「どこか後悔めいた気持ちがありました。せっかく居心地の良い時間をマスターからいただいたのに、中途半端になってしまったような気がしていたのです。おそらくいろんな事情があったのだと推察しますが。何はともあれ再びマスターに会えて、美味しいコーヒーを提供してくれるということなら、推さない手はないと」

 この仕事は上手くいかないことが大半ですが、美味しいコーヒーのおかげで疲れた心が癒され、また頑張ろうという気になれますからね。森本さんの独白は、そう締めくくられた。

 森本さんにも、須崎さんに救われた過去があった。
 口下手で上手く喋れないと謙遜する須崎さんだが、他人の気持ちに敏感なところ──本人はそれで辛い思いもしただろうが──が、こうやっていろんな人の救いになっているのを、改めて実感する。

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 福祉課の林さんと待ち合わせるのにサ店に立ち寄った俺は、数日前の森本さんとの会話を思い出していた。

「やっぱりマスターって凄いっすね」
 カウンター越しに須崎さんを称えると、届いたコーヒー豆をミルに移していた須崎さんの手元が狂った。
「な、な、何を言い出すんですか急に」
「マスター、零れてますよ」
「わっ」
 慌てて作業シートに零れたコーヒー豆を集める須崎さんの顔は赤い。自分のことを言われるのは苦手だそうだけど、もうそろそろ慣れても良くないか?

「大川君……やめて下さいよ、まったく」
「だって本当のことじゃないすか。森本さんも言ってましたよ」
「森本さん? ああ、眼鏡の」
 ようやく少し落ち着いた須崎さんは、「良かったらお代わりどうぞ。僕も飲みたいので」と、さりげなく俺の目の前に二杯目のコーヒーを置いてくれた。
「じゃあ遠慮なく──そうです、眼鏡女史の森本さん。マスターのレストランで初めてコーヒーを飲んだって言ってました」
「ええ、何度かお話していて思い出しました。店が小さな頃から食べに来て下さっていて。エメラルドマウンテンが美味しいっていつも頼んでくれたのを覚えています」
「コーヒーの美味しさに目覚めたのは、その時からなんですって。あと、誰かと共通の話題で盛り上がれたのも、マスターが初めてだって言ってましたよ。マスターは森本さんにとって推しなんだそうです」
「推し、って」
 また赤くなった須崎さんは、厨房に引っ込んでしまった。

 「こんにちわぁ。大川君いますぅ?」
 カランカランカランとドアベルが鳴って、待ち合わせていた林さんが入ってきた。少し肌寒いからか、長いスカートにニットのカーディガンを合わせていた。