専門学校を出たあと、幸運なことにいろんな国のレストランで修業を積ませてもらいました。その経験を買われてビストロのシェフになったのが十年ほど前のことです」

 いつになく淀みのない口調に俺は違和感を覚えた。どことなく他人ごとのような、そんな口ぶりなのだ。須崎さんはそんな自分のことをどう捉えているのだろうか。

「ありがたいことに、僕の作る料理を美味しいと言って下さるお客様が口コミで増えていきました。僕は有名になる気も店を任される気もなかった。毎日、美味しい料理と居心地の良い空間を提供出来ればそれで良いと思っていた。
 けれど少しずつ有名になるにつれて、店の仲間が妬むような噂を口にするようになって。一緒に頑張っていると思っていたんですが、彼らには僕が天狗になっていると思われていたようで……。噂なので直接言われないのが余計に辛かった。言葉で言われなくても僕には分かってしまいましたが」

 僕がいることによって店の空気が悪くなるくらいなら、辞めた方が良いと思ったんです。
 そう言い終えると、須崎さんは小さく笑った。まるでその頃の自分を嘲るというか憐れむといった感じの皮肉げな微笑みだった。
 俺はそんな須崎さんの一面に、ただ黙って顔を見つめるばかりだった。

 評判が一人歩きをする中、ビストロの同僚と上手くやっていけずに疲れ切った須崎さんはシェフを辞めた。
 辞めてからの三年間は、貯金を切り崩したり友人のレストランを手伝ったりして生活していたらしい。


 自分を卑下するような考え方に自分で傷ついてきた須崎さんが出会ったのが、ある時、たまたま見た柘植の木団地チャレンジプロジェクトの広告だったんだそうだ。

「一人でやればいいんだ、と。それならだれに気を使うこともないし、他人の気持ちに振り回されることもない。自分を傷つけることもしなくて良いんだと。古いものと新しいものが入り混じったこの環境も良いと思いました」
「入り混じる?」
「はい。もう目立つことはほとほと嫌になっていましたから、街に溶け込むように生きられたらいいなと思いました。古いものが新しく再生されていく波に身を任せてみようと思ったんです」

 そうか、須崎さんがここへやって来るまでにそんなことがあったのか。

「福留さんにもそれと似たような空気を感じました。もしかしたら僕と同じように何かから逃げて、ここに溶け込んでしまおうとしているんじゃないかと。目立たず生きて行きたいんじゃないかと」
「あ、そういう……」
「はい」