新学期が始まった。クラスのあちこちで思い出話に花が咲いている。
 奏太はそれどころではなく、自分の席で頭を抱えていた。
(昨日告ってきたやつとどんな顔して会えばいいんだよ?)
「おはよー」
 教室の後ろから聞き慣れた声が聞こえてくる。近づく足音におそるおそる振り返ると、朔斗が立っていた。
「おはよう」
「お、はよう」
 朔斗は至っていつも通りで、自分だけぎこちない顔になった気がした。
「昨日、作ったしおりとか置いてっちゃってごめん。あれどうした?」
「え? あぁ、空いてるロッカーに入れといた」
「そっか、わかった。ありがとう」
 朔斗はそれだけ言って席に戻っていった。
(それだけ? き、昨日のことは何も言わないのかよ?)
 奏太はまた頭を抱える。朔斗が何を考えているのか分からなかった。

「おっす! 久しぶり」
 丸まっていた背中を叩いてきたのは、少し日に焼けた中村だった。
「おう……おはよう」
「どうした? 初日からしょぼくれてんな」
「そういうわけじゃないけど……」
「ふーん。ま、なんでもいいけど。そういやお前、昨日朔斗と2人だけで文化祭の景品作りしてたんだって?」
 中村の言葉に気が動転する。
「え? なんで知って……いや、ていうか、別になんもなかったし──」
「ん? 同じ班のやつから聞いただけだけど。お前何そんなに慌ててんの? ま、ご苦労さんだったね」
 挙動不審な奏太に呆れて笑う中村は、奏太の肩をぽんぽん叩いて去っていく。

 また1人になると、奏太は何をすればいいのか分からなくなる。だがその視線は、つい朔斗に吸い寄せられた。頬杖をついて周りを眺めている朔斗の表情は読み取れない。
(今、何考えてる?)
 見つめ続けていたらいつか気づかれる。そう分かっていても、見つめてしまう。
(頭の中が見えたらいいのに)

 おもむろに姿勢を変えた朔斗と目が合った。
 2人の中間地点で、パチッという音がした。
 お互い同時に目を逸らす。

 悪いことをしたわけではないのに、うっすらと冷や汗をかく。心臓もいつのまにか大きく揺れている。
(確かに、昨日、朔斗の笑う顔がいいなとは、思ったよ。思ったけど、それだけだよ? 親友なんだから、笑顔が好きだってことぐらいあるだろ──)

『俺、奏太の笑ってる顔が好き』
 昨日の朔斗の言葉が脳裏に浮かぶ。
『俺だけを見ててほしい。俺だけに笑ってほしい』

 朔斗に好きだと言われて、嬉しくないわけではなかった。
 「好き」の意味が、自分のものと違うことに戸惑っただけだった。
(そういえば、朔斗はいつから俺のこと、『好き』でいてくれたんだろう)

『奏太!』
 夏祭りで自分を呼ぶ朔斗を思い出す。
 朔斗は、泣いているような、怒っているような、そんな顔をしていた。
 初めて見る表情に、奏太の中には、驚きと同時に不安が押し寄せたのだった。
(あの時は、俺のせいで、あんな顔してたのか? もしそうなら、もうあんな顔させたくないな)

 朔斗の笑顔を思い出してみようとする。すると、バスケ部の友人たちと話していた時の顔が思い浮かんだ。
 いつも静かに笑う朔斗が、彼らと一緒に声を出して笑っている。
 夏の蒸し暑さが、より一層じめじめと身体にまとわりつき、色の混ざったかき氷は濁っているようだった。
(俺といる時には、あんなに笑ってるとこ見たことない)
 あの時奏太は、どこか悔しさを感じながら、朔斗の笑顔を見つめていた。
(俺の隣で、俺にだけあの笑顔を見せてくれたらな──)

 奏太は勢いよく立ち上がった。ガタンと鳴る椅子に、数人の生徒が振り返った。

(同じだ。朔斗が言ってたことと、同じだ)
 周りの生徒につられて振り返った朔斗と再び目が合う。
 今や気まずく視線を逸らす必要がなかった。見つめ続ける奏太に、朔斗の方がどきまぎしているのが見えた。
(俺も、朔斗のこと、好きなんだ)
 いつのまにか冷や汗は引いていたものの、今度は体内からの熱で汗をかきそうだった。激しい鼓動で心地よく胸が詰まるのを感じる。

(てことは、俺ら、両想い……?)
 気持ちを落ち着かせるために椅子に座り直す。
 自分の隣に立つ朔斗を想像する。誰に見せたこともない眩しい笑顔を浮かべ、奏太とそっと手を繋ぐ──

 ふと、火照った顔がにやけていることに気づいた。
 奏太は慌てて表情を戻し、とりあえず携帯を開いてみた。しかし、ふわふわと無駄に動く指が画面に大量の情報を流していくのに、視線はそこを上滑りするばかりで、何も頭に入ってこなかった。
 奏太は携帯を見るのを諦め、顔を上げる。
 視界の真ん中に入ったのは、朔斗だった。黒く艶のある後頭部が、急に愛おしく感じられた。
 奏太は、好きという感情に気づけた喜びと、一番の親友である朔斗と、それ以上の関係になれるかもしれない期待に、高揚感を覚えていた。