翌朝、朝食の準備をする俺の前にやって来た郁恵は寝起きでふらついていて、まだ意識がはっきりとしていない調子のようだった。
「まだ朝食の準備をしてるから、もう少し部屋に戻って支度をしていてくれ。
準備が出来たら呼びに行くよ」
俺がフライパンを手にそう声を掛けると寝ぼけた様子でそのまま小さく郁恵は頷いた。
振り返り、部屋に戻って行こうとする背中が見えたところで聞いておきたいことがあり、一度引き留めた。
「あぁ……一つ聞きたいことがあった。
マスタードは抜いといた方がいいか?」
「うん……辛いのは苦手……」
俺の質問に可愛くそう返事をすると、郁恵は大人しく壁づたいに部屋に戻っていった。
朝食の準備が終わり、郁恵を呼びに行くため師匠の部屋へ向かうと、郁恵は髪を結び終えて、ロングスカートと白いセーターを着て出かける格好に装っていた。
「もう起きたか?」
「うん、今行こうとしてたところ」
「そっか、白いセーター似合ってるよ」
背筋を伸ばして支度を終えたばかりの郁恵は、昨日プレゼントしたネックレスも早速身に着けてくれていて俺は嬉しい気持ちになった。
「本当に? 嬉しい……」
すっかり目が覚めた爽やかな郁恵はパッと表情を明るくして心地の良い声を聞かせてくれる。
朝は目覚めが悪い日もあり、憂鬱になるが、朝から郁恵の笑顔を目の当たりにすると、ずっと世界を明るく感じることが出来た。
「色盲になると視界が灰色に見えるから、本当は服の色より郁恵の肌の方がはっきりとした綺麗な白に見えるんだよ」
普段から灰色の視界に染まっている分、郁恵の姿には明らかな光の濃度の差がある。
色白の肌が鮮明にはっきりと見ているのは俺にとって特別なことだ。
視力も悪く、紫外線などの光に弱い俺は目の負担になるため、あまり郁恵のことを直視できず、それも一つの不安だった。
「そうなんだ…? 美白を意識してるわけじゃないけど、スキンケアは欠かさないようにしてるんだ」
「凄いな郁恵は。自分の姿を鏡で見れないのに、そこまで日頃手入れしてるなんて」
見られていることを意識していなければ美容に気を遣うことはない。
そういう意味も含めて俺は言った。
「自分では分からないから出来ることをやっているだけなの。
私には鏡で自分の姿が見えたとしても、比較対象がいないから美人かどうかなんて分からないと思うから」
誰の顔を知ることなく、人よりも少ない情報で人となりを見極める。
感情は確かに声や態度にも表れるが、周りの風景まで見えないのは明らかに取得できる情報に差が生じる。
いくら感覚を先鋭化させても、視覚から得られる八割の情報がないことは大きな不安材料であることに変わりない。
手を貸し過ぎるのもまた尊厳を奪うことになりかねないが、俺は出来るだけ郁恵の目になりたいと思った。
「そうか……ミスコンに参加したのもそういう意識があったからだよな」
「そうだね。自分のことを知ることは大切なことだと思ったから。
その時は自分のことは自分で守らないと、自衛しなきゃいけないって意識が強かったよ。だって、時々信じられない気持ちになるけど、私はもう大学生だから」
オーストラリアの四年間で成長して日本に戻って来た郁恵。
大学生になったことでその成長をより感じているのだろう、時の流れを早く感じてしまうほどに。
「そういう自意識を持ってる郁恵と一緒にいられるのは俺も安心だな。
俺は腕っぷしが強いわけでもない、いつでも傍にいられるわけでもない。
一緒にいて安心できるのは俺だって同じだから」
「一緒にいる時間が確かな絆になって力へと変わる、そんな関係ってきっと素敵だと思うよ。
ねぇ? 往人さんから見て私はこれでいいのかな?
