外の空気を吸って落ち着きを取り戻し始め、往人さんが拾ってくれていたピアノシューズを履いて真っ直ぐに立って、ようやく私は無事であることに安堵した。
 そして、ホテルを出るまでは慌てて急いでいたが、その必要もなくなり、私は往人さんに誘導され、ゆっくりとした足取りになった。

 私は大きく息を吐き、この状況について再確認をしないといけないと思い口を開いた。

「こんな形で再会することになるなんて……もしかしたらって思っていたんです。
 私の鼻は敏感であなたから絵の具の匂いがするのを印象的なこととして覚えていました。
 そして、ノーマライゼーション絵画展で坂倉さんが見ていた絵画、その絵を描いたのが桜井往人という名前の画家で、こんな偶然があるんですか……」

「まさか、君が俺の絵を知っていたなんてな……。
 確かに俺は絵描きだ。まだまだプロを名乗れるほどの実力はないがな」

 一つ一つの事象を別々の出来事として記憶していたのに、全てが線と線で繋がっていくような不思議な感覚だった。
 これを人は運命とでもいうのだろうか……あまりに唐突な出来事でまだ私には気持ちの整理が付かなかった。

「名前くらい、別れる前に教えてくれてもよかったのに……」 

 私はやっと再会できたのが嬉しくて、切なさが込み上げて来て、つい構って欲しさに悪態をついてしまう。

「それはすまなかった。また会うことなるとは思ってなかったんだ」

「私だってそうです……今もまだ胸がドキドキしていて、信じられないです」

 胸に手を当てながら私は言葉を紡いだ。

 あの場で何かしら約束を交わさなければ会う機会が訪れることはない。普通なら相手のことを諦めて早く忘れなければならない出来事だった。
 でも、こうして奇跡的に再会をしている、私は胸のドキドキが止まらない状態だ。

 往人さんの上腕部の位置からしてもあの時と同じ身長差を実感する。大きな男性の包み込むような安心感。
 それは、父と似て私を守ってくれるナイトのようだった。

「そうだろうな……信じられない再会だと俺も心底思う。君の友達が盲導犬を喫茶さきがけまで連れて行ってくれている。俺たちも早く合流しよう」

「待ってください……それはダメです。

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 はっと気づいて夜の歩道で私は立ち止まって手を放した。
 私は大切なことを見失っていた。自分だけが浮かれて気持ちよくなって終わりにしようとしていた。
 でも、このままではいけない。
 これでは迷惑を掛けてばかりで申し訳が立たない。

「ダメだ、今になって坂倉に会いに行けば余計にあいつの機嫌を損ねるだけだ。それに、今度は帰してくれないかもしれない」

 この場の状況を鑑みて、もっともな返答をする往人さん。だけどそれは、遺恨を残してしまうことになる。
 それに気付いてしまった私は感情を剥き出しにしてでも訴えかけなければならない。

「でもっ!! このままだと往人さんの絵を買ってくれなくなるかもしれません。
 坂倉さんは往人さんの絵を見ている時、往人の話しをしている時、とても楽しそうにしていました。
 二人の仲がこのまま険悪になっていいはずがありません!!
 私のせいで、私が余計なことをしたせいで、二人の関係が壊れてしまうなんて、断じて許せません!!」

「そんなことはいいんだ、これ以上心配をかけるのは良くない、今は早くみんなのところに帰ろう」

「ダメです……ここで諦めてしまったら、この先ずっと後悔することになるじゃないですか…!!」
 
 大きく叫び訴えかけた私は脱力して往人さんに頭からもたれかかってしまう。
 無理に感情を剥き出しにしたせいで涙腺が決壊し涙が溢れてくる。

 胸が苦しくて堪らない。坂倉さんは往人さんの絵を楽しんでいたのに、今は修復困難なほどに理性もなく許せない感情に支配されている。

 深い憎しみの感情に染まってしまっては対話なんて出来なくなる。
 二人の関係を壊してしまったのは……。
 私が招いてしまった愚かな罪だ。

「それは俺とあいつの問題だ、君がそこまで気に病むことはない……」

「そんなのは無理ですよ……それに、本当の坂倉さんは悪い人ではありません。私のような人にも、往人さんのような人にも手を差し伸べられる優しい人です」

 瞳から零れる涙が止まらない。泣き崩れてしまう私の背中をさするように優しく往人さんは触れていた。

 慌ただしい感情の変化に気持ちが追い付いて行かない。
 いつも以上に身体に力が入らず、やりきれない想いでいっぱいだった。

「ありがとう、心配してくれて。でも本当にいいんだ。
 あの時にも言っただろう? 俺はお金に執着はないって。
 だから、これでいい。君をまた助けることが出来た。
 それで十分、俺は前に進むことが出来るだろう」

「それは……優し過ぎますよ……」

 零れて落ちてしまう言葉と涙。
 涙もろい私のことを気遣った言葉を何度も掛けてくれる往人さん。
 往人さんは強い覚悟を持って、私を助けて来てくれたのだと実感した。

 これ以上困らせるわけにはいかない。歩道の真ん中で泣いてしまった私はもう一度何とか立ち上がり、もう振り返ろうとはしない往人さんと一緒に喫茶さきがけへと帰ることにした。