【立花茜 編】
『――ちゃん、ごめんね――』
「……ん……誰……?」
………
……
…
「……お姉ちゃんっ!お母さんが起きなさいって言うてる!お姉ちゃん!起きてやっ!」
「……は……夢……」
私の布団を引きはがし、体を揺さぶる妹。だんだんと意識がはっきりしだし、夢と現実の境目から現実世界へと引き戻される感覚がする。
「ん……起きた、起きた。美央、ゆすらんでや……」
「んもう!早く支度しいやっ!」
美央がバタン!と勢いよく部屋のドアを閉め、私は目をこすりながらカーテンを開けると朝日が部屋に入り込み、世界がオハヨウと言ってるようだった。
「オハヨウ世界……てまだ5時半やん……」
SNSで見たフレーズを言葉にしてなんだか急に恥ずかしくなり、目が覚めた。
――2011年9月23日、大阪。
今日はお母さんと妹の三人で、おばあちゃん家へお墓参りに行く予定だ。おばあちゃん家は島根にあり、毎年お母さんが車を運転して行くのだけど片道4時間程度はかかる。
妹の美央は昨日から一人ではしゃいでいるが、私は今年から高校生になり、美央と一緒になってはしゃぐのが少し子供ぽく思えてしまい平然を装っている。しかし内心、すごく楽しみにしていた。
今年のお盆はお母さんが仕事を休めなかったらしく、おばあちゃん家へは行けず諦めていたのだけど、お彼岸に合わせて泊りで行ける事になり数日前からわくわくしている。
もちろんお母さんにも美央にも悟られない様に、旅行カバンにはトランプや本をぎゅうぎゅうに詰めた。洋服はいつもは着ない白のワンピースでおめかしし、準備万端だった。
――午前8時。車は大阪の実家を出発して島根へと向かう。車内ではスピーカーから美央が選曲した曲が流れ、大声で歌う美央を隣の車の人が何事かと二度見していた。
「美央っ!ちょっと音量下げてや!隣の車の人が見とるやん!」
『〽いつかお母さんみたいに静かな優しさで――』
「ちょっと!!お母さんも美央に言ってや!」
「はいはい。美央、もうちょっと静かにしぃ」
『――家族になろうよ〜♪』
「……はぁい」
この年、テレビドラマの主題歌にもなった福山雅治さんの『家族になろうよ』が大ヒットし、至る所でこの曲を耳にしていた。美央はこの曲が大好きでいつも聞いていた。
――高速道路を1時間程走った頃には、はしゃいでいた美央も、朝早く起こされた私もいつの間にか眠ってしまった。
そして次に私が目を覚ます頃にはもう米子道を走っており、時折「米子」と書かれた看板が目に入る。ウトウトしながらお母さんに声をかける。
「お母さん……後どれくらいなん?」
「ん……1時間半くらいやな」
「わかった……」
『――ちゃん、ごめんね――』
「ええよ、お母さん……すぅすぅ……」
「ん……茜、何か言うたん?気のせい……か」
………
……
…
「海だぁ!!」
「美央!窓開けたら暑い言うたやん!もうっ!」
「お姉ちゃんも見てみ!海やで!ばっばん家はあの辺やろ!」
「見えとるわ!美央!暑い言うてるやろっ!」
「2人共、喧嘩はやめぇ」
「はぁい……」
車は米子道を降り、鳥取県の海岸沿いを走っていく。9月とは言えまだ残暑が厳しく、エアコン無しでは蒸し風呂状態だ。
そこから境港大橋を渡り島根県へ。さらに海岸沿いを走りようやく港町が見えて来る。
「もしもし、お母さん?うん。もうすぐ着くわ。茜と美央?あぁ、2人共元気が有り余っとるよ。うん、そしたら……」
お母さんがおばあちゃんに電話をし、車が目的地の駐車場に辿り着いたのは、お昼を少し過ぎた頃だった。
駐車場に着くとおばあちゃんがすでに出迎えに来てくれていた。1年ぶりに会うおばあちゃんは、相変わらず元気そうで笑顔がいっぱいだ。
「よう来たねぇ!美央ちゃん大きいなって!茜ちゃんもおせになって!亜弥、あんたもお疲れさん」
「ばっば!」
「おばあちゃんお久しぶりです」
「お母さん、ただいま。はぁ、疲れたわ」
荷物を車から降ろすと、早速美央がおばあちゃんと手を繋ぎ早く行こうとせかす。
(亜弥、茜ちゃんには……?)