もっと、服装に気を遣った方がいい?」
恋人同士になったことで少し遠慮がちな姿から変わった郁恵が積極的になって聞いて来る、
俺は自然と明るい気持ちになって考えた。
「今のままで十分魅力的さ。それに、大切なのは統一感があることかなって思う。心と体がちぐはぐなのは見ていて疑心を抱くものだ。
郁恵は心も体も綺麗だ。それは違和感なく見ていられるよ」
「そうかな、こんなに穏やかな気持ちでいられるのは往人さんが隣にいてくれるからだよ。それに人を憎んだり妬んだりするのは怖いことだよ。自分を破壊に追い込んでしまう行為だから……」
しみじみと口にした郁恵の言葉は実に俺の胸に染み渡った。
こうして幸せな心地を共有していると、人を憎んだり嫉妬したりする感情が馬鹿らしくなる。
それなら、こうして郁恵と楽しい時間を過ごしている方がずっと有意義な時間だと思えるのだった。
*
ついつい話し込んでしまったが、朝食の準備が出来たことを伝えて一緒にダイニングに向かった。
まだ師匠の家を歩くのに慣れていない郁恵のため俺は手を繋いで案内した。
郁恵が席に着いたのを見て朝食を運んでいく。
献立は朝はパンをよく食べることを知っていたからあまり迷いはなかった。
バターロールとミネストローネ、それにオムレツと生野菜サラダを用意した。
「凄い豪華な朝食だね! ホテルの朝食みたい!」
俺が朝食のメニューを口頭で説明して、配置まで伝えると郁恵は驚いた様子で喜びの声を上げた。
「そんなに手間はかかってないよ。普段から師匠と俺はこれくらい食べるから、ちょっと量は多いかもしれねぇがな。
後、向こうで食べられる用にサンドイッチも作ってあるから。
海で一緒に食べよう。ちと寒いかもしれないが、外で一緒に食べると美味しいだろうからな」
「うん! 凄く楽しみ! それでマスタードを抜いた方がいいか聞いたんだ!
喫茶さきがけのシェフさんのサンドイッチが食べられるなんて私ってば役得だね!」
「シェフって呼べるほど調理の勉強はしてねぇって……」
俺は調子のいい期待の込められた郁恵の声を聞いて苦笑いを浮かべた。
交際を始めて初めてのデートにこれから出掛けるのだ。
落ち着きなく舞い上がってしまうのも仕方のないことだろう。
「まだ朝食の準備をしてるから、もう少し部屋に戻って支度をしていてくれ。
準備が出来たら呼びに行くよ」
俺がフライパンを手にそう声を掛けると寝ぼけた様子でそのまま小さく郁恵は頷いた。
振り返り、部屋に戻って行こうとする背中が見えたところで聞いておきたいことがあり、一度引き留めた。
「あぁ……一つ聞きたいことがあった。
マスタードは抜いといた方がいいか?」
「うん……辛いのは苦手……」
俺の質問に可愛くそう返事をすると、郁恵は大人しく壁づたいに部屋に戻っていった。
朝食の準備が終わり、郁恵を呼びに行くため師匠の部屋へ向かうと、郁恵は髪を結び終えて、ロングスカートと白いセーターを着て出かける格好に装っていた。
「もう起きたか?」
「うん、今行こうとしてたところ」
「そっか、白いセーター似合ってるよ」
背筋を伸ばして支度を終えたばかりの郁恵は、昨日プレゼントしたネックレスも早速身に着けてくれていて俺は嬉しい気持ちになった。
「本当に? 嬉しい……」
すっかり目が覚めた爽やかな郁恵はパッと表情を明るくして心地の良い声を聞かせてくれる。
朝は目覚めが悪い日もあり、憂鬱になるが、朝から郁恵の笑顔を目の当たりにすると、ずっと世界を明るく感じることが出来た。
「色盲になると視界が灰色に見えるから、本当は服の色より郁恵の肌の方がはっきりとした綺麗な白に見えるんだよ」
普段から灰色の視界に染まっている分、郁恵の姿には明らかな光の濃度の差がある。
色白の肌が鮮明にはっきりと見ているのは俺にとって特別なことだ。
視力も悪く、紫外線などの光に弱い俺は目の負担になるため、あまり郁恵のことを直視できず、それも一つの不安だった。
「そうなんだ…? 美白を意識してるわけじゃないけど、スキンケアは欠かさないようにしてるんだ」
