「あんこ一択だろう」
妻の冷たい視線は、俺の齧りあとへ落ちている。言いたいことは分かっている。俺の選んだハムチーズに物申したいのだ。妻は勿論、あんこを選んでいる。
たい焼きの話だ。
妻が勤めるのは、国内最大手の警備会社だ。機密事項は多いし危険をともなう任務もあるため、常に心労が絶えない。俺の心労が、だ。
本人はその繊細で美しいかんばせとは裏腹に、武闘派でならしている。決して怖いもの知らずではないのだが、危険を承知でなお果敢に立ち向かっていく。その姿勢は、出会ったころから変わらない。
勿論日頃から心身共に鍛えているからこその武闘派だ。国内の主な武道大会では何度も賞を獲っているし、獲ったトロフィーの数と同じだけ、家にあるトレーニング用のバーベルプレートも増えていく。そう、妻は着やせするタイプである。
「おい、目つきが気持ち悪いぞ」
「すまん」
昨晩のことを思い出したら、つい顔がにやけてしまった。
仕事から帰るなり妻に押し倒された。大体分かる。こういう時は、仕事中に何か危険なことがあったのだ。スーツに皴一つないところを見ると、相変わらず冷静に任務を終わらせてきたのだろうが、そういう時の妻は、行き所のない興奮を俺にぶつけてくる。
綺麗についた筋肉を見ながら、俺はこいつと出会って良かったと心底思う。色々な相性が良くて(色々)、俺の知らない世界も見せてくれる、懐(色々)の深い男だ。
何より妻は、旨いもの(特にスイーツ)に関する情報収集力が異様に高いのだ。俺はそれを特殊能力と呼んでいる。その特殊能力のおかげで、俺はたくさんの旨いものに巡り合ってきた。
さて、今回のたい焼きである。妻はスイーツ全般得意だが、特に和ものに目がないことを俺は熟知している。そこで、インドア系フリーランス業のテクニックを駆使して(つまりネットで調べた)、妻の好きそうな店を発見した。
どこの駅から歩いてもかなり時間のかかる、住宅街の一軒家を改造した小さな店だ。老夫婦が切り盛りしている。
ようやくお互いに休みの取れた日曜日。俺は隣で寝息を立てる妻の耳元で、
「たい焼き、食いに行こうぜ」
と優しく促した。普段は寝起きの悪い妻だが、たい焼きの言葉にぱっと目を覚ますと、
「つぶあんか? こしあんか?」
と鋭い指摘を入れてきた。さすが警備のプロだ、チェックに抜かりはない。
「つぶあんだ」
「よし」
その方がきっとたい焼きがより美味く感じられるからと朝メシを抜いて電車に乗り、えんえん歩いて店の看板を見つけたところで、俺は誘惑に負けてしまったのだ。
「期間限定 ハムチーズたい焼き」
だってハムチーズだぞ? 朝メシ抜いた腹がそれ下さいって。それを下さいって泣くんだぞ? 食わないわけにはいかないじゃないか、期間限定だし。
そんな俺を一瞥すると、妻はまた自分のたい焼きに戻っていった。
「頭から尻尾までつぶあんがぎっしりだ。甘すぎないところも良い。煮詰めすぎていないから柔らかさもちょうど良い」
「なあ、俺のハムチーズも一口いってみろって。普通のチーズじゃないぞこれ」
勿論あんこも美味いだろう。レビューにもそう書いてあった。だが、このハムチーズも老夫婦のこだわりがとことん感じられる一品だと思うのだ。
俺の齧ったところから、とろりと白いチーズがはみ出した。妻はチーズと俺の顔を見比べたあと、あーんと俺の齧ったところに口を持っていく。う、可愛い。
「……美味い」
「な?」
そうなのだ。このハムチーズ、ただのおかずたい焼きじゃないのだ。立派にデザート。スイーツ。ちゃんと生地の甘味と融合している。かけ離れていない。長年連れ添ったフウフのようだ。
「だがこっちも食え。あんこも食ってこその、たい焼きだ」
「はい」
俺も目の前に差し出された妻の齧りかけから、一口貰う。大満足のボリュームといくらでも食べられそうな優しい甘み。決して媚びはしないが、気づけば寄り添ってくれているような。
「たい焼き、美味いな」
「そうだな」
老夫婦がにこにこ笑いながら、軒先の小さな椅子にぎゅうぎゅうになって座っている俺達を眺めていた。
