「違います。あの時……福留さんが、小さなお子さんが飛び出して来て足をもつれさせた時のこと、覚えてませんか?」
「……ああ! ありましたね、そんなことが」
「松木さんと美久ちゃんのお母さん、そしてまだ歩き方がおぼつかなかった美久ちゃんでした」
「そうだったんですか」
「美久ちゃんは、たしかイヌツゲの植え込みにとても興味を持っていて──」
 そこで、美久ちゃんのお母さんは、はっと何かを思い出したように口元をおさえた。
「そうです。美久はイヌツゲの木が大好きで、小さい実がなっているのが気になって気になって」

 子どもは植物の実が好きだ。俺にも覚えがある──そうだ。
「今、リノベーション中の棟の一階で、新しいイヌツゲの植え込み作業やってます!」
 まさしく子どもの好きそうな黒い実がなっている時期だ。植え込み作業を見るのは、きっとわくわくすることだろう。
「第三棟の裏です!」
「行きましょう!」
 須崎さんと俺は、猛烈な勢いで第三棟へ向かった。

 さっきまで俺が仕事をしていた第三棟、エレベーターホールと階段付近しか探さなかったので、ベランダ側、つまり裏側まではチェックしていなかった。
 小さな女の子が、植木作業員さんの目に絶妙に入らないところにしゃがみ込み、一階の目隠しとなるイヌツゲの植え込み作業をじっと見ている姿を見つけた。

「松木美久ちゃんかな?」
 須崎さんの優しい問いかけに女の子は上を見上げ、うんと頷いた。
「お母さんが探しているよ」
 ちょうどそこへ、俺たちを追いかけて美久ちゃんのお母さんと前島さんが息を切らせて走って来た。
「美久!」
「ママ!」
 良かった。美久ちゃんも一人で不安だったんだろう。お母さんに抱きつくと泣き出して、お母さんもほっとしたように美久ちゃんを抱きしめた。
「良かったわねぇ。マスター、再生くん、美久ちゃん見つけてくれてありがとうねぇ」
 前島さんも、はぁ久しぶりに走ったと言いながら、あははと笑った。
「さすがマスター。よく三年前の出来事からイヌツゲを思いつきましたよね」
「大川君が、ここで植え込み作業をしているのを上手く結びつけてくれたからですよ」
「あなたたち二人とも、ほんと良いコンビよ。柘植の木団地の」
 前島さんに言われて、須崎さんと俺は顔を見合わせほっとした気持ちとともに、どちらからともなく笑い合う。
「再生くんとコンビが組めて光栄ですよ」
「こちらこそ、喫茶柘植の木団地のマスターとコンビだなんて嬉しいっす」
 
 ようやく遅れて連絡を受けた交番の警官が二人やって来た。
「遅くなってすみません、女の子は?」