八月二十七日(木)

 朝、部屋を出る時、僕を見送る真澄の姿に変化が見られた。輪郭が少し怪しくなり始めていた。帰宅した時には更に少し輪郭がぼやけていた。僕はそれに気づかないふりをした。真澄自身も自分の体の変化には気づいているのだろうが何事もなかったように振舞っていた。

 その夜、いつものように二人で歌っている途中に、急に真澄が改まった顔をして僕に言ってきた。
「ねえ、純さん。『新城哀歌』のことなんだけど、コンピューターのソフトに歌わせるのは止めにしてくれないかしら?」
「ええ!どうして?」
 真澄の声は録音ができない。だから、それ以外の方法は無いと思っていたので意外な依頼だった。
「私としてはね、それじゃあダメな気がするの。やっぱりあの歌は歌詞の最後にある通り、『運命を受け入れて、新たに歩き出す』ための歌だと思うの」
「だったら、どうすればいいと思うの?」
 真澄は少し言い出しにくそうな顔をした。
「純さんが、誰か他の人と出会って私のことを思い出にできたら、その人に歌ってくれるように頼んで欲しいの。そうすれば、あの歌もきっと報われると思うの」
 僕は簡単には真澄の考えに賛成はできなかった。真澄と出会って奈々さんのことを思い出にできた僕は、いつか別の誰かと出会って真澄のことを思い出にする。そんなことを繰り返して人は大人になってゆくのだと、かつて真澄は僕に言った。たぶん、真澄の考えは間違っていないとは思ったが、今はそういうことを考えたくなかった。
 黙り込んでいると、真澄は僕の心を読んだかのように笑顔を浮かべた。
「じゃあ、お願いね」
 真澄は僕に反論の機会を与えなかった。何も言わせないことが真澄なりの優しさなのだと僕には分かっていた。