「お義母さん、甘い香りがしますねぇ」
 特に女性陣に好評のようだ。母さんと兄貴の奥さんが、滅多に入らない台所で緊張しながらお湯を注いでいる俺の手元を遠巻きに見つめながら微笑ましそうにしているのが分かる。
 ちょっと今返事をしている余裕はないので、とにかくお湯の注ぎ口を見つめ、ペーパーフィルターに直接かからないように注意しながら、須崎さんの言葉を思い出す。
『お湯が粉を通らず直接サーバーに落ちてしまうので、味が薄くなってしまうのです』

 俺を入れてくれたサ店のカウンターの中に、こぽこぽという音という音が小さく響いていた。須崎さんがお客さんへ提供する用に使うサイフォンはもう少し大きな音を立てるけれど、ドリッパーの中からサーバーに落ちていく小さな音も良い。
 溜まっていくコーヒーの中に、ドリップされた新しいコーヒーの丸い水粒が、甘苦く香る仲間のもとへと次々に飛び込んでいく。
「こうやって少しずつ出来上がっていくのを見るのも楽しいんですよ」
 須崎さんは本当に楽しそうにしていた。コーヒーの話になると饒舌になり、表情も豊かになる。
そんな須崎さんに教わったことがたくさんあって、それを恩返しじゃないけど再生の仕事に活かしたいと思ったと言えば大げさなんだけど。

 そんな気持ちを込めたコーヒーカップを四つ、テーブルへ置いた。
「コーヒーか。美味そうだな」
「航平がコーヒーにこだわってるなんて知らなかったな」
「ねね、いただきましょ」
「ほんと、良い香り」
 少しだけ余ったコーヒーを俺も一口すする。モカは、俺がいつも飲んでいるマンデリンよりも口当たりが軽くて爽やかな感じがする。果物っぽい酸味もある。
 間違いなく須崎さんよりコーヒーの美味さは引き出せていないと思うけど、家族はみんな美味しいと満足してくれた。
「俺が今担当している仕事先に、美味しいコーヒーを出してくれる喫茶店があるんだ。実はそこのマスターに教わった」
「へぇ」
「航平、なんか変わったな」
 兄貴にも親父と同じことを言われた。俺は「そんなことねぇよ」と照れ隠しに否定したものの、たしかに俺は前より何かを得て変わっている。
 そんな感触を確かめたところで、俺は再び津下市へと戻って来た。

「ああ、良かったです。喜んでもらえたんですね」
「ありがとうございました。マスターのおかげで、帰省がスムーズにいきました」
「何があったかは知りませんが良かったです。はい、いつものです」
「いただきます」