(お母さん、その話は後で……)
おばあちゃんとお母さんが何やら小声で話しているのが聞こえた。私のこと?と、気にはなったが美央にせかされ、聞けずじまいでそのままおばあちゃん家へと向かう。
「ねぇ、茜。先にお寺さんに用事があるんよ、付いて来てくれへん?」
「お母さん。うん、ええよ」
「美央も行くっ!」
「あだん!美央ちゃんは、ばっばと先にお昼ご飯でも食べらか!」
「美央お昼ご飯でも食べるっ!」
「そげかそげか。美味しい《《のやき》》もあぁけんね」
美央は食べ物に釣られ、お母さんと私はお寺さんへ行く準備をする。おばあちゃんがお母さんに線香と一束の花を渡した。
「お母さん、私が花持つよ」
「茜、ありがとう。ほんなら、お母さん行って来るわ」
「あぁ、気付けてな。美央ちゃんと留守番しちょくけん」
「お母さん、お姉ちゃん、いってら!ねぇ!ばっば――」
私はお母さんの後を追い、お寺さんへと向かう。お寺さんはおばあちゃん家からすぐである。お母さんは日傘を差しているが、私はすぐそこまでなので必要無いと思い、お花を大事に持った。
お寺さんに上がる参道の途中で綺麗な真っ赤な花が目に止まる。
「お母さん、このお花は何て言うお花なん?」
「あぁ、そう言えばいつもお盆に来る時はまだ咲いて無いわ。これは彼岸花て言うんよ」
「彼岸花?」
「そう、彼岸花。花言葉は……何やったかな。覚えてないわ」
「ふぅん……」
あまりに綺麗な花だったので、携帯で写真を撮っておく。後で美央にも教えてあげよう。
お寺さんに着くと、本堂横の住職さんが住んでいる家へ行きインターホンを鳴らす。
『ピンポーン』
「お母さん、靴あるやん?誰かお客さんいてるんやろか?」
「そうやね、お客さん来てるかもしれへんな……」
「はいはい!お待たせしました!」
廊下をバタバタと走りながら住職さんが現れた。
「こんにちは。立花です。今日はお世話になります」
「あぁ!亜弥さんいらっしゃい!茜ちゃんも元気そうで良かった……。すぐ用意するけん、ちょっこうまっちょって」
「はい。あっ、お客さんがいらしてるのでは――」
「ん?あぁ、春子ちゃん……白河のお嬢ちゃんが靴を履かずに出て行って……まぁ大丈夫だけん、気にせんとって」
「そうなんですか。わかりました」
住職さんは用意をすると言い、また奥へと戻って行く。
「茜、お墓にあげる水を汲んでくれへん?そこ出た所にバケツあるやん?お母さん、住職さんをここで待ちおる」
「ええよ」
お母さんに頼まれ、本堂の脇にあるバケツと柄杓を取り水を入れる。
「水道、全開にしてもかまわんのやろか……?」
バケツに水が溜まるのを待っていると、玄関の方からお母さんの声が聞こえた。
「茜!お墓の場所わかるやろ!」
「うん!先行っててや!すぐ行く!」
バケツに水を入れ過ぎて持ち上がらず、一度半分程捨ててからお母さん達の後を追った。
お墓は本堂の裏手の少し山を登った所にある。とは言え、徒歩1、2分の距離だ。
「ふぅ、まだ重いわ。これでも水入れ過ぎやん。もう少し捨てよか」
『――ちゃん、ごめんね――』
「お母さん、えぇよ。もう少し水捨てたら持てる思う……っていつの間に後ろに来たん?」
そう言いながら、私は後ろを振り返った。
「……え?」
――しかし私の後ろには誰もいない。
その声はか細く、今にも消えてしまいそうな声だったが、確かに聞こえたのだ。
「うそ……今の何……?お、お母さんっ!お母さん!」
私は持っていたバケツをほっぽりだし、慌ててお母さん達が待っているお墓に向かい走る!
