「田舎仕込みのこんにゃく煮だから美味しいわよぉ。じゃあね」
「はい、失礼します」
「っす」
 俺が店のドアを開けて前島さんのフォローをすると、前島さんに「気が利くわねぇ再生くん」と言われた。森本さんがそれを見てふっと小さく笑い、俺が睨むふりをして、それを感じながら素知らぬふりをする須崎さん。
そんな構図が出来上がっていて、何だか面白いなぁと思いながら森本さんと二人がけの席に座った時、それは起こった。

「ガチャン」
大迫さんのところからあきらかに陶器の割れる音がして、森本さんと俺は思わずそっちを見た。須崎さんは早くもカウンターを出ようとしていた。
「大丈夫ですか、怪我はありませんか? 大迫君」
 気づいていない設定というのをすっかり忘れているようだ。須崎さんらしい。
 もう一度大迫さんの方を見る。洋服にはかかっていないみたいだが、コーヒーカップが床で割れていて、右手が震えていた。大迫さんはその右手を左手でまるで震えを止めるかのように掴んでいる。
 自分がカップを取り落としたということに、大迫さん自身が驚いているかのようだった。
「ご、ごめんす、ざきくん。い、いくらかな。おかね、はらわなきゃ」
大迫さんが、ポケットから財布を取り出そうとして、それも落とした。何かおかしい。口調もそうだし、どこかぼんやりした感じにも見える。須崎さんと俺たちは顔を見合わせた。
「お金なんてあとで良いですよ。それよりどこか痛いところは?」
「どこも、いたくない。だいじょうぶ、です」
 そう言うと、大迫さんはカウンターのスツールからよろけ落ちた。慌てて須崎さんが受け止める。
「ちょっと大迫君の様子が変なので、僕今から団地の内科に連れて行ってきます。森本さん、大川君、申し訳ないけど店の中で待機していてもらえませんか?」
「分かりました」
「店はCLOSEにしておいて、俺たちは中にいます」
「お願いします」
 須崎さんはギャルソンエプロンを外してカウンターに放ると、大迫さんを支えながらクリニックへ向かった。団地にはいろんな症状を診てもらえるファミリークリニックが一軒ある。

「大迫さん、大丈夫かなぁ……」
「あの方大迫さんて言うんですね。マスターの知り合いですか?」
事情を知らない森本さんに、須崎さんと大迫さんの関係を簡単に伝えた。須崎さんが前に勤めていたビストロについては森本さんの方が断然詳しいので、俺の話が終わると森本さんは顎に手を当てて、うんうんと頷いた。
「なるほど。味が変わったのはそういう理由だったのですね。理解しました」