「最近の地図アプリって情報が正確だからしっかり道順通りに行けば迷子にならずに辿り着けるよ……って言っても、あんまり信用してもらえないよね」

 バツが悪い様子で苦笑いを浮かべる郁恵。
 実際にあった体験談を話すことを避けているように感じられた。

「視覚障がい者向けに作られてるスマホアプリが優秀なのはもちろん知っているが、入院していた四年前の郁恵がいきなり海に行けたとは体力的にも少し信じられなくて、申し訳ないが懐疑的になったよ」

 その頃の郁恵がどんな病状で、今向かっている海岸まで行けるだけの体力がある容体だったのか、それも俺には分からなかった。 

「分かってるよ、気にしなくてもいいよ。

 私だってよく分かってるんだ、とても危険で無茶なことをしたって。
 反省もしてる、それで人生が変わったとしても、やったことは褒められたことじゃない。もし行きたいなら退院した上でガイドヘルパーを付けることが必要だって。

 でもね、本当は今でも不思議に思うくらいの体験だったの。

 あの時の私は、同じ病室の真美って子と一緒にいるつもりだったから」

 郁恵はその真美という少女と”一緒にいるつもりだった”と言った。
 つまりそれは、隣にいるような気がしていただけのオカルトな存在であったという可能性が浮かび上がる。

「そんなことがありえるのか……?」

「そう思うよね? だからずっと秘密にしてたんだ。誰にも信じてもらえないだろうと思って」

 俺は返す言葉を失ってしまう。
 それは一人じゃないと思い込んでいたということ。
 そしてその原因は”郁恵自身にある”と考える他なくなってしまう。

「怪異でも何でもいいよ。私はその日、早朝から病院を抜け出して真美に案内されながら砂浜のある海岸を目指した。

 それでやっとの思いで辿り着いた私は真美からそこに行くきっかけになった砂絵の秘密を教えてもらったの。砂浜海岸の風景だけじゃなくって、私の姿もそこには描かれているんだよってね。

 その直後、唐突に私の前から真美は消えた。まるでここまで連れて来ることで役目を果たし終えたように。

 私は訳が分からなくて混乱したまま大きな声で何度も真美を呼んだけど、真美の気配はなくなって私の言葉に答えてくれることはなかった。

 そうして、どうしようもなくなっていた私の下に入院中、面倒をよく見てくれていた看護師の佐々倉奈美(ささくらなみ)さんから電話がかかって来たの。

 私はその場で必死に伝えた。真美と一緒に砂絵にあった風景を目指して海まで来たけど、真美が突然にいなくなってしまったって。私はもちろんいなくなった真美がどこにいるのか探してもらうつもりだった。

 そうしたらね、奈美さんはこう言ったの。
 
 ”真美ちゃんがそこにいるはずがないって。だって、真美ちゃんはさっき亡くなったのよ”って。

 奈美さんにとってみれば、私の言っていることは全て妄言としてしか考えられなかったの。

 私はその時、激しく動揺した奈美さんの必死な声を聞いて、衝撃を受けたまま気絶した。

 でも、それは全て真実で本当に受け入れたくなかったけど、真美は病院の中で息を引き取って確かに遺体となって亡くなっていた。

 だから私は地図アプリの音声案内に従ってあの海岸まで向かったということになった。私もそう言われれば何となくそんな気がした。

 死んだはずの真美と一緒にいたなんてオカルトな状況をいつまでも信じるより、聞かされれば聞かされるほど、余程信憑性があって現実的な手段だと分かったから。

 包み隠さず話すとこんな感じかな。
 往人さんはどう思う? 
 私がやっぱり思い込みをしていたと思うでしょう?」

 現実とは思えない心霊体験のような話まで絡み出すと、段々と重苦しい空気に入ってしまうが、それでも郁恵は最後まで想いの内を打ち明けてくれた。
 途中からフェロッソの体毛で覆われた身体を撫で続けていたところから、一部分は本来思い出したくない辛い思い出であることは確かなようだった。
 
 人間誰だって自分は正常であり異常であると思いたくないものだ。
 子どもの頃にあった昔の出来事と考えられればまだいいが、つい四年前の出来事を有り得ない妄言だと言われればそれはとても痛々しいことだ。

「過去のことを蒸し返しても、その時に出た結論以上のことはもう出ないとは思う。

 でも、郁恵が隣にその真美って子が一緒にいるって信じていられたのなら、それは心強い大きな助けになったことだろうな。

 本当に一人で地図アプリの音声案内に従って、海に辿り着けるくらいに」

 郁恵に余計な心理的打撃を与えないように、慎重に言葉を選びながら俺は言葉を言い放った。
 しかし、自分の考えたことを曲げた回答ではない。
 真美という少女の考察について明確な答えが出せるわけでないが、郁恵が海に辿り着いた方法を考え、妥当な線で答えたつもりだった。

「往人さんも奈美さんの考えと変わらないね。
 でも、私も今はそう思うから……考えてくれてありがとう。
 もうすぐ到着だね」

 繋いだ手をもぞもぞと動かす郁恵。
 目的地までのバス停の名前を全て暗記しているため、もうすぐ到着することが分かっているようだ。

 気を紛らわそうとしているのか、海が近づいてきてドキドキしているのか。
 色んな感情が脳内に押し寄せているように俺からは見えた。