山の中腹までの坂道を後ろを振り返らず必死で走りお母さん達に追いつき、声をかける。
「お母さん!お母さん!今ねっ!誰もいないのに後ろでお母さんの声が――」
お墓の前でお母さんが手を合わせ泣いている様に見える。
「お、お母さん……どうしたの……?」
「あぁ……茜……」
住職さんはお墓に手を合わせお経をあげ始めた。
「――菩提僧莎訶般若心経」
お経が終わるのを今か今かと待ち、矢継ぎ早にお母さんにさっき聞いた声の話をしようとする。
「お母さん!さっき後ろから――」
「茜……このお墓ね。お母さんの妹のお墓なの」
「後ろから声が聞こえ……え?妹……?」
今、お母さんが発した言葉にきょとんとしてしまうと同時に妙な脱力感を感じた。何だか軽く目眩もする。
お経を唱え終わった住職さんが振り返り、話しかけてきた。
「茜ちゃん。ここは亜弥さんの妹さんのお墓なんだよ。あなたの本当のお母さんの……」
「え?どういう事?本当のって何?お母さんここにおるやん……?」
住職さんは茜の言葉をよそに話を続ける。
「ちょうど15年前になるかな……。一人の女性がこの港の海で身投げをし、近くにいた方が海に飛び込み助けようとしたんよ……残念な事にお二人共、お亡くなりになられただけどね……。お腹には子供がおって――」
なぜかふいに、行ったこともない海の風景が頭の中で作られていく。
「え?え?言ってる意味がわからん――」
「茜……今まで黙っててほんまごめんな。私はあなたのお母さんの姉なんよ……」
「いやよ……二人共、何の……冗談……?もうやめてやっ!!」
足が震える。15年生きてきて、お母さんだと思っていた人が……本当の母親は目の前のお墓だって言われても……!!
「無理無理無理……」
頭の中がぐっちゃぐちゃになる……。冷静に落ち着こうとすればするほど震えが止まらない。
なのにさっきから、遠い記憶が邪魔をする。幼い頃に……私は……この海に何度か来たことがある気がする……!?
「亜弥さん、もう今日はもうこの辺で……茜ちゃんも混乱しちょうけん……ね。お茶でも淹れるけん、本堂へ来てごしない」
「住職さん……はい。色々とありがとうございました。茜、行きましょう」
そう言うと住職さんとお母さんは、本堂へ向かい歩き始める。
私は一人、お墓の前で呆然とした。持っていた花束をギュッと握りしめ、お墓に向かい話しかける。
「……お母さん?そこにいるの……?私の……お母さん……?」
『チリーン――』
風が吹き、住職さんの持っていた鈴が音を立て、境内に咲いていた赤い彼岸花が揺れた。
『茜ちゃん。ここは亜弥さんの妹さんのお墓なんだよ。あなたの本当のお母さんの……』
さっき住職さんが言った言葉が頭の中で何度も何度も繰り返される。
「もうやめてっ!!」
『チリーン――』
何かわからない強い衝動に襲われ、私はその場から逃げ出そうと走り出した。
………
……
…
気がつくと、なぜか私は記憶で見た防波堤に立っている。
『ビュウゥゥゥゥゥゥゥ!!』
強い風が吹き、潮風の匂いが脳を抜け、赤い彼岸花が揺れる。
「あの……すみません。春子さん?ではないですか?」
(どういう事?私そっくりな人が誰かと話してる……)
目の前に泣きじゃくる女性の姿があり、その女性に私のそっくりさんが話かけている。黒髪に白いワンピースの女性……今日の私の姿にそっくりだ。
くしゃくしゃの顔を袖で拭きながら女性は振り返り答えた。
「はい……春子です。あなたは?」
途切れ途切れに女性は答える。
「私は秋音……ようやくお会い出来ましたね、春子さん……」
(あっ!この人が住職さんの言ってた春子さん……そして私そっくりのもう一人の方が……秋音さん?)
