197~198日 前編 「真紅」



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朔夜side




あっという間に秋がやってきて、2日後には体育祭という時期にまでなった。




数週間前、誰がどの競技に出るのかを決めた。




俺は代表リレーと騎馬戦で、唯鈴は玉入れと大縄跳びに出場することになった。




玉入れと大縄跳び……運動音痴の唯鈴にとってはまだマシな競技だな。




そして今日、唯鈴は珍しくポニーテールをしている。




なぜなら、今日は体育祭のリハーサルが行われる日からだ。




初めての体育祭だ、とやる気満々で、それが髪型にも現れたようだった。




うちの学校の体育祭では、各学年6クラスあるのを3つに分け、1・2組が赤団、3・4組が青団、5・6組が黄団となって対決する。




2組の俺たちはもちろん赤団。




ハチマキを巻いて、開会式から全てを通す。




「みなさん、おはようございます」




その校長の一言からリハーサルが始まり、各団本番のように気合いを入れている。




その気持ちに応えるように、空は快晴だ。




開会式を終え、自分のクラスのテントに集まる。




プログラム表を見ながら座っていると、唯鈴が声をかけてきた。




「朔」




「お、まだちょっと時間はあるが、最初の競技玉入れだろ?頑張れよ」




「ええ」




何気ない会話。




でも、そんなやり取りを疎ましく思っているやつがいるなんて、その時の俺には気づく気配すらなかった。




そのまま時間は経ち、現在、玉入れと綱引き、障害物競走の3種目を終え、1番点が高いのは青団。




俺たち赤団は2位だ。




そしてその現状を見た唯鈴は、こう口にした。




「ねえ朔、私今、胸が高鳴って熱いのだけど……これはなんと言う気持ちなの?」




今となってはもう、唯鈴の不思議な発言にも違和感を持たなくなった。




「負けたくない、じゃねぇの?他のクラスに勝ちたいんだろ?負けるのが嫌なんだろ?」




「負けたくない………ええ、朔。私、負けたくないみたい」




「じゃあ、大縄跳び頑張らねぇとだな」




「そうね、勝ってみせるわ」




その宣言通り、唯鈴たち赤団は大縄跳びで1位になった。




唯鈴が競技を終え戻ってくると、




「やったわ朔!1位よ!」




とあまりに嬉しそうに話すから、こちらまで嬉しくなってきた。




最近、唯鈴は笑うことが増えた。




今だって、万遍の笑みとまでは言えないが、俺に笑顔を向けてくれている。




こんな日々がずっと続けばいいと、願っている。




でもどこか、唯鈴の笑顔に曇りがあるのは気のせいだろうか。




次の種目は、真琴が出る借り物競争だ。




パン!とピストルの音が校庭に響く。




真琴は快調にスタートを切り、計3つある中の2つの借り物を手に入れた。




そして3つ目。




紙に書かれたものを読み終えると、真琴はこちらへ向かって走ってきた。




こちらというか、唯鈴の方へ。




「唯鈴!一緒に来て!」




「えっ、ええ、分かったわ」




そして、2人は手を繋いで走り、見事1番でゴールした。




遠くへ走っていく2人の姿を見て、俺は、置いていかれる、という気持ちになった。




1位なのだから、喜ぶべきだ。




なのに、2人が手を繋いだことと、紙に書かれていたことがなんだったのかが、気になって仕方ない。




お題は「好きな人」なのかもしれないと思うと、俺はいつまで経っても真琴の気持ちから逃げる自分に嫌気を覚えた。




もう、自分でも遠に分かっている。




俺は、唯鈴のことが好きなのだと。




でも、親友と好きな人が同じになってしまった。




真琴に嫌われたくない。




でも、唯鈴を自分のものにしたい。




その2つの気持ちが、俺の心を埋め尽くす。




俺が悩んでいると、唯鈴がこちらへ駆け寄ってきた。




「思いがけないところで1位になってしまったわ」




「あ、ああ。よかったな」




「ええ。それで、午前の競技はこれで全部なのよね?教室に戻ってお弁当を食べましょ、朔」




「ああ、そうしよう」




俺は複雑な気持ちを胸にしまって、唯鈴と一緒に教室へ向かう。




その途中、唯鈴は顔を洗ってくると教室とは別の方向へ歩いて行った。




俺は唯鈴が戻るまで教室で待っておくことにした。




それが、どんな悲劇に繋がるかも知らずに。




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10分後。




唯鈴、帰ってくるの遅くねぇか?




