赤。白。黄色。
 流れていく色彩を眺めながら、オレはそこにまちがいを見出す。
 黄色じゃない。あの日は安っぽちの水槽と同じ、目を凝らさないと紛れて見つけられない青色だった。
「なあ、あんちゃん。もういいんじゃねえか?」
 オレは右手の百円玉を箱の中へと落とし、二列に積まれたポイをとる。
 それを水の中へとくぐらせて、赤い金魚を掬いあげた。
 ――――チャポン。
「……」
 破れたポイの向こうに金魚が落ちていく。
 すっかり逃げる要領を得たらしい。金魚は水槽にもどりながら、今までより大きく水を跳ねてオレの靴を濡らしていった。
「……わかった。どれでも一匹持って帰っていいから。な?」
 オレは無言で百円玉を放り込み、次のポイを手に取った。
「なあ、あんちゃん。儲けさせてもらってんのはありがたい話だよ。でもな、そうやってずっと居座られ続けると、ウチとしてもちょっとだけ迷惑なんだ」
「どうして?」
「他のお客さんもやるんだから」
「べつに一列に並んで順番を待たなくたっていい」
「そりゃそうなんだが、あんちゃん。そんな顔でずっと金魚掬いなんかやってると、薄ら怖くて人も金魚も寄りつかねえよ」
「顔?」
 金魚がまたピチピチと水を飛ばして波紋を描く。
 揺らめく水面をのぞき込むと、ひどい顔の大学生が映っていた。
 口元はまるでなにかを拒むみたいに固く結ばれていて、その表情に色はない。伸び散らかった髪の下にある目は死んだ魚のようで。人に掬われるしかない金魚のほうが、まだ活き活きとしていた。
「……はっ」
 自嘲めいた笑みをこぼして、オレは次のポイを手に取った。
 店番の男はオレを見限り、ようやくやってきたらしいべつの客の応対にあたっていた。
「…………」
 七月。夕闇。夏祭り。
 祭囃子と雑踏と。提灯の明かりが感覚の向こうに遠のいて。
 オレは水槽を泳ぐ金魚に向かって手を伸ばす。遠い昔の記憶に縋るように。
 そうして掬おうとした金魚は、オレがポイを水につけた瞬間、べつのだれかによって掬い上げられた。
 金魚はそのままもどってこなかった。
 チャポンという音がして、見ると傍らに置かれた椀の中で金魚が一匹悔しそうに泳いでいた。
 赤。白。黄色。
 視線の先にべつの金魚がどんどん投入されていく。
 そうして瞬く間に一杯になった椀がおもむろにひょいと持ち上げられた。
「どうしてこれくらいのことができないの?」
 隣できこえたその声に、オレはどうしようもない焦燥と懐かしさを覚えた。
「わたしはずっと、待ってたのに」
 ――――ボチャン。
 一杯になった椀が、空っぽだったオレの椀の上にひっくり返されて重なる。
「さて問題。お椀の中の金魚は今、生きているでしょうか? 死んでいるでしょうか?」
 椀から椀へ移すときに入りきらなかった金魚が一匹、地面でのたうちまわっていた。
 オレはゴクリと生唾を飲んで顔を上げる。
 そして。
 よぎった直感が完璧な正しさで目の前に顕在していることを知り、二十年間ずっとたしかであり続けたはずの現実がぐにゃりと歪んだ気がして。起きるはずのない齟齬にポカンと口を開けて固まってしまった。
「ひさしぶり。元気してた? コウ」
 初めて披露するポニーテール。大人びた藍染めの浴衣。両面にケータイキャリアの広告が張られている俗っぽいうちわと、卸し立ての巾着袋。歩きにくそうな草履をペタペタ鳴らしながら、彼女はそこに立っていた。
 その背丈も、その声も、その顔も。
 なにもかもが“あの日”のままだった。
「…………千夏」
 オレに向かって笑いかけていたのは、五年前の姿をした幼なじみだった。