家にいなかった郁恵の行方を探して、俺は走り出した。
去年に郁恵がプレゼントしてくれたマフラーを掴み、無事を祈る。
吐く息も白くなるほどの厳寒も気にしている余裕はない。
ただ、目を凝らして走っている方が寒さも忘れて余計なことを考えずに済んだ。
喫茶さきがけに到着して扉を勢いよく開く。
そこにいたのは帰り支度を済ませた、私服姿の華鈴さんだけだった。
「往人君、帰って来ていたの?」
驚いた様子で声を上げる華鈴さん。
俺は息を切らしながら何とか郁恵の無事を確かめようと口を開いた。
「さっき日本に帰ってきたばかりです。
郁恵を……それより郁恵を見ませんでしたか?
まだ、家に帰って来ていないんです」
「えっ……? 嘘でしょ……。
本当なの? 郁恵さんなら一時間くらい前にケーキを取りに来たけど、その後は真っ直ぐ家に帰ったはずよ」
「そうですか……親父の言ってたことに間違いはなかったか。
だが、一体どこに行っちまったんだよ、郁恵は」
苛立ちのあまり独り言のように俺は呟く。
見つかるまで捜し出さなければならない、絶対に。
携帯も繋がらず、行方知らずのまま家に帰るわけにはいかない。
俺は意地でも捜し出す決意を固めた。
「すみません、俺は郁恵を捜します。
何か分かったことがあれば、俺に連絡をください」
「もちろんよ。あの子ったら一体どこに行ったのかしら。
往人君と会えるのを楽しみにしていたのに……」
今年も一緒に演奏をして郁恵のことを妹のように可愛がる華鈴さんが本気で心配をして考え込む。
行方の分からぬまま嫌な胸騒ぎが止まらない。
事件や事故に巻き込まれたのかもしれない。
誰かに誘拐されてしまったのかもしれない。
そんな、嫌な想像ばかりが頭に浮かんでくる。
早く郁恵に会って無事を確かめたい。
俺は耐え切れないほどに胸が苦しくなっていく中、喫茶さきがけを後にした。
俺は家から喫茶さきがけまでの道中に行方不明の郁恵がいることを願って、先程とは別のルートを早足で歩いた。
喫茶さきがけに来るまでにすれ違っていないのだから、同じ道を歩くよりは見つけられる可能性があると考えた。
先程来た道よりも狭く通りづらいが近道になっている道。
普段は通ることが少ないが、急いで帰りたくてこちらの道を選んだのかもしれない。
そんな希望にすがりつき俺は寒さで煙のような息を吐きながら捜し歩いた。
そして、信号のない見晴らしの悪い交差点に差し掛かったところで、目新しい事故現場を発見した。
数少ない街灯と警察車両のヘッドライトが事故の状況を映し出す。
雪解けが進み、濡れたアスファルトの所々に血痕らしきものが残っている。
警官の数は多くないが、物々しい光景に変わりはなかった。
全色盲なだけでなく、視力も悪いせいで夜になると余計に視界の悪さが際立つ中、郁恵のスマートフォンを握った面識ない三十歳前後の見た目をした謎の女性を見つけた。
「そのスマートフォン、一緒に暮らしてる奴の持ち物なんだが」
スマートフォンに着けられている人参を咥えたうさぎのストラップは縁起物として郁恵が付けていた物だ。
事情が分からないが一刻の猶予もない俺は、女性に近づいていき躊躇うことなく話しかけた。
「あなたは……前田郁恵さんの彼氏さん?」
手掛かりを逃すわけにはいかない、俺はただ真っすぐに相手を見つめ頷いた。
ようやく目が合った手掛かりになりそうなスマートフォンを手にした女性は、ハイネックニットの上にテーラードジャケットを着て、左手薬指には指輪を嵌めて、デニムパンツを履いたお洒落な姿をしている。
曇った表情をした相手から郁恵のスマートフォンを手渡されて今一度確かめる。
事故の被害にあったのだろう、既に電源も切れてひび割れて壊れている状態のスマートフォン。
携帯の機種や傷の位置も含めて郁恵が出会った頃からずっと使っているスマートフォンであることに間違いはなかった。
「その……言いづらいのだけど、前田郁恵さんのことを捜しているの……」
気まずそうにそう口にする女性、郁恵の姿が見えないことでさらなる不安が俺に押し寄せていた。
「あんたもか。俺は家に帰って来ていないから捜していたんだ。この通り、スマホがここにあるから連絡も通じないからな」