妻の冷たい視線は、俺の齧りあとへ落ちている。言いたいことは分かっている。俺の選んだハムチーズに物申したいのだ。妻は勿論、あんこを選んでいる。
たい焼きの話だ。
妻が勤めるのは、国内最大手の警備会社だ。機密事項は多いし危険をともなう任務もあるため、常に心労が絶えない。俺の心労が、だ。
本人はその繊細で美しいかんばせとは裏腹に、武闘派でならしている。決して怖いもの知らずではないのだが、危険を承知でなお果敢に立ち向かっていく。その姿勢は、出会ったころから変わらない。
勿論日頃から心身共に鍛えているからこその武闘派だ。国内の主な武道大会では何度も賞を獲っているし、獲ったトロフィーの数と同じだけ、家にあるトレーニング用のバーベルプレートも増えていく。そう、妻は着やせするタイプである。
「おい、目つきが気持ち悪いぞ」
「すまん」
昨晩のことを思い出したら、つい顔がにやけてしまった。
仕事から帰るなり妻に押し倒された。大体分かる。こういう時は、仕事中に何か危険なことがあったのだ。スーツに皴一つないところを見ると、相変わらず冷静に任務を終わらせてきたのだろうが、そういう時の妻は、行き所のない興奮を俺にぶつけてくる。
綺麗についた筋肉を見ながら、俺はこいつと出会って良かったと心底思う。色々な相性が良くて(色々)、俺の知らない世界も見せてくれる、懐(色々)の深い男だ。
何より妻は、旨いもの(特にスイーツ)に関する情報収集力が異様に高いのだ。俺はそれを特殊能力と呼んでいる。その特殊能力のおかげで、俺はたくさんの旨いものに巡り合ってきた。
さて、今回のたい焼きである。妻はスイーツ全般得意だが、特に和ものに目がないことを俺は熟知している。そこで、インドア系フリーランス業のテクニックを駆使して(つまりネットで調べた)、妻の好きそうな店を発見した。
どこの駅から歩いてもかなり時間のかかる、住宅街の一軒家を改造した小さな店だ。老夫婦が切り盛りしている。
ようやくお互いに休みの取れた日曜日。俺は隣で寝息を立てる妻の耳元で、
「たい焼き、食いに行こうぜ」
と優しく促した。普段は寝起きの悪い妻だが、たい焼きの言葉にぱっと目を覚ますと、
「つぶあんか? こしあんか?」
と鋭い指摘を入れてきた。さすが警備のプロだ、チェックに抜かりはない。
「つぶあんだ」
「よし」
その方がきっとたい焼きがより美味く感じられるからと朝メシを抜いて電車に乗り、えんえん歩いて店の看板を見つけたところで、俺は誘惑に負けてしまったのだ。
「期間限定 ハムチーズたい焼き」
だってハムチーズだぞ? 朝メシ抜いた腹がそれ下さいって。それを下さいって泣くんだぞ? 食わないわけにはいかないじゃないか、期間限定だし。
そんな俺を一瞥すると、妻はまた自分のたい焼きに戻っていった。
「頭から尻尾までつぶあんがぎっしりだ。甘すぎないところも良い。煮詰めすぎていないから柔らかさもちょうど良い」
「なあ、俺のハムチーズも一口いってみろって。普通のチーズじゃないぞこれ」
勿論あんこも美味いだろう。レビューにもそう書いてあった。だが、このハムチーズも老夫婦のこだわりがとことん感じられる一品だと思うのだ。
俺の齧ったところから、とろりと白いチーズがはみ出した。妻はチーズと俺の顔を見比べたあと、あーんと俺の齧ったところに口を持っていく。う、可愛い。
「……美味い」
「な?」
そうなのだ。このハムチーズ、ただのおかずたい焼きじゃないのだ。立派にデザート。スイーツ。ちゃんと生地の甘味と融合している。かけ離れていない。長年連れ添ったフウフのようだ。
「だがこっちも食え。あんこも食ってこその、たい焼きだ」
「はい」
俺も目の前に差し出された妻の齧りかけから、一口貰う。大満足のボリュームといくらでも食べられそうな優しい甘み。決して媚びはしないが、気づけば寄り添ってくれているような。
「たい焼き、美味いな」
「そうだな」
老夫婦がにこにこ笑いながら、軒先の小さな椅子にぎゅうぎゅうになって座っている俺達を眺めていた。