気絶しているイツモフさんの横で、俺は動けずにいた。

 ミライが大度出たちに攫われた。

 そんなことはわかっている。

 攫ったミライを大度出たちがどうするかもわかっている。

 助けにいかなきゃ!

「全部わかってんだよぉ!」

 どうして俺の体は震えるだけで動かないんだ。

 立ち上がれないんだ。

 ミライのピンチなんだぞ!

「……そうだ、聖ちゃんに」

 無理だ。

 彼女は今、レッサーデーモンを倒しにいっている。

「くそぉ、動け動け動け動け」

 太もも、膝、ふくらはぎを何度もたたくが、足はちっとも動かない。

 自分を鼓舞する声だけが虚しく空気に溶けていく。

 体の表面は熱くなっているのに、心に勇気の熱が湧き上がってこない。

「どうしてだよぉ!」

「なにをそんなに苦悩しておるのじゃ?」

 いきなり声がしたと思ったら、気絶しているイツモフさんの上に、俺をこの世界に転生させてくれた女神様リスズが浮かんでいた。

「おぬしの現状は、わらわもしっかり把握しておる」

「頼む。お願いだ!」

 俺は女神様に土下座していた。

「女神様ならなんでもできるだろ? 助けられるだろ? 頼むよ! ミライが攫われたんだ」

「言われなくてもわかっておるのじゃ」

 女神リスズは自慢げに腕を組んだ。

「わらわは女神じゃ。すべて知っておるからこそ、わらわは今ここにきたのじゃ」

「え? じゃあ……」

 こんなにも誰かに感謝したことはない。

 女神様が助けてくれるのなら、大度出たちなんて、ひとひねりだ。

「もちろん。わらわに任せておけ」

 女神様は大きな胸をポンとたたいた。



「おぬしに新しいサポート人形を与えよう」



「……え」

 言葉が出てこなかった。

 新しい、サポート人形?

 それは、ミライを見捨てるってことか?

 まさかこの女神様、この緊急事態にわざわざ出しゃばってきて、俺の反応を見て遊ぼうとしているのか?

「どうした、そんなマヌケな顔をして。前にも説明したであろう。転生者に与えたサポートアイテムの所有権が移ったとわらわが判断した。それでお前に新しいものを与えると言っておるのじゃ」

「新しいって……ふざけんな!」

 女神様を睨みつける。

 そんな軽々と人の命を見捨てるような発言をするなんて、それが神様のやることかよ。

「なんじゃ、その目は」

 女神様の目に鋭さが宿る。

「感謝されることはあっても、怒鳴られるいわれはない。新しいものを用意すると言っておるのじゃぞ」

「ミライはものじゃねぇ。あいつは、この世にたったひとりの」

「ものではない? おかしなことを言うのう。あれはただのサポートアイテムじゃが」

「だからそうじゃない!」

「ああ、そうか」

 女神様は両手をポンと合わせてうんうんとうなずく。

「あいつの容姿を、初恋相手の容姿を失うのが嫌なのじゃな。安心しろ。わらわが渡す人形は、必ず初恋相手の容姿がトレースされるようにできておる。人間にとって、初恋相手は絶対に忘れることのできない特別な存在じゃからな。これでおぬしも安心であろう」

 ふざけんな、と言い返そうとした言葉が喉元で止まった。

 新しい人形を、それも鹿目さんの容姿をした人形を手に入れられる。

「そういえば、お前たちはしょっちゅう喧嘩もしていたようじゃから、新しい人形は鹿目未来の性格そっくりなものに変えてやろう」

 助けにいかなくても、初恋相手の鹿目さんとまた生活ができる。

 一生鹿目さんと、楽しく暮らしていける。

 それでも、いいのではないか。

「どうじゃ。これで不満はなくなったじゃろう」

 自慢げに言い放つ女神リスズ。

 たしかに、今のミライは、俺に筋トレさせようとしたり、ゴブリンやレッサーデーモンを倒させようとしたり、見返したくないんですかって言ってきたり、バイトさせたがったり、正直言って本当にウザかった。

 俺に期待ばかりする、現世にいるあいつらと同じだった。



 ――どうして? 宗孝(むねたか)くんは合格してるのにあなたは落ちるのよ! もういいわ。



 中学受験に失敗したときの、母親の言葉がよみがえる。

 俺がいつ受験をしたいって言ったかよ!

 勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に諦めて、ふざけんな!



 ――うまくやれって言っただろ! なんでできてないんだ! もういい!



 中学校でバスケ部に入ったときもそうだ。

 必死でがんばってベンチメンバーに選ばれた。

 ファウルアウト者が続出して出場することになったときに、顧問から「先輩たちに任せて、流れだけ読んでうまくやればいいから」と言われた。

 流れを読むってなんだよ。

 うまくやるってなんだよ。

 そう思ったが、俺なりに必死でやった。

 試合に出してもらえるってことは期待されているってことだから。

 でもその試合に負け、顧問の先生に戦犯扱いされて怒鳴られた。

 勝手に期待して、勝手に被害者ぶって、勝手に失望された。

「そうだよ。ずっとずっとそうだった」

 人は勝手に期待して、勝手に幻滅して、勝手に糾弾して、勝手に被害者ぶる。

 そんなのはもう嫌なんだ。

 だから俺は人との関わりを断つために、勝手な期待を受けないために、引きこもりになったんじゃないのか。

「俺は……もう俺は、他人の期待なんか…………」

 でも。



 ――誠道さんの情けない姿なんかもう見飽きています。こんなことで、私は失望なんかしませんよ。

 

 ミライは、大度出たちに怯えていた惨めな俺を救ってくれて、そう言ってくれた。

 俺が弱音を吐くたび、嫌だって言うたび、手を替え品を替え、俺を立ち直らせようとしてくれた。

 筋トレさせようとしたり、ゴブリンやレッサーデーモンを倒させようとしたり、見返したくないんですかって言ってきたり、バイトさせたがったり、正直言って本当にウザかったけど、あいつは俺に変な期待ばっかりするけど、一度も俺に失望しなかった。

 期待しつづけてくれた。

 信頼しつづけてくれた。

 だからこそ。



「俺は、今のミライがいいんです」

 

 女神様に自信を持ってそう告げた。

「他の誰でもない。今のミライがいいんです」

 日本にいるときに恋した鹿目未来じゃなくて、支援するって言ったのにふざけたことしかしない、俺をいじることしかしない、どうしようもないほどにウザかわいいミライじゃなきゃ嫌なんだ。

「なにをバカげたことを。そんなに足を震わせておるやつが助けられるとでも?」

 女神様の言っていることは、残念ながら正しい。

 俺の足はまだ震えている。

 いったところで、絶対に無様に負けるだけだ。

「それにのう、攫われとるミライ本人が、助けてほしくないと望んでいるのじゃぞ」

「え?」

 体に宿っていた熱源の中心に風穴が空いた。