日数も増え、最近は給食の時間以外常に何かしら作業をしているような気がする。その姿は、自分の同じ年齢の女の子では無いように見えてしまう。
「同じ、だよな」
ここ最近、月夜との距離が遠い気がする。別に話しかけてくる頻度が減ったとか、急に冷たくなった訳では無い。ただ、なぜか前の月夜とは違う感じがするのだ。
「なにがだろう…」
「こっちがなにがだろうだよ」
頭を楽譜でこつんと叩かれ僕は月夜が帰ってきていることに気づいた。この展開、デジャヴな気がする。
「何か悩み事?バスケもっとしてたかったーとか?」
「いや…受験勉強めんどくさいなと」
「わかるー」
ほら、いつも通りだ。何も変わってはいない。ただ、疲れている顔をしているだけ。
「逆に月夜の方が悩みあるんじゃないの。最近疲れてる顔してるよ」
「え、そうなの?」
「え、なにが?」
「私、疲れてるの?」
「いや誰がどう見ても疲れてるような顔してるけど」
「えー…そんなことないと思うけどなあ」
疲れていると思った。むしろ少しでも僕が弱音のはけ口になれればいいと思って聞いた。まさか自分自身が疲れていることに気づいていないとは、誰も思わないじゃないか。僕は訳が分からず脊髄反射で喋ってしまう。
「え、いや、大丈夫?」
「え、うん。全然大丈夫、疲れてないよ。海と話すと疲れも吹っ飛ぶよー」
月夜はありがとう、といつものように笑って見せた。その笑顔を僕は少し落ち着きを取り戻す。
月夜の顔をまじまじと見ると目の下にはクマが目立つ。いつからここまでくっきり見えるようになったのだろう。
「なんか悩み、ないの?」
「悩み?」
「悩みじゃなくても、毎日忙しくてしんどいとか、ソロパートのプレッシャーに負けそうとかさ。並行して受験勉強もしてるわけじゃん」
「うーん、それはないかなー。部員みんなに期待されてるし、勉強に関しては親からずっと言われ続けてるからもっと頑張らないとだめかも」
月夜はこれが普通のことと言わんばかりに再び笑い、机の上に置きっぱなしだった通学鞄に顔を埋める。荷物そのままにして朝練に向かったんだ。
いつも通りに見えた笑顔も、どうしてか曇りがかって見えた。まるで言っていることと、心の中がすれ違っているようだった。
それは本当に頑張らないといけないことなのだろうか。他人から背負わされた期待に応えるために、月夜自身が消費しなければいけないのだろうか。より一層、僕と月夜の間に壁が作られていく。
「ねぇ、本当に休んだ方がいいって……月夜、月夜?」
月夜が鞄に顔を埋めたまま動かなくなった。何度声をかけても返答がない。もしこのまま起きなかったらどうしよう。そう考えた瞬間、全身から冷や汗が吹き出る。
「おい、全然大丈夫じゃねぇじゃんか。保健室連れて行こうか?」
僕はどうすればいいのか分からず、とりあえず月夜を揺さぶる。しばらくすると月夜の細く白い手が僕の顔まで伸びてきた。
「あんまり揺さぶらないで。ぐるぐるする…迷惑かけたくないから、ちょっと待ってね…」
月夜は今までに聞いたことがないようなか細い声で訴えた。様子がおかしいことに気づいたクラスメイトが恐る恐る僕に話しかけてきた。保健室に連れていくよう頼もうとした瞬間、月夜が思い切り顔を上げた。
「大丈夫、治った!心配かけてごめん。ありがとね」
それはまるで保健室に連れていかれるのを拒んだように見えた。クラスメイトは一瞬困惑した顔を見せたが、「無理しないんだよ」と言い自分の席へ戻って行った。僕はというと、いつものように振る舞う月夜にだんだん腹が立ってきて仕方がなかった。
「あのさ、全然大丈夫とか言ってたけど、体は全然大丈夫じゃないじゃん。普通に体調悪いんだったら休めよ。逆にこっちが迷惑なんだけど」
言い出したら止まらなくなってしまう。僕の悪い癖だ。月夜は驚きもせず、反抗心を見せるでもなく、ただ俯いていた。
「あのさ、もっと自分のこと理解したらどう?」
「_____。」
「え?何」
「なんでもない!ごめんねー。こういうの、見せないように頑張るね」
想像してた返答と全く違う言葉が返ってきて、僕は先程までの勢いを無くしてしまう。なんだか、僕も疲れた。
「別にそういう事じゃ___」
呆れながら月夜を見ると、これまで見た事がないような笑顔を貼り付けてこちらを見ていた。傍から見れば普通の笑顔かもしれない。ただ、いつもと何かが違う。僕はそれがとても恐ろしく感じ、言葉を詰まらせた。
「__っ僕も言い過ぎた。ごめん」
「? なんで海が謝るの?」
___その後、月夜はいつもの調子を取り戻していた。僕は一日中月夜の顔を見れなかった。自分が言ったことで太陽から光を一瞬でも奪ってしまった気がして、いたたまれない気持ちになったからだ。
空は雲に覆われ、降り注ぐ雨は止むことを知らず、僕のを心をも飲み込む勢いで振り続けていた。