須崎さんは俺を小さく制すると、カウンターの中にある作業用のスツールに腰を掛けた。自分用のカップでコーヒーを飲みながら器具の手入れを始めたので、俺も二人に背を向けたまま、須崎さんの淹れてくれたコーヒーを飲むことにした。
 意識してそういう雰囲気に持っていったつもりはないけど、説明会の成功とテーブルに置かれたコーヒーのアロマ、そして何よりサ店の空気感が、林さんの背中を押すきっかけになったのかもしれない。

「も、森本さんっ、あのっ」
 林さんの声に、森本さんが反応したようだ。
「どうしました、何か誤入力でも……あれ、林さんそれ……」
 森本さんが、目の前にあるバッグのキーホルダーに気がついたみたいだ。
「あの……あのね、前からずっと言おうと思っていたけど、なかなか言い出せなくってぇ……」
 林さんが言葉を詰まらせた。森本さんの表情は分からない。

(頑張れ林さん)
 俺は聞き耳を立てながら、心の中で林さんを応援していた。林さんのしがらみがどういうものか知らないけど、もしその気持ちを言葉にしたいのなら、この空間はおすすめだ。

「森本さんって、アイファン推し……でしょぉ?」
「……すみません、同期にオタクがいるの、やりづらいですよね?」
「……違うんですぅ。私も好きなの、アイファン」
「え?」

 少し間を置いて、林さんが続けた。
「あのね……私アイファンオタなんですぅ。ずっとそれを森本さんに伝えたかったんだけどぉ……」

 アイファンがアイドルファンタジーの略だというのは、俺でも何となく分かる。さらっと口に出したあたり、林さんは間違いなくアイドルファンタジーが好きなのだ。森本さんもそれが分かったのか、林さんの次の言葉を待っているようだった。

「中学生の頃からアニメやマンガが大好きだったんだけど……私、それを友達に言う勇気がなくて、ずっと隠していたんですぅ……。最近になって、ようやく好きな洋服やアイファングッズを買えるようになったぐらいでぇ……」
「そ、そうだったんだ」
「……クラスにね、堂々とアニメが好きって公言している子がいて、羨ましかった……。だけどその子、友達がいなくって孤立しちゃって……。学校にあまり来なくなっちゃったのぉ……」
「そっか。分かるな、私もそんな感じだった」

 森本さんはずっと一人で活動をしていたって言っていたけど……学生の頃から一人だったのか。

「私が声を掛けていれば、あの子はもう少し楽しい学校生活を送れたのかなぁってアイファンを見る度に思ってた。市役所に採用されて、森本さんと同期になって……びっくりしたのぉ、オタ友だぁって」