「凄いな郁恵は。自分の姿を鏡で見れないのに、そこまで日頃手入れしてるなんて」
見られていることを意識していなければ美容に気を遣うことはない。
そういう意味も含めて俺は言った。
「自分では分からないから出来ることをやっているだけなの。
私には鏡で自分の姿が見えたとしても、比較対象がいないから美人かどうかなんて分からないと思うから」
誰の顔を知ることなく、人よりも少ない情報で人となりを見極める。
感情は確かに声や態度にも表れるが、周りの風景まで見えないのは明らかに取得できる情報に差が生じる。
いくら感覚を先鋭化させても、視覚から得られる八割の情報がないことは大きな不安材料であることに変わりない。
手を貸し過ぎるのもまた尊厳を奪うことになりかねないが、俺は出来るだけ郁恵の目になりたいと思った。
「そうか……ミスコンに参加したのもそういう意識があったからだよな」
「そうだね。自分のことを知ることは大切なことだと思ったから。
その時は自分のことは自分で守らないと、自衛しなきゃいけないって意識が強かったよ。だって、時々信じられない気持ちになるけど、私はもう大学生だから」
オーストラリアの四年間で成長して日本に戻って来た郁恵。
大学生になったことでその成長をより感じているのだろう、時の流れを早く感じてしまうほどに。
「そういう自意識を持ってる郁恵と一緒にいられるのは俺も安心だな。
俺は腕っぷしが強いわけでもない、いつでも傍にいられるわけでもない。
一緒にいて安心できるのは俺だって同じだから」
「一緒にいる時間が確かな絆になって力へと変わる、そんな関係ってきっと素敵だと思うよ。
ねぇ? 往人さんから見て私はこれでいいのかな?
もっと、服装に気を遣った方がいい?」
恋人同士になったことで少し遠慮がちな姿から変わった郁恵が積極的になって聞いて来る、
俺は自然と明るい気持ちになって考えた。
「今のままで十分魅力的さ。それに、大切なのは統一感があることかなって思う。心と体がちぐはぐなのは見ていて疑心を抱くものだ。
郁恵は心も体も綺麗だ。それは違和感なく見ていられるよ」
「そうかな、こんなに穏やかな気持ちでいられるのは往人さんが隣にいてくれるからだよ。それに人を憎んだり妬んだりするのは怖いことだよ。自分を破壊に追い込んでしまう行為だから……」
しみじみと口にした郁恵の言葉は実に俺の胸に染み渡った。
こうして幸せな心地を共有していると、人を憎んだり嫉妬したりする感情が馬鹿らしくなる。
それなら、こうして郁恵と楽しい時間を過ごしている方がずっと有意義な時間だと思えるのだった。
*
ついつい話し込んでしまったが、朝食の準備が出来たことを伝えて一緒にダイニングに向かった。
まだ師匠の家を歩くのに慣れていない郁恵のため俺は手を繋いで案内した。
郁恵が席に着いたのを見て朝食を運んでいく。
献立は朝はパンをよく食べることを知っていたからあまり迷いはなかった。
バターロールとミネストローネ、それにオムレツと生野菜サラダを用意した。
「凄い豪華な朝食だね! ホテルの朝食みたい!」
俺が朝食のメニューを口頭で説明して、配置まで伝えると郁恵は驚いた様子で喜びの声を上げた。
「そんなに手間はかかってないよ。普段から師匠と俺はこれくらい食べるから、ちょっと量は多いかもしれねぇがな。
後、向こうで食べられる用にサンドイッチも作ってあるから。
海で一緒に食べよう。ちと寒いかもしれないが、外で一緒に食べると美味しいだろうからな」
「うん! 凄く楽しみ! それでマスタードを抜いた方がいいか聞いたんだ!
喫茶さきがけのシェフさんのサンドイッチが食べられるなんて私ってば役得だね!」
「シェフって呼べるほど調理の勉強はしてねぇって……」
俺は調子のいい期待の込められた郁恵の声を聞いて苦笑いを浮かべた。
交際を始めて初めてのデートにこれから出掛けるのだ。
落ち着きなく舞い上がってしまうのも仕方のないことだろう。