そう言うと、秋音は私が持っていたはずの花束を海へ投げ入れた。
「15年前――私の母はここで自殺をしました。と同日、私は奇跡的に母が運ばれた病院で産まれました……」
住職さんが言っていた言葉を思い出した。遺体が上がったのは二人だったと……そしてお腹には子供が……。
「あの時、母の発見が少しでも遅かったら私はこの世に産まれていませんでした……春子さんのお母さんが大声を出して飛び込む姿を偶然、釣り人が見て警察に通報したそうです」
秋音は時々海を見ながら話を続ける。その声も仕草もどことなく私に似ていた。
「もちろん覚えてはいませんが、あなたのお母さんは私にとって命の恩人なのですよ」
そう言ってニコッと笑う秋音さんの笑顔も、鏡で見る自分の笑顔と重なって見える。
「私、一度だけでもいい『お母さん』て呼んでみたかったんです。産まれてから今までずっと一人ぼっちなんですよ」
秋音の問いに春子さんと呼ばれた女性は答える。
「そうね……私はもう一度、母さんに会ってありがとうって――」
『秋音ちゃん、茜ちゃん、ごめんね――』
(え!この声!また聞こえ――!?)
唐突に、あの声がまた聞こえたか思うと目の前が真っ暗になり私は気を失った。
『――ちゃん、ごめんね――』
「……ん……誰……?」
………
……
…
「……お姉ちゃんっ!お母さんが起きなさいって言うてる!お姉ちゃん!起きてやっ!」
「……は……夢……」
私の布団を引きはがし、体を揺さぶる妹。だんだんと意識がはっきりしだし、夢と現実の境目から現実世界へと引き戻される感覚がする。
「ん……起きた、起きた。美央、ゆすらんでや……」
「んもう!早く支度しいやっ!」
美央がバタン!と勢いよく部屋のドアを閉め、私は目をこすりながらカーテンを開けると朝日が部屋に入り込み、世界がオハヨウと言ってるようだった。
「オハヨウ世界……てまだ5時半やん……」
SNSで見たフレーズを言葉にしてなんだか急に恥ずかしくなり、目が覚めた。
――2011年9月23日、大阪。
今日はお母さんと妹の三人で、おばあちゃん家へお墓参りに行く予定だ。おばあちゃん家は島根にあり、毎年お母さんが車を運転して行くのだけど片道4時間程度はかかる。
妹の美央は昨日から一人ではしゃいでいるが、私は今年から高校生になり、美央と一緒になってはしゃぐのが少し子供ぽく思えてしまい平然を装っている。しかし内心、すごく楽しみにしていた。
今年のお盆はお母さんが仕事を休めなかったらしく、おばあちゃん家へは行けず諦めていたのだけど、お彼岸に合わせて泊りで行ける事になり数日前からわくわくしている。
もちろんお母さんにも美央にも悟られない様に、旅行カバンにはトランプや本をぎゅうぎゅうに詰めた。洋服はいつもは着ない白のワンピースでおめかしし、準備万端だった。
――午前8時。車は大阪の実家を出発して島根へと向かう。車内ではスピーカーから美央が選曲した曲が流れ、大声で歌う美央を隣の車の人が何事かと二度見していた。
「美央っ!ちょっと音量下げてや!隣の車の人が見とるやん!」
『〽いつかお母さんみたいに静かな優しさで――』
「ちょっと!!お母さんも美央に言ってや!」
「はいはい。美央、もうちょっと静かにしぃ」
『――家族になろうよ〜♪』
「……はぁい」
この年、テレビドラマの主題歌にもなった福山雅治さんの『家族になろうよ』が大ヒットし、至る所でこの曲を耳にしていた。美央はこの曲が大好きでいつも聞いていた。
