試験期間に入り、私は恵美ちゃんや静江さんの助けを借りながら勉学に勤しんだ。
 
 科目の半分ほどは試験がなくレポート課題を提出すれば無事に単位を取ることができ、時間はかかったが大きな問題はなくやり遂げられた。

 レポート課題はパソコンで入力して印刷したものを提出すれば済むので、静江さんの助けなどを借りて作ってくれた電子データ化したテキストを参考に書き上げることが出来た。

 数が多いこともあって、時には喫茶さきがけで昼食ついでに作業することもあり、暇な時間には華鈴さんの助力も借りた。
 華鈴さんとは仲良くなったことでミスコンの件についても話す機会があり、それで余計な同情を買ってしまったようだった。

 試験科目に関しては、そのほとんどが画面音声化ソフトがインストールされた持ち込みのパソコンでの試験参加を許された。

 これは画面上のボタンやメニュー、テキストデータなどの情報を音声に変換するソフトで、イヤホンを付けながら試験に臨めば、データ化した試験問題を再生することで健常者と大きな差のない形で試験を受けることが出来る。

 機会平等に則した合理的な配慮や学生サポートスタッフのおかげで苦労はあっても不自由はなく試験期間は過ぎて行った。

 パソコンの持ち込みが禁止の科目では点字での回答となり、点訳された点字問題をサポートスタッフなどが用意してくれた。
 原則として通常の試験と同じ内容の試験であることに変わりはなく、私は日々の学習を活かして自分の実力を発揮することが出来た。

 大学入試からずっと、多くの人の助けを借りながら一回生前期が終わりを迎えた。自分が恵まれている事への感謝を持ったまま、私は長い夏休みに入った。

 私は以前からこの長期休みをオーストラリアで過ごすことに決めていたが、日本を離れる前に私はどうしても行きたい場所があった。

 ―――それは、あの日病院を抜け出して向かった海。

 ―――私の原点とも言える、心地いい潮風がそよぐ、思い出の砂浜だ。

 父からプレゼントで送ってくれた砂絵に影響されて目指した場所。目の見えない私にとっては途方もない旅路。それが思い出の砂浜だった。

 私はフェロッソを連れてガイドヘルパーを付けず一人で行くことに決めた。
 
 あの日は一人だったけどずっと真美が隣にいてくれたような気がしていた。そのおかげで諦めることなく海に辿り着くことが出来た。

 だから……今度はフェロッソを連れて、ナビゲーションを聞きながら向かうことに決めた。

「暑い中連れ出しちゃってごめんね、少しだけここで待っていて、フェロッソ」

 私は無事に到着した海の家でフェロッソを一旦預かってもらい、砂浜海岸を歩くことにした。
 海の家を経営する従業員から迷子になって遭難しないよう案内をしてくれると申し出てくれたが、私は一人で歩くことを最初から決めていたので丁重に断った。

 海水浴場にはなっていない静かで広い見晴らしのいいという砂浜海岸。
 私はゆっくりと慎重に白杖を使いながら、道路を渡り階段を降りていった。

 砂の大地を目前にしてサンダルを脱ぎ、麦わら帽子を被った白いワンピース姿で大きな一歩を踏み出す。

 足が取られそうなくらいに深々と足が砂の地面に吸い込まれていく。
 それでも私は白杖を支えにしながら一歩一歩進み、あの日を再現するように歩いて行く。

 陽射しが強い分、海岸線を歩いているとあまりにも懐かしい潮風が涼しく感じて心地いい。
 
 私は転んでしまいそうな状況でありながら、自然と砂浜を踏みしめながら笑みが零れた。

 デートで来ているカップルの惚気(のろけ)た会話や家族の微笑ましくはしゃぐ声、それに海鳥の鳴き声を聞きながらさらに海に近づいて歩いて行く。

 波の音が近くなり、強い風が吹き荒れスカートは大きく靡き、髪が顔を覆ってしまう。
 だけど、その一つ一つが懐かしくも新鮮で、あの夏の日の海を感じさせた。


 ―――真美、私はここにいるよ。ここに帰って来たよ。

 
 一人ぼっちで歩く私は親友に向けてささやかに声を上げた。
 返事はない、だけど懐かしい匂いがした。

「ねぇ……今もずっと、私のことを見守ってくれているんだよね……。
 私が間違えてしまわないように、閉じ籠ってしまわないように、心配だから見ていてくれてるんだよね?
 成長……出来たかな? 日本に帰ってきた私は成長してるかな?
 真美だけだよ、それが分かるのは……。
 だから、ずっと見守っていてね」

 陽射しに弱い身体だから、天を仰いで真美の居場所を見つめることは出来ない。
 
 それでも私は真美に日本へ帰ってきたことを伝えたかった。

 今、懐かしいこの場所でここにいるということを伝えたかったのだ。


 真美からの返事はなく、懐かしく思い出に浸る時間を過ごし、私は海水に少し触れてから海を後にした。

 あの夏の日にこの砂浜を歩いたことは決して幻などではなかった。
  
 それが分かっただけでも、私にとっては大きな収穫だった。