”フェロッソ……私のことが見えているの?
 私だけじゃなくて、あなたもずっと寂しかったの?”

 共同訓練の途中なのに、抜け出してまで私のところに会いに来てくれたフェロッソ。
 大怪我をさせて迷惑を掛けてしまったのに、私に会えたことを喜んでくれている。心から思う、本当にフェロッソは優秀なパートナーだ。

 私は愛おしさが込み上げて来て、今すぐにでも抱き締めてあげたい衝動に襲われた。

 ”ごめんなさい、見学者さん……今まで訓練の途中にこんなことはなかったんですが……”

「いえ……大丈夫です。少し驚いただけですので」

 見学者に同行する職員が私からフェロッソを離そうと駆け寄って来た。
 何とか言葉を絞り出し、私は本当の感情が破裂しそうになるのを堪える。

 そして、その場でしゃがんで軽く私はフェロッソの頭を撫でると、抵抗することなく、スカートを履いた私の足元からフェロッソの身体が離されていった。
 
 私は必死に涙が溢れそうになるのを堪えて、精一杯の想いを込めてフェロッソに笑いかけた。きっと、これが最後だと思うから。


 フェロッソ……私はもうあなたのパートナーじゃないのよ。

 分かって、お願い……。

 あなたは立派に職務を全うしてくれたのに、私はそれに応えられるパートナーにはなれなかった。

 ごめんなさい、これからはここでマッチングできた相手のために頑張って!

 本当に応援しているから、私も幸せになるから。

 だから、大好きなフェロッソにも幸せになって欲しいの。

 私のように目の不自由な人の力になってあげて欲しいんだ。

 外に出る勇気を分けてあげて欲しいんだ。

 私はもう……大丈夫だから、もう十分なくらい、助けてもらったから。

 だからね……これでお別れだよ、フェロッソ。 

 いつまでも、元気でいてね……。
 
 
 精一杯心を込めて念じてみたが、この気持ちが伝わるかどうかは分からない。
 でも、本当の気持ちを声に伝えてしまってはいけない。
 私がフェロッソの前のパートナーであると周りの人に知られてしまってはならないから。
 フェロッソには、新しいパートナーと一緒にこれからの人生を歩んで欲しいから。

 何とか私は溢れ出そうになる気持ちを堪えた。

 一度も吠えることなく、この場から消えて行ったフェロッソの気配。
 私はフェロッソが寂しそうに職員に連れられて行くのを感じた。

 しばらく放心状態になった後、見学会が終わり、バスに乗車した私は一番後ろの席に座り、涙が止まらなくなった。

「ダメだ……もう堪え切れない、限界だよ……我慢できないよ。
 往人さん……これでよかったんだよね。最後に会えて、よかったよね」

「あぁ……フェロッソも喜んでくれただろうよ。
 郁恵と会えなくなって寂しい思いをしていただろうからな。
 だから……よかったんだよ……これで」

 往人さんの胸の中で泣きじゃくる私。

 本当は一緒に大学を卒業したかった。

 後一年、一緒に過ごしたかった。

 そんな想いが私の脳内に迸り、耐え切れなくなってしまっていた。

 無情にもバスはここまで来た道を引き返し、フェロッソとの再会を思い出へと変えていく。

 出会いと別れの季節を巡る春の息吹が吹き荒れる。

 しだれ桜の咲き誇る風景は無情にも通り過ぎていき、私達を乗せたバスは駅前へと到着した。

 新しいパートナーと歩み始めた以上、もう二度とフェロッソと再会することはないだろう。

 どうしようもない悲しみが私を襲い、胸を苦しくさせる。

 でも、もう会えないと思っていたフェロッソと会えたこと、私のことを求めてくれたことは本当に感極まるほど嬉しいことだった。

「フェロッソが元気でいてくれてよかった。
 私もしっかり歩き出さないとね。フェロッソと誓った夢を叶えないと」

「あぁ……郁恵なら出来るさ、俺は信じているよ」

「うん、いつもありがとうだよ。
 往人さんがこの手を離さないでいてくれたから、フェロッソがいなくてもこの足を止めることなくいられた。
 これからもよろしくね」

 流れる涙に誓いを込めて、私は夢へと向かってフェロッソと別々の道を歩き出す。

 新しいパートナーと歩み始めた、かけがえのないフェロッソから勇気をもらって。

 隣を歩く往人さんと一緒に、どこまでも……どこまでも。