358日〜365日 「最期の日まで、あと……」



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朔夜side




父さんの死から約2ヶ月後。




俺たちは春休みに入った。




バレンタインには唯鈴からチョコレートをもらったりして、何気ない幸せな日々を過ごしていた……




と、思っていた矢先。




唯鈴が、吐血はしていないものの、夜リビングで突然意識を失って、入院することが決まった。




またか………原因不明だからこそ、余計に心配だ……




大きな不安を抱きながら、俺は病院へ通い続けた。




唯鈴は、倒れた日の翌日の朝にはすぐ目を覚ました。




それを知って、俺は売店でゼリーを買ってから会いに行くことにした。




唯鈴の好きないちごゼリー。




病室で一緒に食べるために、俺の分も買っていく。




病室がどこか母から聞いていなかったので、受付で聞くことにした。




「あの、遠永唯鈴の病室って……」




「少々お待ちください」




そして少ししてから出てきたのは、唯鈴が倒れた時にいつも世話になっている看護師だった。




久しぶりに会ったな……




そんなことを考えていると、病室は233号室だと看護師から伝えられた。




2階まで上がり、その白い扉をスライドさせると、ベッドの上で窓の外を眺めている唯鈴がいた。




その窓からは、桜の木がよく見える。




「唯鈴」




「朔、来てくれたのね。それは……いちごゼリー?2つも食べたらお昼が食べられなくなるわよ?」




唯鈴は、自分のものなんてなくて当たり前のようにそう言った。




やめろよ……お前は、ここにいるんだから。




「ばーか、1つはお前のだよ」




「あら、ありがとう」




いちごゼリーを1口食べて、唯鈴は言う。




「桜が咲き始めたわね……」




「そうだな」




「綺麗……」




まだ満開じゃないけどな。




そう思ってしまう自分の頭には毎度夢がないと思う。




どうにかなんねぇかな、と思っていると、唯鈴は遠い目をして話し始めた。




「私、この1年でたくさんのことを知れたわ。それは朔たちのおかげよ、ありがとう」




「なんだよ、改まって」




「何気ない日常があるのは、とても幸せなことね」




「言ってることおばあちゃんみたいだぞ?」




「そうね……おばあちゃんとも、言えるわ」




何言ってんだ、こいつ?




その時は、その程度にしか思っていなかった。




でも、翌日も続く唯鈴の不思議な発言に、俺は明確な違和感を覚えた。




「朔、朔はこの1年間、楽しかった?」




「ん?ああ」




「そう……なら、良かった」




安心しきったような唯鈴の声は、終わってしまう日常を惜しむかのようにゆっくりと発せられた。




やっぱりおかしいと、そう思った。




そのまた翌日。




俺が病室に入ると、唯鈴は咄嗟に何かを隠した。




「絵でも描いてたのか?」




「……ええ」




「さては下手な絵を俺に見られたくなかっ……」




俺は、あることに気がつく。




こいつの手首、前より細くなってねぇか?




ただでさえ細いのに、これ以上細くなったら……




改めて見てみると、顔周りも少し痩せた気がする。




「唯鈴、ちゃんと飯食ってんのか?」




「?ええ、食べているけれど、どうして?」




多分、ただ単純に痩せたのではないだろう。




あまりいい話では無い。




唯鈴には話さないでおこう。




「いや。ただ病院食がどんなもんか気になっただけだ」




それが、その時の俺にとっての最大限の言い訳だった。




そんなことをしていると、無表情の唯鈴に俺は甘えてしまっているのではないかと思うことがある。




感情が読み取れないことをいいことに、唯鈴の深いところまで知ることを怖がっている自分の存在。




そんな俺が、唯鈴に何かをしてあげられたことは今まで何度あったか。




こんなことになる前にしてあげられることはもっとあったと後悔する。




「病院食はまぁまぁよ。もちろん椿さんの料理の方が何倍も美味しいわ」




そんなことを言っている唯鈴は、いつものように無表情だ。




でも、入院してから、唯鈴はあまりに笑わなすぎだと思う。




高校生活を楽しんだり、家でゲームをしたりと努力して、入院する前までは一日に1回は笑えるようになっていたのに。




でも、長いまつ毛が目立つ綺麗な横顔を見ていると、ついつい見惚れてその違和感を忘れてしまう。




そしてその次の日、そのまた次の日も、唯鈴は無表情のままだった。




そしてやってきた3月30日。




俺は夜までずっと唯鈴の病室にいた。




ここ最近おかしい唯鈴がどうしても心配で、出来ることが長時間唯鈴といることだけだったのだ。




それに加えて今日は、唯鈴の目がどこか赤く見えた。




なんでだ……?