顔を洗うだけなのに、と不安に思っていると、真琴が教室へ戻ってきた。




水分補給をしている真琴に声をかける。




「真琴、帰ってくる途中唯鈴見なかったか?」




「見てないけど……何かあったの?」




「顔洗ってくるって言ったきり、唯鈴が帰ってこねぇんだよ……」




「え、なんで……」




「分かんねぇ。でも……」




俺たちの頭に同じことが思い浮かぶ。




もしかして、“また”倒れているのではないか、と。




10月で、気温は少し肌寒いくらいだが、普段運動をしていない唯鈴にとって、気温は関係ない。




それに、全く別の病気だったら……




「嫌な予感がする」




「うん。唯鈴を探しに行こう」




そして、俺と真琴は唯鈴を探しに向かった。




学校中を探し回っても中々見つからず焦っていると、体育館のある方向から悲鳴が聞こえてきた。




女子の声………まさか。




真琴と一緒に、急いで声のあった方向へ向かう。




唯鈴がいたのは、体育館前の水道だった。




そして、何故いるのか分からないが、そこには女子生徒3人の姿もあった。




俺は、目の前に広がる光景に目を見開く。




その悲鳴は、唯鈴のものではなかった。




同じクラスの、倉本の声。




でも、唯鈴は……




吐血して、その場にうずくまっていた。




嘘、だろ……




驚きで周りが何も見えなくなり、真琴が今どんな表情をしているのかも確認することが出来ない。




でもきっと、真琴も俺と同じような表情だろう。




「い、すず……唯鈴っ」




真琴がハッとしたような声で唯鈴に駆け寄る。




俺も、重たい足を必死に動かして、唯鈴の元へ行く。




「唯鈴、唯鈴!」




「………う」




「しっかりしろ、すぐ先生呼ぶからっ。真琴、先生呼んできてくれ……それと救急車も!」




「う、うん……っ」




そして真琴がその場から離れる。




「さ、く……っ」




「っ、ああ」




「くる、しい……助けて……っ」




「っ……」




俺にはなんの医療知識もない。




それに吐血なんて自分もしたことがないから、今どれほど唯鈴が辛いのか分かってやれない。




なんで俺はこんなに無力なんだよ……っ




泣きたいのを必死に我慢して、唯鈴に声をかけ続ける。




「唯鈴、もう少しだけ待ってくれ。お願いだ、あと少し……っ」




そして、真琴が先生を数人連れて戻ってきたかと思うと、唯鈴は意識を失った。




「唯鈴……?唯鈴、おいしっかりしろ、唯鈴!」




唯鈴の名を呼ぶことしかできない俺は、どれほど醜いのか。




何がいけなかったんだ……




そう考えていると、俺はあることを思い出した。




今思えば、唯鈴、顔色がよくなかったような……?




そんな重要なことに今になって気が付き、自分を責める。




唯鈴はその後救急車で近くの病院へ運ばれた。




俺もついて行きたかったが、先生に許可して貰えなかった。




残された俺が、やるべき事は。




「倉本」




俺が声をかけると、ビクッと体を震わせる倉本。




「唯鈴と何話してた」




「べ、別に……私は通りかかっただけで……」




「体育祭のリハなのになんでこんなとこ通りかかるんだよ、しかも3人で」




「そ、それは……」




「早く答えろ!」




「朔夜、落ち着いて。倉本さん、話してくれないかな。今、俺も朔もいい気分じゃないんだ」




「っ……2人に、遠永さんが馴れ馴れしいから……っ」




………は?




馴れ馴れしい?




唯鈴が、俺たちに?




そんな当たり前のことに、なんで嫉妬してんだよ。




「……なに、それだけのことで唯鈴に当たったのか?」




「っ……」




「嘘……」




真琴も言葉が出てこないようだった。




こいつらが醜い嫉妬をしたせいで起こったことだ。




……いや、元々の体調不良もあったのかもしれない。




でも、結局は……




「俺たちのせいじゃねぇかよ……っ」




何がこんな日々が続けばいいだ。




壊しているのは、自分自身のくせに。




「真琴………」




「なに……」




「俺もう、唯鈴に合わす顔がねぇよ……」




「っ俺もだよ……」




救急車が校庭から出ていき、ひと段落した教師たちが帰ってきた。




服が汚れている生徒は着替えて、一旦教室に戻れと。




俺と真琴は、それは酷い顔色をしていたことだろう。




周りの生徒からの視線が俺たちに集まる。




でも、俺たちはそんなこと意識するどころか気づいてすらいなかった。




いや、正確には気がつけなかった。




頭の中にあるのは、自分を殺したい衝動と、どうか助かってほしいという願いだけ。




そんな願いをすることすら、今の俺たちには許されていないかもしれない。




それでも、こうでもしていないと、変な気を起こそうとしてしまうから。




心配して声をかけてくる明那と昴。




2人の声すらも、届いてこない。




そのまま俺は、魂が抜け空っぽになったかのように弱い足取りで家に帰った。




学校から電話で唯鈴のことを知らされた母は、すぐに病院へ向かったようだった。




ダイニングテーブルの上に、急いで書いたような字で「病院へ行ってきます。ゆっくり休んで」と置き手紙があった。




食欲なんてあるはずない。




自分の部屋に向かい、声にならない叫びを上げる。




唯鈴には、仲良く友達と話すことすら許されていないのか。




どうして唯鈴ばっかりが。




どうしてどうしてどうして。




倉本は、文化祭の看板を作る時、唯鈴に助けられているはずだ。




そんな相手に、なぜあんなことが出来る?