「そうだったの……ごめんなさい。動物病院で私が目を離した間にいなくなったみたい」
事情を話し始めた女性は大学で郁恵のサポートスタッフをしていた女性の姉だと自己紹介した。さらにフェロッソが轢き逃げの交通事故に遭い、その様子を見て助けようとショックを受けていた郁恵を連れて動物病院まで運んでくれたことを教えてくれた。
過去にも事故があったのか、交差点には危険を伝える看板が置かれている。
目の見えない郁恵にとっては他の道路と同じに感じられても、自転車や自動車で交通する者にとっては違い、危険な通りであるということなのだろう。
これは不運であったと簡単に決めつけられる話ではない。
そう思えば、郁恵にこの交差点を使わないよう前々から伝えていれば事故は抑止出来たのではないか、そんな思いが後悔と共に湧き上がってきた。
「ありがとうございます……郁恵の力になってくれて……。
まだ日本に帰って来たばかりですが郁恵の行方は俺が捜します」
悔やんでいるのだろう……沈んだ表情を浮かべる相手を見て俺は思った。
この場にいても何も解決しないことを悟り、感謝を伝えて俺は郁恵を捜しに出ることにした。
ミスコンの打ち上げパーティー会場まで助けに行った時のように、GPS付きの防犯ブザーは郁恵に持たせていない。
この情報のまるでない中、自力で捜索しなければならないのかと思うと胸が引き裂かれそうだった。
郁恵は今もどこかで苦しんでいるかもしれない、泣いているかもしれない、俺のことを呼んでいるかもしれない。
やっと会えると思って日本に帰って来たのに、悲惨な状況に泣き出しそうになった。
何とか郁恵が行きそうな場所を頭の中を振り絞って考える。
闇雲に捜すしかないのか……そう思いかけたその時、俺の誕生日の日に、付き合って初めてのデートで行った、あの砂浜での郁恵の言葉を思い出した。
”往人さん……一つだけ覚えていてください”
”もしも私が自分を見失いそうになったら、絶対に助けにきてね”
”私……信じてるから、真美が私を攫う前に助けにきてくれること”
あの言葉を郁恵はどんな気持ちで伝えようとしたのか、今一度考える。
入院していた頃、友人だったと言っていた真美が郁恵のことを攫う……。
思い出の砂浜に連れて行ってしまう……。
「僅かな可能性かもしれないが、賭けてみるか」
それは最も危険な想像に違いない。
だが、思い出してしまったら、あの場所に行かなければならないという使命感が自然と湧き上がった。
何としても郁恵を見つけなけれならない。
ただその一心で俺は一面に砂浜が広がるあの海岸を目指すことに決めた。
「前田郁恵さんのことを見つけたのね」
物思いに耽っていた俺に向かって女性は言った。
しっかりした大人の女性に言われると、自分が本当に見つけられるような予感がした。
「思い出しただけです、大切な約束を」
もう迷う必要はない、俺は女性に顔を向けて言い放った。
「そう……郁恵さんを大切にしてくれている彼氏さんの言葉なら信じるわ。
だから、郁恵さんを見つけたら教えてあげて。
あなたのパートナーの盲導犬は死んでなんてない、生命に別状はないって」
盲導犬のことも、郁恵のことも本当に心配してくれているのだろう。
目を潤ませながら、綺麗な瞳を俺に向ける女性。
迷いがなくなったことで俺は冷静になって表情も和らいだ。
「事故に遭ったのは災難ですが、それは良かったです。必ず伝えます」
記念日を最悪の日に塗りつぶすわけにはいかない。
一人きりの恩人に別れを告げて、僅かな可能性に賭けて俺は動き出した。
去年に郁恵がプレゼントしてくれたマフラーを掴み、無事を祈る。
吐く息も白くなるほどの厳寒も気にしている余裕はない。
ただ、目を凝らして走っている方が寒さも忘れて余計なことを考えずに済んだ。
喫茶さきがけに到着して扉を勢いよく開く。
そこにいたのは帰り支度を済ませた、私服姿の華鈴さんだけだった。
「往人君、帰って来ていたの?」
驚いた様子で声を上げる華鈴さん。
俺は息を切らしながら何とか郁恵の無事を確かめようと口を開いた。
「さっき日本に帰ってきたばかりです。
郁恵を……それより郁恵を見ませんでしたか?