不思議に思いながらも他愛のない会話を続けたり、心地よい沈黙が続いたり。




そうしていると、あっという間に夜の8時がやってきた。




今日も笑ってくれなかったな……




そう思っていると。




「朔」




「ん?」




「月が綺麗ね……」




ベッドに横たわったまま、唯鈴はそう言った。




『月が綺麗ですね』




いつかの文豪が、「I love you」を「愛している」ではなく、月が綺麗ですねと訳して出来た言い回し。




返しのひとつにこんなものがあった。




確か……




「死んでもいい……」




「…………」





233号室に、不思議な空気が流れる。




窓は少し開いていて、そこから風が出入りしている。




真っ暗な外に対して明かりを放っているこの部屋は、空から見たら月光と同じくらい輝いているのだろうか。




そう思うと、唯鈴が月光のごとく夜に溶け、風に乗って飛んでいってしまいそうで無意識に呟く。




「行かないでくれ………」




気づけば俺は涙を流していた。




唯鈴はというと、まだ8時過ぎなのにいつの間にかもう眠りについていて。




俺はなぜか家に帰る気になれず、その日は病室で夜を明かすことにした。







翌日。




目を覚ますと、時計の針は昼の12時を指していた。




は!?




と、思わず大きな声が出そうになる。




12時?




こんな遅くに起きたこと、今まで1回もねぇんだけど……?




そして、まだ唯鈴も目を覚ましていないことを不自然に思う。




すると、病室のドアが開く音がした。




この部屋は個室だ。




入ってくる人は限られている。




振り返ると、そこにいたのはあのいつもの看護師だった。




「お目覚めになられましたか?」




「え、あ、俺は、はい……」




返事を聞くなり、その看護師はポケットからあるものを取り出した。




これは……手紙?




封筒には、ワスレナグサのイラストが描かれている。




看護師は、この手紙についての説明をし始める。




「これは、昨日の早朝、私が唯鈴さんから託されたものです。明日、朔に渡して欲しい、と」




唯鈴がこれを……?




それに、託すってなんだよ……




もう、終わりみたいな言い方……




俺が戸惑っていると、看護師は俺に頭を下げて言った。




「お願いします。どうか、この手紙を読んで頂けないでしょうか?」




俺はすぐさま看護師から手紙を受け取った。




その時、病室のドアがまた開いて、真琴たち3人が息を切らしてやってきた。




なんで……




でも、そんなこと気にしていられないくらい、心臓の鼓動がうるさい。




震える手でなんとか中身を取り出し、その文量の多さに驚く。




唯鈴の字……




目を泳がせながら、最初の一文に目を通す。




俺の左頬を、一粒の雫が滑り落ちた瞬間だった。










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唯鈴side




また、倒れてしまった。




もう今回が最期なのね。




この1年、朔たちと過ごせてとても楽しかった。




人間らしく生きられたかしら?




振り返ってみると、私は朔に甘えてばかりだった。




あなたと一緒に生きられることが嬉しくて、ついついわがままを言ってしまって……




でもあなたは、いつも私のことを第一に考えてくれた。




私のお願いを聞いてくれなかった時は、私の体調が関わっている時だったから。




たかだか、私の命。




最初から制限があった、私の命。




“私たち”にとって、決めた人のために命を手放すのは、使命であり、喜ぶべきこと。




なのに……まだ、生きたいなんて。




望むことは許されない。




愛する人と一緒に居たいだけなのに……と思う時もあったけれど、あなたが笑う度に、私は救われた。




あなたの笑顔は、私の判断は間違ってなかったのだと思わせてくれるから。




例え制限があったとしても、これだけの時間をあなたと一緒に過ごせた。




それだけで、もう十分よ。




あなたが私にくれたものは数え切れないほどある。




でも、あなたはそのことに気がついていないんでしょうね。




大丈夫、安心して。




信じて待ってくれていたあなたに、やっと伝えられる。




随分長くなってしまったけれど、どうか最後まで読んで欲しい、知って欲しい。




私の、あなたへの愛する気持ちを──。