暗い感情が心を支配し、吐き気に襲われる。




俺なんか生きてても仕方がない。




そう呪いの言葉を脳内で繰り返しながら、俺は死んだように眠りについた。




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そしてなんとなく夜が明けて、気づけば時刻は11時。




こんなに長く眠ったのはいつぶりだろう。




そう考えながら階段を降りると、リビングには母の姿があった。




母の配慮で、もう既に学校への欠席の連絡は済ませてある。




「おはよう」




優しい笑顔を向けてくれる母。




でもどこか、疲れた目をしている。




「………おはよう」




振り絞ってやっと声が出たと思ったら、酷く掠れた音をしていた。




「朝ごはん……もうどっちかっていうとお昼かな。食べる?なんでも作ってあげる」




無理していつものテンションで話してくれる母。




そのことに気がついてしまい、少し涙が出そうになる。




ごめんなさい、と。




頑張ってくれている母には申し訳ないが、聞かずにはいられなかった。




「……唯鈴は……」




助かったのか、とか、無事なのか、なんて言えなかった。




そんなの、生死をさまよっているみたいじゃないか。




そんなこと、考えたくもない。




母は、困った顔の上に笑顔を貼り付けて言った。




「原因不明、だって」




「………っ」




なんだよ、それ………




それじゃ、いつ治るのかどころか、この苦しみが終わらないことだって有り得る。




取り返しのつかないことをしてしまったと、昨日の絶望感が倍になって俺を襲う。




その場にしゃがみ込んだ俺に、母は慌てて駆け寄る。




「朔、しっかりして。原因不明とは言ったけど、唯鈴ちゃんの体には、何も異常が見られなかったの」




「え?なんで……」




「なんで吐血したのか分からないくらい、今唯鈴ちゃんの体は健康そのもの。まだ意識は戻ってないんだけど、直に目を覚ますって、お医者様が」




信じてもいいのか分からないその医者の言葉を、今は信じざるを得ない。




でないとそれは、唯鈴がこれから先も目を覚まさないと思ってしまっているのと同じだから。




「唯鈴ちゃんの病室は202号室よ。朔、会いに行ってあげて?」




そんなの、ダメだ……




「俺に、そんな資格……」




「何言ってるの。あなたが行かなくて、誰が行くのよ?唯鈴ちゃんは、朔に1番会いに来て欲しいと思ってる」




そんなはずない。




「なんでそんなこと言えるんだよ……」




母は、これまでに無いほど温かい笑顔を向けて言った。




「唯鈴ちゃんが病室に入ったときね。目は覚めていないはずなのに……朔、って、すごく大切そうにあなたの名前を呼んだから」




「っ………!」




溢れる涙が止まらない。




俺のせいも同然なのに、唯鈴は俺の名前を呼んでくれた。




そんなの……




「行かないと」




「ええ、いってらっしゃい」




途中で花束を買って、病院へ向かう。




202と書かれた病室のドアを開ける。




恐る恐る足を進めると。




そこには、いつも通り無表情の、唯鈴がいた。




綺麗な瞳が、こちらを向いた。




俺は思わず花束を落としてしまった。




「朔」




「い、すず……っ」




こんなときなのにも関わらず、俺の名前を呼んでくれる彼女が、たまらなく好きだ。




よかった、よかった……っ




嗚咽が出て、「ごめんなさい」と「生きていてくれてありがとう」が言えない口を代わって溢れ出す涙。




“いつかのしょっぱい雫”が安堵の涙に変わったことに、これ以上ない幸せを覚える。




これがもし夢なのだとしたら、覚めないで欲しい。




たまにしか見れない君の笑顔を望む俺は、無表情の君が生きていることに心から安心する。




窓の外で風に揺られている紅葉は、彼女の目覚めを祝福しているかのようで。




唯鈴には、真紅が似合う。




とこんな時なのにも関わらず思ってしまった。




呑気に気がついたその事実を胸の奥にしまって、彼女の名を呼ぶ。




「唯鈴……」




「ええ」




「唯鈴、唯鈴……っ」




「もう、あなたらしくないわよ、朔」




そう言って呆れ顔を浮かべる唯鈴。




無表情だっていい。




いつまでも、君の表情を見ていたい。




俺の存在が、役に立つどころか邪魔なのだとしても、俺に君を愛させて欲しい。




愛することを、許して欲しい。




愛しい彼女の手を握りながら、ただただそう望んだとある秋の日。