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 それはとても幸福な夢で、アシュトン様が私のことを何度も「愛している」と囁くのだ。自分に都合の良い夢にちょっと胸が痛んだけれど、まだ彼のことが好きだったのだと、再認識してしまう。
 アシュトン様のお日様のような香りに、抱きしめられた温もりは本物のよう。ああ、これが現実だったら、どれだけ幸せかしら。

 ふと彼が離れそうな気配があって、必死で抱き留めた。もう少し。夢だったとしても、もう少しだけこの温もりを感じていたい。
 そんな大胆なことができたのは夢だと思っていたからで、実際にアシュトン様に抱きついていたことなど知らなかった。アシュトン様の声がハッキリ聞こえて、温もりも吐息も掛かる距離で「アレ?」と思って目を開けたら、現実だった。

「!?」

 アシュトン様って、思っていた以上に情熱的な方だったのね。ううん、それだけじゃない。私のことを影ながらずっと守ってくれていた。
 だから──。

「アシュトン様、剣を自分の喉元に当てないでください。自害もダメです!」
「ですが、オレーリア様に無許可で抱きしめて、キスまで強請るなど……本来、命を以て貴女様をお守りする役割を果たせず、その上自分の欲望をオレーリア様に……。やはりここは命をもって罪を償うべき──」
「私が泣いてもいいのですか!?」
「それは非常に困りますので、自害を止めます!」

 自分でもよくわからない説得をしたけれど、アシュトン様には効果絶大だったらしい。あっさりと剣を収めてくれた。
 ビックリするぐらいアシュトン様は私に罪悪感を抱いていたようだ。ここ三日、ずっとうなされていたし、何度も私の名を呼んで謝っていた。その声を聞くたびに自分の想いが独りよがりではなかったのだと実感して、嬉しかったと同時に、彼の苦悩に気づかなかった自分を恥じた。なにが婚約者だ。私はアシュトン様のことを見ていたのに、気づけなかった。

「私は……どれぐらい眠っていたのでしょうか?」
「丸三日です。空中都市で魔素(マナ)が充実していたこと、回復薬と治癒魔法の使い手が多かったから助かったのです。……あ、暫くは安静にしていてください。清浄魔法をかけていますが、あと数日したらお風呂にも入れると思います」

 治癒師に言われたことを伝えただけなのに、アシュトン様は嬉しそうに何度も頷いて答えてくれた。いつもの困った顔じゃない。
 蕩けるような笑みに、心臓がバクバクしてしまう。

「オレーリア様がずっと傍に?」
「は……はい」
「私は今までオレーリア様に酷い態度をとっていたのに、貴女は天使、いや女神でしょうか?」
「え? わ、私は天使なんかじゃ」
「そんなことありません。私にとってオレーリア様は出会った頃から、愛らしくて、傍にいるだけで花や木々が明るく、世界は柔らかくなるのです。これはもう神の御使いだからこそなせる御業で間違いありません」

 私にそんな能力も魅力もないのですが……。そう言ってもダメそう。天使フィルターが掛かっているのか、あるいは今まで言動を制限されていた反動か。アシュトン様が上機嫌で、蕩けるような笑みを私に向けた。
 耐性がないので、キュン死しそう。ずるい!
 私だけドキドキするのは、なんだかずるいですわ!

「あの……首飾り。ありがとうございました! あの首飾り(ネックレス)を見て薄らとお母様のことを思い出せるようになったのです……!」
「それは良かった……。オレーリア様に何か返すことができて嬉しいです」

 後光が射すほど眩い笑顔に、クリーンヒットしてこっちのHPはすでにゼロに近い。やっぱりアシュトン様は素敵すぎる! ああ、私ってなんて単純なのかしら。

「アシュトン様。もうこんな無茶はしませんよね?」
「オレーリア様のためなら、今後も無茶をしてしまうかもしれません……。お傍に居させていただけなくとも、私の剣と命は貴女様のために」

 騎士として完璧な答えだけれど、私が求めるのは違う。ようやくアシュトン様に聞く勇気が持てた。それは先ほどまで愛を囁いてくれたから。

「そ、それは……騎士としてだけ? その……私のことを婚約者として……す、好いてくれているから?」
「騎士として貴女様をお守りしたい。そして婚約者として……いえ、一人の男として、オレーリア様を……ずっと前からお慕いしております。貴女様が覚えていなくとも、一緒に結婚ごっこをして、黒猫のぬいぐるみと夫の座を巡ってくだらない嫉妬心を燃やしたこと、強くなってオレーリア様をお守りしようと思ったのも、本当です。もし叶うのなら、今すぐにでも結婚を前提とした恋人として、抱きしめてキスをしたいです!」
「──っ!」

