お寺さんで両親のお墓に手を合わせ、私は予約していた宿へと向かう。一泊し、明日大阪へと帰る予定だ。
宿へ行く途中で、嫌でも長年住んでいた実家が見えて来た。ずっと避けて来た嫌な思い出しか残っていない場所。
ところが、ずっと思い込んでいた嫌な思い出が薄れている事に気付く。それは空き家になって15年経ったであろう実家の前で立ち止まった時だった。その表札が懐かしく、当時の思い出が蘇る。
「……ただいま」
私は自然と当たり前の様に建物に入る。壊れた玄関のドアには『危険!立入禁止』の張り紙があったが、色あせ、破れていた。
建物は古くなり、床も所々抜けている。人が住まないと建物の傷みは早いと聞いた事がある。室内には何も残っていなかった。親戚と近所の方が大事な物以外、全部処分したのだろう。
畳は腐り、ほこりと木の腐敗臭が鼻をつく。
カタン……
「誰かいるの……?」
台所で物音がした。土足のまま恐る恐る廊下を歩く。ミシッというきしむ音が響き、実家のはずなのに薄気味悪さを感じる。すると、台所でまた物音がした。
「にゃぁ……」
「ひっ!?」
思わず声が出てしまう。虎柄の猫が台所の出窓からこっちを見ていた。
「何だ……猫さんか……。びっくりしたぁ……」
「にゃん?」
猫は不思議そうに首をかしげると出窓から外へと逃げて行った。ほっと胸を撫で下ろし、玄関へ戻ろうとすると割れた窓から日が差し込み、一本の柱を照らしている。私はその柱に近付き愛おしくそっと撫でた。
「そっか……君はずっとここで待っててくれてたのか。そっかそっか……」
手をよけるとそこには柱に刻まれた身長が書いてあった。
――小学一年、小学二年……それは高校二年までありそこで終わっている。
18歳の誕生日をこの家で過ごす事なく、親戚に引き取られたのだ。あれからようやくこの場所に戻って来れた気がした。
「ん?さっきの猫ちゃん?」
誰かの視線を感じ、振り返り出窓を見るが先程の猫の姿はない。
「……誰かいるの?」
「……」
どきどきしながら声をかけるが、静まり返った家には人影はなくもちろん返事もない。
「そ、そろそろ行こうかな……」
最後に表札だけ写真を撮り、実家を後にする。
それから近所の青井のおばちゃんちにも寄り、小一時間話を聞かされ、宿に着く頃には日も傾いていた。
しかし宿に着いたら着いたで、知ってる人達がロビーで待ち構えていた。狭い港町である。青井のおばちゃんが近所でしゃべったのだろう。その姿が目に浮かぶ。
部屋で落ち着く頃にはヘトヘトだった。スマホを見ると、夫からの着信もあった。
電話をするのも億劫でメールで返信をする事にした。田舎ならではかもしれない。電波が悪く、スマホを振ってみたりするが送信失敗で返って来る。何度かそんな事をしているうちにまぶたが重くなりウトウトと眠ってしまった。
――夢の中で母さんは笑っていた。隣には父さんもいた。三人が元気で楽しく暮らしていた時間は短かったのかもしれない。でも私の思い出はもう悲しいものではなく、笑顔の三人の思い出に上書きされた。
「ただいま。母さん、父さん……」
………
……
…
どのくらい眠ったのだろう。時計を見ると23時になっている。
私に掛け布団がかけてあり、テーブルには置き手紙があった。
『良くおやすみでしたので起こしませんでした。夕食はご入用でしたらフロントへお声がけ下さい』
「あぁ……しまった。寝入ってた……」
携帯にも夫からメールがあり、先に返信を済ませる。フロントへ行き、夕食は大丈夫ですと伝えると、遠慮しないで――と、おにぎりと味噌汁を用意してくれた。
ロビーにあるテーブルで夜食を頂き、外を見ると海に反射した月が目に入った。
「あの、すいません。ちょっと散歩したいのですが入口は何時まで開いてますか」
「24時間大丈夫ですよ、部屋の鍵だけお預かりしますね」
「わかりました。少し散歩して来ます」
「はい、気を付けて」
私は宿を出ると、海に映る月を眺めながら海岸を歩く。特に行く宛も無かったが、懐かしい故郷を久しぶりに歩きたくなったのかもしれない。
そのまま海岸沿いを歩いて行くと、防波堤に辿り着いた。海は凪、月が海面に映り美しい夜だった。
そのまま防波堤に座り、潮風を感じる。
「ここにも小さい頃は良く来たなぁ……」
母さんが亡くなってからは避けて近寄らなかった場所。だけど本当は父さんと魚釣りをしたり、母さんに恋愛相談をしたり、思い出の場所でもあった。
そんな思いにふけっていると、防波堤の入口から女の子の声が聞こえる。こんな夜更けに?そう思い、目を凝らし女の子を見つめる。
何かを探しているのだろうか?キョロキョロしながら歩いて近付いて来る。
「猫ちゃぁん、どこ行ったぁ……猫ちゃ……」
「………あのぉ」
「はひっ!」
猫を探している様子の女の子に声をかけた。深夜に一人でこんな場所に来て海にでも落ちたら危ない。
「あっ、ごめんなさい、驚かせて。猫ちゃんを探しているのですか?」
「は、はい!」
「こっちには来てませんよ」
「そ、そうですか!すいません!お邪魔しました!」
実家で見た虎柄の猫さんかな?そう思ったが、慌てる女の子がかわいく、ちょっといたずらをしてみたくなった。
「ねぇ、あなた……私のことが見えるの?」
猫を探して帰ろうとする女の子はその場でそのまま硬直し、動かない。
「あぁ……あ……」
声が出ないくらい驚いたのだろうか。少しやりすぎた、と反省する。
「ふふ、冗談よ。ねぇ、こっちに来て少しお話しない?」
「は?……もうっ!ビ、ビックリさせないでくださいっ!」
「あははっ!ごめんごめん!私は春子。あなたのお名前は?」
「……美央です」
「いくつ?」
「12です」
「春樹の1個下かぁ……」
「1個下です。春樹?」
「えぇ、私の子供――」
「ふぅん……」
しばらく美央ちゃんとそんな話をし、家まで送る事にした。美央ちゃんも母親と姉と大阪から来ているそうだ。
これも何かの縁かな……?その時はなぜかそう思い、連絡先を交換した。またいつか会う事もあるかもしれない。
…
……
………
――翌日、あの日と同じ様に一人バス停でバスを待つ。すると通りかかった近所のおばちゃん達が手を振ってくれた。私も手を振り返す。
「また帰っておいで!」
「はいっ!」
18歳の私はもういない。あの日、このバス停で一人ぼっちだった私はようやく大人になった。
――それから毎年お彼岸になると、私はこの田舎の港町に帰ってくる。
お寺さんにはいつも綺麗な『白の彼岸花』が咲きほこり、秋風になびく……。
帰りの電車の中で花言葉を調べる。白の彼岸花の花言葉は「また会う日を楽しみに」だそうだ。今の私にはぴったりの花言葉だった。
「母さん、父さん……また会う日まで……さようなら」
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この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。