まだ、家に帰って来ていないんです」
「えっ……? 嘘でしょ……。
本当なの? 郁恵さんなら一時間くらい前にケーキを取りに来たけど、その後は真っ直ぐ家に帰ったはずよ」
「そうですか……親父の言ってたことに間違いはなかったか。
だが、一体どこに行っちまったんだよ、郁恵は」
苛立ちのあまり独り言のように俺は呟く。
見つかるまで捜し出さなければならない、絶対に。
携帯も繋がらず、行方知らずのまま家に帰るわけにはいかない。
俺は意地でも捜し出す決意を固めた。
「すみません、俺は郁恵を捜します。
何か分かったことがあれば、俺に連絡をください」
「もちろんよ。あの子ったら一体どこに行ったのかしら。
往人君と会えるのを楽しみにしていたのに……」
今年も一緒に演奏をして郁恵のことを妹のように可愛がる華鈴さんが本気で心配をして考え込む。
行方の分からぬまま嫌な胸騒ぎが止まらない。
事件や事故に巻き込まれたのかもしれない。
誰かに誘拐されてしまったのかもしれない。
そんな、嫌な想像ばかりが頭に浮かんでくる。
早く郁恵に会って無事を確かめたい。
俺は耐え切れないほどに胸が苦しくなっていく中、喫茶さきがけを後にした。
俺は家から喫茶さきがけまでの道中に行方不明の郁恵がいることを願って、先程とは別のルートを早足で歩いた。
喫茶さきがけに来るまでにすれ違っていないのだから、同じ道を歩くよりは見つけられる可能性があると考えた。
先程来た道よりも狭く通りづらいが近道になっている道。
普段は通ることが少ないが、急いで帰りたくてこちらの道を選んだのかもしれない。
そんな希望にすがりつき俺は寒さで煙のような息を吐きながら捜し歩いた。
そして、信号のない見晴らしの悪い交差点に差し掛かったところで、目新しい事故現場を発見した。
数少ない街灯と警察車両のヘッドライトが事故の状況を映し出す。
雪解けが進み、濡れたアスファルトの所々に血痕らしきものが残っている。
警官の数は多くないが、物々しい光景に変わりはなかった。
全色盲なだけでなく、視力も悪いせいで夜になると余計に視界の悪さが際立つ中、郁恵のスマートフォンを握った面識ない三十歳前後の見た目をした謎の女性を見つけた。
「そのスマートフォン、一緒に暮らしてる奴の持ち物なんだが」
スマートフォンに着けられている人参を咥えたうさぎのストラップは縁起物として郁恵が付けていた物だ。
事情が分からないが一刻の猶予もない俺は、女性に近づいていき躊躇うことなく話しかけた。
「あなたは……前田郁恵さんの彼氏さん?」
手掛かりを逃すわけにはいかない、俺はただ真っすぐに相手を見つめ頷いた。
ようやく目が合った手掛かりになりそうなスマートフォンを手にした女性は、ハイネックニットの上にテーラードジャケットを着て、左手薬指には指輪を嵌めて、デニムパンツを履いたお洒落な姿をしている。
曇った表情をした相手から郁恵のスマートフォンを手渡されて今一度確かめる。
事故の被害にあったのだろう、既に電源も切れてひび割れて壊れている状態のスマートフォン。
携帯の機種や傷の位置も含めて郁恵が出会った頃からずっと使っているスマートフォンであることに間違いはなかった。
「その……言いづらいのだけど、前田郁恵さんのことを捜しているの……」
気まずそうにそう口にする女性、郁恵の姿が見えないことでさらなる不安が俺に押し寄せていた。
「あんたもか。俺は家に帰って来ていないから捜していたんだ。この通り、スマホがここにあるから連絡も通じないからな」