――高速道路を1時間程走った頃には、はしゃいでいた美央も、朝早く起こされた私もいつの間にか眠ってしまった。
そして次に私が目を覚ます頃にはもう米子道を走っており、時折「米子」と書かれた看板が目に入る。ウトウトしながらお母さんに声をかける。
「お母さん……後どれくらいなん?」
「ん……1時間半くらいやな」
「わかった……」
『――ちゃん、ごめんね――』
「ええよ、お母さん……すぅすぅ……」
「ん……茜、何か言うたん?気のせい……か」
………
……
…
「海だぁ!!」
「美央!窓開けたら暑い言うたやん!もうっ!」
「お姉ちゃんも見てみ!海やで!ばっばん家はあの辺やろ!」
「見えとるわ!美央!暑い言うてるやろっ!」
「2人共、喧嘩はやめぇ」
「はぁい……」
車は米子道を降り、鳥取県の海岸沿いを走っていく。9月とは言えまだ残暑が厳しく、エアコン無しでは蒸し風呂状態だ。
そこから境港大橋を渡り島根県へ。さらに海岸沿いを走りようやく港町が見えて来る。
「もしもし、お母さん?うん。もうすぐ着くわ。茜と美央?あぁ、2人共元気が有り余っとるよ。うん、そしたら……」
お母さんがおばあちゃんに電話をし、車が目的地の駐車場に辿り着いたのは、お昼を少し過ぎた頃だった。
駐車場に着くとおばあちゃんがすでに出迎えに来てくれていた。1年ぶりに会うおばあちゃんは、相変わらず元気そうで笑顔がいっぱいだ。
「よう来たねぇ!美央ちゃん大きいなって!茜ちゃんもおせになって!亜弥、あんたもお疲れさん」
「ばっば!」
「おばあちゃんお久しぶりです」
「お母さん、ただいま。はぁ、疲れたわ」
荷物を車から降ろすと、早速美央がおばあちゃんと手を繋ぎ早く行こうとせかす。
(亜弥、茜ちゃんには……?)
(お母さん、その話は後で……)
おばあちゃんとお母さんが何やら小声で話しているのが聞こえた。私のこと?と、気にはなったが美央にせかされ、聞けずじまいでそのままおばあちゃん家へと向かう。
「ねぇ、茜。先にお寺さんに用事があるんよ、付いて来てくれへん?」
「お母さん。うん、ええよ」
「美央も行くっ!」
「あだん!美央ちゃんは、ばっばと先にお昼ご飯でも食べらか!」
「美央お昼ご飯でも食べるっ!」
「そげかそげか。美味しい《《のやき》》もあぁけんね」
美央は食べ物に釣られ、お母さんと私はお寺さんへ行く準備をする。おばあちゃんがお母さんに線香と一束の花を渡した。
「お母さん、私が花持つよ」
「茜、ありがとう。ほんなら、お母さん行って来るわ」
「あぁ、気付けてな。美央ちゃんと留守番しちょくけん」
「お母さん、お姉ちゃん、いってら!ねぇ!ばっば――」
私はお母さんの後を追い、お寺さんへと向かう。お寺さんはおばあちゃん家からすぐである。お母さんは日傘を差しているが、私はすぐそこまでなので必要無いと思い、お花を大事に持った。
お寺さんに上がる参道の途中で綺麗な真っ赤な花が目に止まる。
「お母さん、このお花は何て言うお花なん?」
「あぁ、そう言えばいつもお盆に来る時はまだ咲いて無いわ。これは彼岸花て言うんよ」
「彼岸花?」
「そう、彼岸花。花言葉は……何やったかな。覚えてないわ」
「ふぅん……」
あまりに綺麗な花だったので、携帯で写真を撮っておく。後で美央にも教えてあげよう。
お寺さんに着くと、本堂横の住職さんが住んでいる家へ行きインターホンを鳴らす。
『ピンポーン』
「お母さん、靴あるやん?誰かお客さんいてるんやろか?」
「そうやね、お客さん来てるかもしれへんな……」
