視えない私のめぐる春夏秋冬

 思い出の回想を終えた俺は、長いフライトから解放され、関西国際空港に降り立った。
 預けていた旅行用カバンを手にして、俺は足早に空港を離れて家を目指した。
 
 既に時刻は夜六時を回っている。俺は一秒でも早く郁恵に会いたい一心で電車に乗り込んだ。

 待ちきれない思いを抱えながら、最寄り駅に到着した俺は自然と早足になっていた。

 そして、すっかり暗くなった日本の街の景観に懐かしさを覚えつつ施錠されていない鍵の開いた玄関から家に入った瞬間、俺はあまりに予想外の光景に出くわした。

「どうして……親父がここにいるんだよ」

 皴一つないスーツ姿をして、何食わぬ顔でそこに居座る肉親。
 最悪の形で父親と再会してしまった俺は旅行用カバンを乱暴に玄関に置いて、すぐさま靴を脱いで玄関を上がった。威嚇するように鋭い視線を向け、どうしてここにいるのかと俺は父親を睨みながら考えた。
 だが、考える間もなくその答えは相手から告げられた。

「本当にこんなところで会うことになるとは不思議な心地だな。
 ”砂絵の少女に会いに来ただけだよ……”
 彼女はどうも、お前と会わせたかったらしいがな」

「なんだよそれは……訳わからねぇことを言いやがって……。
 家にまで押しかけてきた親父と何で今更会う理由がある……。
 あいつに余計なことをしようとしてたんじゃねぇだろうな」

 部屋に入り、俺は握拳を作り警戒心を露わにする。
 せっかく郁恵に会えると思って帰って来たのに、苛立ちを隠せるはずがない。
 依然として涼しい顔をする親父が一体、何を考えているのかまるで思考が読めない状況が続く。

「久しぶりに会ったというのに、そんな物騒な顔をするなよ。
 往人、お前にとっての特別な相手に危害を加えることなんてするわけがない。
 往人にとって特別であるということは私にとっても特別な存在ということなのだからな。息子が真剣なお付き合いをしているというのなら、誘いを断る理由はないだろう。それが親というものだ」

 親父の俺に対する淡白な態度は昔から変わらない。
 母が優しかった分、放任主義の親父とは一度溝が出来ると埋まることはなかった。

「親父と関わる気なんてこっちにはないんだよ……。
 母さんの妹と再婚して、そんな非常識な奴の世話になりたかねぇんだよ。
 いつまでも母さんのことが忘れられないっていうなら、自分の家で慰め合ってればいいだろ!
 郁恵に手を出してんじゃねぇよ!」

 寒さも忘れて感情を爆発させる俺。
 郁恵が親父にどう接していたかなんて関係なかった。

「母さんと過ごした時間は往人、お前よりもずっと長いんだよ。
 忘れて生きるよりも、悲しみを分け合って生きる方が清く正しい。
 息子のお前には分かって欲しいものだな」

 冷静に言葉を返す親父、そこに過去の反省は見えない。

 母さんが亡くなって葬儀も終わり、一か月が過ぎた頃、親父は家に帰らなくなり、母さんの実家に出入りして母さんの妹と慰め合い、どうしてか付き合い始めた。

 手を繋ぎ、肩を寄せ合い、一緒に飯を食べている。
 三人で暮らしていた頃とはあまりに変わり果てた光景に俺の心は掻き乱されていった。
 そして、数か月が経ってから、俺は妹を妊娠させたことを告げられた。
 母の死の真相も明らかにならないまま、家を空けてまでしていた親父の奇行。
   
 自分達の世界に浸り、母のことを過去の人にしていく二人の態度。
 忌々しい双子の兄妹が生まれた直後、一緒の家に暮らすことに限界を感じた俺はよく通っていたアトリエがある師匠の家に居候することを選んだ。

 普段から事情を話していたことから、師匠は俺に同情してくれた。
 師匠が母が命の落とした日の第一発見者だったのも大きかったのだろう。
 そんなことを俺は当時思った。

「分かる訳ねぇよ……そんな安っぽい愛に巻き込むんじゃねぇ……。
 それよりも郁恵はどこにいるんだよ?」

 思い出しただけで反吐が出る。
 郁恵との大切な日になんてことを思い出させるのか。
 俺は感情を抑えられないまま、郁恵のことを聞いた。

「あの子ならケーキを忘れたからと喫茶店まで取りに行くと言っていたよ。
 意外と帰って来るのが遅いようだがね……。
 向こうでゆっくりコーヒーを御馳走してもらってるんじゃないかい?」

「ああそうかい、ここにいないっていうなら用はねぇよ。
 親父の相手をしてる暇なんてねぇ、俺は郁恵に用があんだよ」

 心配する様子もなく悠長なことを口にする親父。
 郁恵は盲導犬のフェロッソといつも一緒にいるとはいえ、全盲の視覚障がいを持った人間だ。夜間に出歩くことがどれだけ危険な事か、考えればすぐに分かることのはずなのに。

 携帯が繋がらないから途中から慌てて帰って来たがこのざまとは。

 ここで待っていても帰ってくる保障はない。

 俺は親父と二人きりでいる気分になれるはずもなく、居ても立っても居られず、玄関を飛び出した。