「そうだったの……ごめんなさい。動物病院で私が目を離した間にいなくなったみたい」
事情を話し始めた女性は大学で郁恵のサポートスタッフをしていた女性の姉だと自己紹介した。さらにフェロッソが轢き逃げの交通事故に遭い、その様子を見て助けようとショックを受けていた郁恵を連れて動物病院まで運んでくれたことを教えてくれた。
過去にも事故があったのか、交差点には危険を伝える看板が置かれている。
目の見えない郁恵にとっては他の道路と同じに感じられても、自転車や自動車で交通する者にとっては違い、危険な通りであるということなのだろう。
これは不運であったと簡単に決めつけられる話ではない。
そう思えば、郁恵にこの交差点を使わないよう前々から伝えていれば事故は抑止出来たのではないか、そんな思いが後悔と共に湧き上がってきた。
「ありがとうございます……郁恵の力になってくれて……。
まだ日本に帰って来たばかりですが郁恵の行方は俺が捜します」
悔やんでいるのだろう……沈んだ表情を浮かべる相手を見て俺は思った。
この場にいても何も解決しないことを悟り、感謝を伝えて俺は郁恵を捜しに出ることにした。
ミスコンの打ち上げパーティー会場まで助けに行った時のように、GPS付きの防犯ブザーは郁恵に持たせていない。
この情報のまるでない中、自力で捜索しなければならないのかと思うと胸が引き裂かれそうだった。
郁恵は今もどこかで苦しんでいるかもしれない、泣いているかもしれない、俺のことを呼んでいるかもしれない。
やっと会えると思って日本に帰って来たのに、悲惨な状況に泣き出しそうになった。
何とか郁恵が行きそうな場所を頭の中を振り絞って考える。
闇雲に捜すしかないのか……そう思いかけたその時、俺の誕生日の日に、付き合って初めてのデートで行った、あの砂浜での郁恵の言葉を思い出した。
”往人さん……一つだけ覚えていてください”
”もしも私が自分を見失いそうになったら、絶対に助けにきてね”
”私……信じてるから、真美が私を攫う前に助けにきてくれること”
あの言葉を郁恵はどんな気持ちで伝えようとしたのか、今一度考える。
入院していた頃、友人だったと言っていた真美が郁恵のことを攫う……。
思い出の砂浜に連れて行ってしまう……。
「僅かな可能性かもしれないが、賭けてみるか」
それは最も危険な想像に違いない。
だが、思い出してしまったら、あの場所に行かなければならないという使命感が自然と湧き上がった。
何としても郁恵を見つけなけれならない。
ただその一心で俺は一面に砂浜が広がるあの海岸を目指すことに決めた。
「前田郁恵さんのことを見つけたのね」
物思いに耽っていた俺に向かって女性は言った。
しっかりした大人の女性に言われると、自分が本当に見つけられるような予感がした。
「思い出しただけです、大切な約束を」
もう迷う必要はない、俺は女性に顔を向けて言い放った。
「そう……郁恵さんを大切にしてくれている彼氏さんの言葉なら信じるわ。
だから、郁恵さんを見つけたら教えてあげて。
あなたのパートナーの盲導犬は死んでなんてない、生命に別状はないって」
盲導犬のことも、郁恵のことも本当に心配してくれているのだろう。
目を潤ませながら、綺麗な瞳を俺に向ける女性。
迷いがなくなったことで俺は冷静になって表情も和らいだ。
「事故に遭ったのは災難ですが、それは良かったです。必ず伝えます」
記念日を最悪の日に塗りつぶすわけにはいかない。
一人きりの恩人に別れを告げて、僅かな可能性に賭けて俺は動き出した。