「はいはい!お待たせしました!」
廊下をバタバタと走りながら住職さんが現れた。
「こんにちは。立花です。今日はお世話になります」
「あぁ!亜弥さんいらっしゃい!茜ちゃんも元気そうで良かった……。すぐ用意するけん、ちょっこうまっちょって」
「はい。あっ、お客さんがいらしてるのでは――」
「ん?あぁ、春子ちゃん……白河のお嬢ちゃんが靴を履かずに出て行って……まぁ大丈夫だけん、気にせんとって」
「そうなんですか。わかりました」
住職さんは用意をすると言い、また奥へと戻って行く。
「茜、お墓にあげる水を汲んでくれへん?そこ出た所にバケツあるやん?お母さん、住職さんをここで待ちおる」
「ええよ」
お母さんに頼まれ、本堂の脇にあるバケツと柄杓を取り水を入れる。
「水道、全開にしてもかまわんのやろか……?」
バケツに水が溜まるのを待っていると、玄関の方からお母さんの声が聞こえた。
「茜!お墓の場所わかるやろ!」
「うん!先行っててや!すぐ行く!」
バケツに水を入れ過ぎて持ち上がらず、一度半分程捨ててからお母さん達の後を追った。
お墓は本堂の裏手の少し山を登った所にある。とは言え、徒歩1、2分の距離だ。
「ふぅ、まだ重いわ。これでも水入れ過ぎやん。もう少し捨てよか」
『――ちゃん、ごめんね――』
「お母さん、えぇよ。もう少し水捨てたら持てる思う……っていつの間に後ろに来たん?」
そう言いながら、私は後ろを振り返った。
「……え?」
――しかし私の後ろには誰もいない。
その声はか細く、今にも消えてしまいそうな声だったが、確かに聞こえたのだ。
「うそ……今の何……?お、お母さんっ!お母さん!」
私は持っていたバケツをほっぽりだし、慌ててお母さん達が待っているお墓に向かい走る!
山の中腹までの坂道を後ろを振り返らず必死で走りお母さん達に追いつき、声をかける。
「お母さん!お母さん!今ねっ!誰もいないのに後ろでお母さんの声が――」
お墓の前でお母さんが手を合わせ泣いている様に見える。
「お、お母さん……どうしたの……?」
「あぁ……茜……」
住職さんはお墓に手を合わせお経をあげ始めた。
「――菩提僧莎訶般若心経」
お経が終わるのを今か今かと待ち、矢継ぎ早にお母さんにさっき聞いた声の話をしようとする。
「お母さん!さっき後ろから――」
「茜……このお墓ね。お母さんの妹のお墓なの」
「後ろから声が聞こえ……え?妹……?」
今、お母さんが発した言葉にきょとんとしてしまうと同時に妙な脱力感を感じた。何だか軽く目眩もする。
お経を唱え終わった住職さんが振り返り、話しかけてきた。
「茜ちゃん。ここは亜弥さんの妹さんのお墓なんだよ。あなたの本当のお母さんの……」
「え?どういう事?本当のって何?お母さんここにおるやん……?」
住職さんは茜の言葉をよそに話を続ける。
「ちょうど15年前になるかな……。一人の女性がこの港の海で身投げをし、近くにいた方が海に飛び込み助けようとしたんよ……残念な事にお二人共、お亡くなりになられただけどね……。お腹には子供がおって――」
なぜかふいに、行ったこともない海の風景が頭の中で作られていく。
「え?え?言ってる意味がわからん――」
「茜……今まで黙っててほんまごめんな。私はあなたのお母さんの姉なんよ……」
「いやよ……二人共、何の……冗談……?もうやめてやっ!!」
足が震える。15年生きてきて、お母さんだと思っていた人が……本当の母親は目の前のお墓だって言われても……!!
