やはり文化祭の準備は計画通りに進まず、夏休み最終日にまで学校に来るはめになった。
 朔斗は蒸しかえっている教室のクーラーをつけた。
(涼しくなるまで動けない……)
 風が一番届く席に座り、部屋が涼しくなるのを待つ。

「よっす。今日もあっちーなぁ!」
 聞き慣れた声に振り向く。教室に入ってきた奏太は、あごから落ちかけた汗をぬぐった。
「おはよう、他のみんなは今日来れないみたいだね」
「おはよ。ま、仕方ない。計画には入ってない日にちだったし」
 それぞれ、持ってきた材料や道具を机に広げていく。
「さっ、サクッと終わらせてさっさと帰ろうぜ!」
 残っているのは、来場者に参加賞として渡すしおりとミサンガを作る作業だけだ。数は多いが、作業自体は難しくない。
(奏太に会えるなら、こんなめんどくさい仕事も許せるな)
 朔斗はのんきなことを考えながら、手を動かし始めた──。


「だぁー! やっと終わったー!」
 夕方になってようやく、必要な数を作り終えた。奏太は両手を上にぐっと伸ばし、全身で伸びをしている。単純作業を何百回も繰り返すだけの仕事は想像よりもきつく、2人とも体力よりも精神を削られていた。
「なんとか間に合ったね。疲れた……」
「おう。疲れたけど、終わってよかった! でも、明日からもう2学期か。早いな……」
 一仕事終えてすっきりした顔をしつつも、あからさまにしょげている。
(こんな風にずっと一緒に作業するような日はなくなるけど、また毎日会えるんだな)
 朔斗は嬉しくて笑顔になる。奏太もまた、笑いながらこちらを見ていた。
「夏休み、楽しかったか?」
「うん、楽しかった。花火の日とか」
「確かに! 花火よかったよな!」

 窓の方に動いた奏太の視線が、ある方向でぴたりと止まった。
「うわ! すげぇ、見て見て! 鳥がびっしり並んでる!」
 まっすぐ窓の外を指す指の先を目でたどると、電線に鳩らしき鳥が所狭しととまっているのが見えた。
 たしかにあまり見かけない光景だが、これといって特別なものでもない。自分1人で見つけていたら、すぐに興味を失って視線を外していただろう。いつもならつまらないと思う光景も、奏太といると、忘れたくない光景に変わることに気づく。
 無邪気にはしゃぐ奏太の子どもっぽさがかわいくて、やはりその笑顔が愛おしかった。
 無意識のうちに奏太を見つめ、笑みがこぼれただけだった。ふと気づくと、少し驚いたような顔でこちらを見る奏太と目が合った。
 ぱっと視線を逸らされる。
「どうした?」
「い、いや、なんでもない」
 下を向いた奏太のまつげが、素早いまばたきに合わせてきらめく。
(なんか焦ってる? なんで奏太と目が合った時の俺みたいな動きしてるんだ?)
 奏太が急に立ち上がった。
「いやー、今日もがんばったな! 天気もいいし、空気もおいし……いやおいしくはないか、ははっ……なぁ!」
(もしかしたら、奏太も……?)
「……うん、おいしくはない」
「ははっ、だよな! ははっ……」
「…………」
 訪れる沈黙。

(言うなら、今なんじゃないか?)

 頭の中で誰かが言った。と同時に、心臓が跳ねた。
(今? まだ心の準備ができてないし、奏太の気持ちに確信持ててない)
(でも、今は2人っきりだから、言える。今の反応、最近の俺と一緒だったじゃん)
 心拍数の急上昇についていけず、胸がジリッと痛む。
(まだ告白するタイミングじゃないかも)
(でも……言いたい)

(今、伝えたい)

 胸と喉の間くらいで、伝えたい言葉が熱を帯びて膨らんだ。
 聞こえないように息を深く吸って、うろちょろと机の間を縫って歩く後ろ姿に、呼びかける。
「…………ねぇ」
 肩をびくっと動かし、奏太がぱっと振り返る。
「うん? なにっ?」
 くりりと見開かれた目が泳ぎながらも朔斗を捉える。
 頭の中で心臓の鼓動が鳴り響き、奏太が何と言ったかなど聞こえてはいなかった。

「……っ」
 言葉は喉につっかえ、せっかく吸った息を吐くこともできない。
(言え、言える────)
 身体の中に詰まっていた熱源を、狭い喉から絞り出した。

「好っ……きだ。俺、奏太のこと、好き」

「ほぇ⁈」
 言い出した途端、喉から解放された熱が顔と耳に広がる。だが、動き出した舌は止まらない。
「俺、奏太の笑ってる顔が好き。俺以外の誰にも見せたくないくらい。だけど、その顔をみんなに自慢してやりたいんだ」
「え、え? 待って、なんか、矛盾してないか?」
「……奏太には、俺だけを見ててほしい。俺だけに笑ってほしい。俺だけ見てる奏太の笑顔なら、みんなに見せてもいい。それって、好きってことだし、付き合いたいってことだと思ったんだ」
「えぇ? ……え?」
 今となってはまっすぐにこちらを見つめる視線に、身動きができなくなる。
(このせいで、親友じゃなくなるのは、嫌だな)
 ふとよぎる不安に、足元がぐらつく。
(でも、そんなの今さらだ。進むしかない)
「急がないし、せかさないけど、返事はほしい。待ってる」
「お、おう……」
「あっ、明日からも、親友なのは、変わらないから」
「おう……」
 まだ言い忘れたことがあるようなのに、もう何を言ったらいいか分からなかった。
(もう、限界だ)
 奏太と目を合わせることさえできなくなり、カバンをひっつかんで教室のドアに向かう。机の角に太ももをぶつけても、痛いかどうか分からなかった。
 幸か不幸か、奏太には呼び止められず、廊下に出た瞬間に走り出す。
 この荒い息は走っているせいだと、誰にともなく言い訳していた。