――7月20日

 長髪のシルバーヘアーを後ろで結んだ師匠が運転するクーラーの掛かった涼しいハイエースバンの車内。
 助手席には夏になりすっかり薄着になった華鈴さんがシートベルトを締めて胸のラインが明らかな格好で大胆に座り、後部座席では俺の隣で郁恵が幸せそうな表情で大きなりんご飴に舌を伸ばし童心に戻ってぺろぺろと舐めていた。

 郁恵が例の海に二人を連れ出したいと提案したことで俺が二人を誘うことになり、四人と一匹で出掛けることになった。
 俺と郁恵の間には大きな体格をしたフェロッソが後ろ向きで座席に座り、ずっと舌を出しながら過ぎ去って行く景色を興味津々な様子で眺めていた。

 盲導犬として育てられたフェロッソは長い訓練期間のおかげで俺から見てもお行儀よく、人に吠えることもない。
 郁恵が家族同然に信頼を寄せていることが納得できるほど、どこに行っても迷惑を掛けることなく郁恵に寄り添っている。
 犬に嫉妬しても仕方ないが、フェロッソはお手本になるくらい視覚障がいを持った郁恵の助けになっているのだ。

 そういう郁恵はりんご飴に夢中になっていて、ルンルン気分でシートベルトを締めて隣に座っている。
 道中に店を構えていたりんご飴専門店で購入してきたりんご飴は屋台で売り出している商品とは違い、最後まで食べ残しすることなく食べられるよう味のバランスに気を遣い、リンゴ本来の甘みや酸味が凝縮されていて、極薄に飴がコーティングされている。

 今回はプレーンとシナモンシュガーの二種盛りを頼み、俺も懐かしくも新しい専門店の味を楽しむことが出来た。華鈴さんのお勧めということで寄り道をしたが、郁恵はすっかり気分を良くしてくれていた。

 自由奔放な調子でドライブ旅が始まって数時間。
 遠回りをしながら思い出の海に辿り着いた頃には西日に傾き、日が暮れ始めていた。

「さぁ、到着したわね」

 車が駐車場に駐車したのを見て、華鈴さんがシートベルトを外す。
 
「往人さん、この時間なら少しは涼しくなってるよね?」
「そうだな、日射病になって倒れることはなさそうだ」

 陽射しに弱い俺や盲導犬のフェロッソに配慮した旅。
 一番の目的地に到着した頃には疲れが滲み出ている俺だったが、他の三人は平気そうな顔をして我先にと車から降りて行った。

 海壁からも波飛沫の音が聞こえて来る中、砂浜へと足を踏み入れて行く一行。
 前回は郁恵と二人きりでやって来ただけにまた一風違った雰囲気で俺も後ろから追いかけていく。

 カジュアルなパンツのポケットに両手を入れたまま先頭を歩く師匠。
 その横でサンダル履き、日傘を持ってゆっくりとした足取りで進む華鈴さん。
 そして、手綱を握り、ハーネスを付けたフェロッソと一緒に優しい微笑みを浮かべて慎重に歩く郁恵。
 
 RPGの四人パーティーに例えるなら、師匠がパラディン、華鈴さんが宿屋の女将、郁恵は魔法使い……いや、吟遊詩人だろうか。
 そもそも宿屋の女将は冒険しないだろうと自分でツッコミを入れながら俺は郁恵の背中を追い掛けた。
 ちなみに俺はシーフがいいかもなと、自分で自分のことを想像した。

 郁恵からの提案で花火がしたいと話していたこともあって、ここに来る途中に花火セットを買って準備をしてきていた。

 華鈴さんと師匠に手伝ってもらいながら、郁恵は着火ライターを手にして打ち上げ花火を発射させる。一つ一つ、打ち上げるたびに郁恵は空を見上げて無邪気にはしゃいでいる。

 その目で見ることが出来なくても、音と熱で花火を楽しむ郁恵。
 俺の目にはその花火は灰色に映り、郁恵が何をしているのかは夕焼け空の下でもよく分かった。

 しばらくしてすっかり日が暮れると、線香花火を手に俺のそばにやって来た郁恵は一緒にやろう? と疲れを感じさせないあどけない笑顔を浮かべて口にした。

「分かったよ。俺が火を付けてやるからそこに座りな」
「うん、こういう青春らしいこと、なかなか出来なかったから楽しいよ」
「そうか……こうしてゆっくり過ごすのもいいかもな」
「そうだね。間近に海があって、ずっと先まで砂浜が広がっていて、ここに来ると開放感があって気分が晴れるの。それでまた明日から頑張ろうって思えるんだ」

 仲を深めた者同士が集まっているからこそ実現できる青春らしいひと時。
 それがかけがえのないものであることを、郁恵はその身でよく分かっていた。

 海風に吹かれながら、ワクワクしながら線香花火を手にする郁恵。
 華鈴さんと師匠は遠くでフェロッソとフリスビーで遊んでいる。

 俺は自分の線香花火に火を付けると、郁恵の線香花火にも火を移した。
 賑やかな音を纏い、先端から閃光が煌めきを放ち始める。

 郁恵は火が消えるまでの間、花火を見つめている。
 俺は何を今、感じ考えているのだろうと思いながら、じっと郁恵を見つめた。

 その瞳には高層ビルのガラス窓のように色鮮やかな線香花火の姿が映り込んでいた。

 あまりの美しさに言葉を失う。

 つまらない灰色をした花火しか知らなかった俺にとって、それは眩く光り輝いて見えた。

「黄昏時か……綺麗だな……」
「うん、花火は綺麗なんだよ。人の視線を釘付けにする素敵なものなんだよ」
「あぁ、間違いねぇな」
「よかった、往人さんにも分かってもらえて」
「でもな……俺は……」
「往人さん……十分……十分私も楽しいんだよ。こうして好きな人たちと一緒にいられて。思い出を積み重ねていくことが出来て」
「あぁ……俺も一緒だよ」

 郁恵の開かれた瞳に美しい線香花火が映っていても、郁恵にはそれが視えてはいない。

 一番、花火を楽しみにしていた郁恵にだけこの花火が見えていない。
 こんなに残酷なことがあるのだろうか。
 俺はたとえ自分の瞳を失ってもいいから、郁恵にこの花火が見えて欲しいとさえ思った。
 それほどに、美しくも儚く消えていく火花を見ながら、悲しい気持ちになった。

 だから、郁恵の瞳越しに線香花火を見て感動を覚える程に楽しんでいることを告白することは出来なかった。