 赤裸々すぎる告白に、自分の頬に熱が集まる。ああ、こんなに情熱的な方だったなんて! わなわなと震えていると、私が困っていると思ったのかアシュトン様はシュンと悲しげに微笑んだ。その顔を見た瞬間、胸がキュンとしてしまった。やっぱりアシュトン様は卑怯だわ。

「わ、私だってアシュトン様が大好きなのです。ずっとずっと好きで、姉に笑顔を向けている時は胸が潰れそうになるぐらい好きです! 全部を捨てて、空中都市で一緒に暮らしてほしいと思うぐらい大好きです」
「オレーリア様! ……その、触れても?」
「はい! 私もアシュトン様に触れたいですわ!」

 お互いにテンションが爆上がりした中で、ヒシッと抱き合う。なんだかおかしなテンションだけれど、この熱量があるからこそ大胆な行動ができたといってもいい。
 ここからはずっとお互いに好きだと言いあって、アシュトン様のキスの嵐がすごかった。愛されまくって、大事にされているのがわかったらまた泣いてしまったけれど、アシュトン様はそんな私を嫌うことなくデレデレに甘やかしてくれた。

「……私もオレーリア様と同じく、あの国ではなく空中都市で暮らすほうが伸び伸びできるのではと思い、数年前からの魔法塔の資格を持っておりまして」
「え、すごい」
「実は新居も……用意しておりまして……」
「まあ! だから私が空中都市の話を切り出した時に固まっていたのですね」
「はい。……それとその時はまだ《隷属契約》中でしたので。今は解放されて、オレーリア様に愛の言葉を囁けることが嬉しくてたまりません」
「アシュトン様……」

 再び頬にキスをするアシュトン様は、私を膝の上に乗せてギュッと抱きしめて離さない。甘すぎる現状に過剰摂取気味な気がするけれど、今まで愛情に飢えていたからこそ、重苦しい愛情も執着も、嬉しく感じてしまう。

 キスを返したら二倍になって返ってくるし、啄むキスから深いキスまで私を翻弄する。
 とても幸せで、まだ夢のよう。昨日まではあんなに胸が痛かったのに、アシュトン様の愛に溺れてしまいそうだわ。抱きしめられていることが嬉しくて、胸元に寄りかかってみたが、拒絶されなかった。

「(だ、大胆にも寄りかかってみたけど、破廉恥だって思われない?)……ア、アシュトン様は騎士なのにどうして魔法を学ぼうとしたのですか?」
「(オレーリア様が私に寄り掛かって……夢じゃない? 幸せすぎる。思わず頭にキスしてしまった……ああ。好きだ)……」
「アシュトン様?」
「あ、はい。……元々魔法は得意でしたからね。幻影魔法で昔、クローディア様や叔父、貴女様も喜んでくださったのです」

 そういうと、青い光と共に美しい蝶が部屋を舞った。とても綺麗で、なんだかとても懐かしい。私も真似しようと魔法術式を展開する。

『大きくなったら、アシュトンのお嫁さんになる!』

 朧気ながら、そんな約束をした遠い昔の記憶が蘇る。王宮の庭だろうか。幻想的な蝶を作り出してお披露目をした──ような。
 懐かしさと胸の温かさに、涙がポロリと溢れた。

「オレーリア様!?」
「あら……。なんだか、懐かしくて……」
「懐かしい……そう思ってくれるのなら、嬉しい限りです」

 アシュトン様は目を細めて、頬にキスを落とす。もはやキスへの抵抗はない。恥ずかしいけれど、嬉しさと愛おしさが募るばかりだ。ここには私を蔑んだ目で見る人はいないし、王女らしく感情を抑え続ける必要も無い。今の私はただのオレーリアなのだから。

 だからちょっと大胆になってアシュトン様に自分から抱きついて、唇にキスをする。ドキドキしたけれど、好きだという気持ちが溢れるのを抑えられない。

「オレーリア様……っ!」
「大好きです。……大好きです。何度だって言います。何度も言わせてください」
「それは私のセリフです。今まで抑え込んでいた重苦しくて引くかもしれない愛情を覚悟してください」
「あら、私だってアシュトン様に負けないぐらい、私の愛はえっと、溺れるほどすごいのですよ!」

 何を張り合っているのだろうと、お互いに笑ってしまった。王女であることを捨てただけでこんな幸福が待っていたなんて。でもそれは今まで積み重ねて、耐えて、願いを諦めきれずにいたから。アシュトン様の繋がりは綱渡りのように危うかったけれど、ギリギリまで粘って諦めながらも未練がましくいたことが良かったのかも?

 どちらともなく唇に触れたキスは、今までで一番甘い気がした。