視えない私のめぐる春夏秋冬

 往人さんも一緒に座り、テーブルに並べられた料理を食べ終わってコーヒーを飲んでリラックスタイムに入っている最中だった。

 カランカランと店の扉が開き、鈴の音が鳴り響くと神崎さんがやって来た。

 往人さんによると玄関扉には既にCLOSEの札がぶら下げられていて、貸し借り状態となっていたようだ。

「やってるねぇ……退院おめでとう。
 郁恵君、君に退院祝いを届けに来たんだ。
 きっと喜んでくれるだろう。
 さぁどうぞ、受け取ってくれたまえ」

 颯爽とやってきて柔らかな香りを漂わせる神崎さんが一冊の本を手渡してくれる。

 このタイミングでわざわざみんなのいる中、私を訪ねて渡してくれた本。
 その意味を考える前に、正方形の形をした装丁に触れた瞬間、私は心がざわつく感触を覚えた。

「もう日本に帰宅していたんですね、お忙しいところありがとうございます。
 あの、これはもしかして……」

「あぁ、私達の共同制作である、絵本のサンプルだ。
 君が退院したら渡そうと思っていた。一緒に喜びを分かち合いたいからね」

 何という粋な計らいだろう……。
 こうして外の世界に羽ばたくことの出来たその日に、この絵本を手にすることになるとは。
 私は驚きで息をするのも忘れる程だった。

「もう完成したみたいね。神崎さんったら、本当にタイミングを見計らったように登場するんだから。憎い人よね……」

 華鈴さんも隣にやって来て、テーブルを囲んでくれる。
 神崎さんは今日までパリでの展覧会に付きっきりになっていたようで長期間の滞在だったと話した。
 
「本当に完成するなんて、夢みたいです……」

 まだ実感の持てないまま、宝物を掴むように大事に絵本を握る。
 絵を描いてくれた往人さんもまだ完成品の中身を見ていないようで、私の隣で「よくこの短期間で完成まで持っていけたな」と感心していた。

「夢は叶えるためにあるものだ。後は君が了承してくれたら出版社に確認を取って印刷会社に持って行こう。もちろん、君が音声収録したものも一緒に加えてもらうつもりだ」

 私が我が儘を言って要望に出したものと真摯に向き合い、取り組んでくれている。それを感じさせてくれる神崎さんの言葉だった。

「ありがとうございます……。
 私の朗読はついでみたいなものですので。
 開いてもいいですか?」

 朗読は隣に恵美ちゃんや往人さんに見守ってもらい大変な苦労しながら収録した思い出が残っている。
 そんな記憶もまだ新しい中、私はもう待ちきれない気持ちだった。

「もちろんだ、私と美桜さんは先に内容の確認を済ませている。
 往人と一緒に楽しんでくれるといい。
 私はコーヒーを飲みながら長旅の疲れを癒すため、二階席で寛いでいるからな」

 そう言って華鈴さんと親し気に言葉を交わしながら離れていく神崎さん。
 迷いないその優雅な振る舞いがカリスマ性をさらに私に印象付ける。
 残された私は往人さんと肩が当たりそうなくらいに近づいて、二人でじっくり楽しむことにした。

「それでは往人さん……寛大なお心遣いを噛み締めて、一緒にご覧に入れますか?」
「あぁ……ちょっと自分の絵を一緒に眺めるのは恥ずかしいけどな」

 要望通り、”てんじつき、さわるえほん”として作られたアイディアがいっぱいに詰まった魔法の絵本。

 私達四人の共同制作作品、”空を飛べたら”をテーブルに置き、緊張で震える手を抑えつつ、恐る恐る私はページを開いた。

 点字に手で触れて実感する、私が書いた物語のテキスト。
 子どもたちにも触れられるよう、よりシンプルな文章に変貌した小夜(さよ)佳代(かよ)の優しくも切ない物語。

 空飛ぶうさぎの歌と私が経験した真美との旅をモチーフにしていて、深く考えすぎるとほろ苦い記憶が思い出される内容だ。

 絵本としての体裁を取るこのお話を手で楽しむことができるよう、表紙も本文用紙もしっかりとした厚紙で作られ、透明樹脂インクによる隆起印刷を施してある。

 立体的に感じられる往人さんの描いた動物や人物。
 思い出深い、うさぎの両耳に触れるとまた一つ感動を覚えた。

「本当に凄いね……私達でもこんなに立派な作品が作れるんだ……」

 一ページ毎に制作の思い出と感動がやって来る。
 ただ、私の思い付きで始まった物語がこうして形となっているのだ。
 これが嬉しくないわけがなかった。

「一人では不可能でも、こうして手を取り合って一緒に制作を進めれば確かな形に出来る。俺たちに叶えたい夢を与えてくれた郁恵のおかげだよ」

「私はお話を書いて要望を伝えただけだよ。三人が私の願いをかけがえのない形で叶えてくれた。
 こんなに嬉しいことはないよ。往人さんなら分かってくれるよね?
 目が不自由な人たちにとって、この絵本がどれだけ大切であるか」

 自分が書いたストーリーなのに、ページをめくるたびにワクワクが止まらない。この感動を共有したくて、私は往人さんに言った。

「もちろんだよ。動物と触れ合う温かい描写もありつつ、なかなか深い考察だって出来るところもあって、魅力的だよ」

「そうかなそうかな? 自分の書いたものを褒められると胸がドキドキしちゃうね」 

 往人さんの言葉で余計に胸が高鳴る私。
 登場するキャラクターが大きさや形、触り心地の違いで認識できたり、一ページ毎に広がる工夫の詰まった内容に感銘を受ける。

 これで徐々にバリエーションを広げている、バリアフリー本に新たな作品を加えることができる喜びは想像を超えていた。
 

 ”視覚障がいを持った私が考えた物語を絵本という形で視覚障がいを持った人々にも届ける。それが私の目指した絵本の形だ”


 それを見事に形に出来たことは、本当に嬉しいことだった。

 私は絵本の確認を終えた後、往人さんに一つのお願いをした。

「私ね、この絵本を往人さんのお父様、桜井海人さんにも届けたいの。
 きっと、視覚障がいを持った同じ人間としてこの作品の価値を分かってくれると思うから」

「そうだな……親父にだって眩しいくらいにこの絵本の素晴らしさが分かるだろう。
 俺の描いた絵は物足りないかもしれねぇが、そういう魅力が詰まってる。障がいのあるなしに限定せず、子どもだけじゃない、大人にだって楽しんでもらえる作品だ」

 往人さんは「余計に嫉妬させてしまうかもしれないけどな」と苦笑いを浮かべながら言い、絵本を読了した後の興奮に一緒に酔いしれてくれた。

「この気持ちが届くといいな……海人さんとも私は仲良くなれたらいいなって思うから。
 それと、往人さんはこれからもっと有名になる画家なんだから。
 頑張ってね、応援してるから」

「随分無茶ぶりな期待を寄せてくれるなぁ……郁恵を支えられるように頑張るよ」

 私の自信たっぷりの言葉に何とか答えてくれる往人さん。
 少しでもこの絵本をきっかけに往人さんの絵を見てくれる人が増えてるといいなと私は心から願った。