「無理無理無理……」
頭の中がぐっちゃぐちゃになる……。冷静に落ち着こうとすればするほど震えが止まらない。
なのにさっきから、遠い記憶が邪魔をする。幼い頃に……私は……この海に何度か来たことがある気がする……!?
「亜弥さん、もう今日はもうこの辺で……茜ちゃんも混乱しちょうけん……ね。お茶でも淹れるけん、本堂へ来てごしない」
「住職さん……はい。色々とありがとうございました。茜、行きましょう」
そう言うと住職さんとお母さんは、本堂へ向かい歩き始める。
私は一人、お墓の前で呆然とした。持っていた花束をギュッと握りしめ、お墓に向かい話しかける。
「……お母さん?そこにいるの……?私の……お母さん……?」
『チリーン――』
風が吹き、住職さんの持っていた鈴が音を立て、境内に咲いていた赤い彼岸花が揺れた。
『茜ちゃん。ここは亜弥さんの妹さんのお墓なんだよ。あなたの本当のお母さんの……』
さっき住職さんが言った言葉が頭の中で何度も何度も繰り返される。
「もうやめてっ!!」
『チリーン――』
何かわからない強い衝動に襲われ、私はその場から逃げ出そうと走り出した。
………
……
…
気がつくと、なぜか私は記憶で見た防波堤に立っている。
『ビュウゥゥゥゥゥゥゥ!!』
強い風が吹き、潮風の匂いが脳を抜け、赤い彼岸花が揺れる。
「あの……すみません。春子さん?ではないですか?」
(どういう事?私そっくりな人が誰かと話してる……)
目の前に泣きじゃくる女性の姿があり、その女性に私のそっくりさんが話かけている。黒髪に白いワンピースの女性……今日の私の姿にそっくりだ。
くしゃくしゃの顔を袖で拭きながら女性は振り返り答えた。
「はい……春子です。あなたは?」
途切れ途切れに女性は答える。
「私は秋音……ようやくお会い出来ましたね、春子さん……」
(あっ!この人が住職さんの言ってた春子さん……そして私そっくりのもう一人の方が……秋音さん?)
そう言うと、秋音は私が持っていたはずの花束を海へ投げ入れた。
「15年前――私の母はここで自殺をしました。と同日、私は奇跡的に母が運ばれた病院で産まれました……」
住職さんが言っていた言葉を思い出した。遺体が上がったのは二人だったと……そしてお腹には子供が……。
「あの時、母の発見が少しでも遅かったら私はこの世に産まれていませんでした……春子さんのお母さんが大声を出して飛び込む姿を偶然、釣り人が見て警察に通報したそうです」
秋音は時々海を見ながら話を続ける。その声も仕草もどことなく私に似ていた。
「もちろん覚えてはいませんが、あなたのお母さんは私にとって命の恩人なのですよ」
そう言ってニコッと笑う秋音さんの笑顔も、鏡で見る自分の笑顔と重なって見える。
「私、一度だけでもいい『お母さん』て呼んでみたかったんです。産まれてから今までずっと一人ぼっちなんですよ」
秋音の問いに春子さんと呼ばれた女性は答える。
「そうね……私はもう一度、母さんに会ってありがとうって――」
『秋音ちゃん、茜ちゃん、ごめんね――』
(え!この声!また聞こえ――!?)
唐突に、あの声がまた聞こえたか思うと目の前が真っ暗になり私は気を失った。