悪夢が終わりを告げる事はなかった。

 志緒達はあの夜から5日もの間、この世界に取り残されている。
 いや、あの日この「ゲーム」にログインしていた全てのプレイヤーがだった。

 彼らの身体は、果たして今どうなっているのか。
 この世界で食べ物を口にすれば飢えは治まりはするが、現実世界ではそれで済む(はず)がない。
 皆が病院に担ぎ込まれ、点滴による栄養補給を受けて生き長らえているのか。

 誰も答えを導き出せないという現状が、多くの者を精神的に追い詰めていった。

 帝都では今、そんな馬鹿な話があるかと意固地になったプレイヤーの一人が脱水症状で命を落としたという(うわさ)が駆け巡っている。
 餓死直前の苦しみを味わったという人間も、数え切れない程に昇った。
 その所為(せい)で帝都の物価はつり上がる一方だった。

 当たり前の話、これまでアルドランだけだった市場は、プレイヤー達が止む無い参入を果たした事によりその食料消費は加速されていった。
 国内の食料備蓄は削られ、生産が追い付くまで単価が高騰(こうとう)する事態となった。

 早々と察していた者達はギルドの銀行から貯金を全額降ろそうとしたが、不可能であった。
 ブレスレットである。
 認証の(ため)のそれらが一切として機能しない。それ故にギルドは本人と認めず、口座を利用する事ができなくなった。
 一時期、その事で暴動にまでなりかけた。

 決して壊れもせず、外れもしない筈のその半透明な腕輪は、今はそこら中に投げ捨てられている有様だ。
 もはや一銭にもならないガラクタだ。

 稼ぎに行こうにも、もう今までのような手法は彼等に取れない。
 比較的に安全な狩り場なども、既に同じ考えの多くのプレイヤー達によって荒らされており、ここに来て彼等の困窮は頂点を極める。

 多くの者が犯罪にすら走った。
 不死で無くなった彼等は捕らえて貰えれば御の字であり、その場で切り伏せられる者も相当数だったろう。
 ここは現代の日本ではない、法はあるがそれは帝国市民(アルドラン)の為のものだ。




 そんな中、遠出の為にいくらか手持ちのあった志緒達も苦境に晒される。
 日数毎に積もり行く宿代とて馬鹿にはならない。
 そこで増山は一同を集め、ある提案を切り出していた。

「エクトリアに戻ろう」
「いきなりどしたんよ、まっすん」
「この状況じゃ、もう選択肢は多くない。その中で一番の良策だと思えるのがエクトリアに戻る事だ」

 増山はいつもの芝居がかった面を脱ぎ捨て、真剣な顔で皆を見渡す。

「あそこは物価も土地も安い上、何よりも農業特区だ。一面に広がっていた麦畑を憶えているだろ? 人がそんなに居ない長閑(のどか)な所だから治安も良い。これ以上、ここ帝都に留まるよりはきっとマシだ」

 その提案に皆はただ途惑いを見せる。
 だが、早々に志緒は自らの意思を表明する。

「俺は増山に賛成だ。実際、ここ数日の帝都の雰囲気は危ういなんてもんじゃねぇ。その内、衛兵が俺達を狩り出して来そうだ」
「ええっ!? な、何で……? だってわたし達、何も悪い事してないよ」
「俺達は、『青水晶の住人(クリスタリアン)』だ。もう、そういう次元の話じゃなくなってきてんだよ。弾圧が始まる前に、帝国の影響力が弱い地に移るのが賢い」

 志緒がその迫力を低い声に載せて一同に放つ。
 ここ数日間ずっと考えを巡らし、志緒は今のこの世界と自分達の関係を俯瞰(ふかん)できるようになっていた。

「奥崎の言う通りだ。その内さらに辺境に移り済む覚悟もしなくちゃならないかもしれない」
「ちょっ――待って待って、マジそれシリアスすぎね? そんな悲観的にならなくてもいいじゃんよ?」
「そうそう。それに人が多い帝都に居た方が情報が早いんじゃないの? システムの復旧がいつになる分からないんだし、バグが発生した地点――つまりここの位置情報から離れるのって、マズいわよねぇ」

 香坂や橋本が自身の考えをそう述べて、異を唱える。

「みんな……もういい加減に認識を改めてくれ!」

 本当にらしからぬ、痛切な声を張り上げた増山。

「あれから五日だぞ!? どんなバグかは知らないが、システムの復旧にこれだけの期間を費やしても出来ないって事は、もう尋常では済まされない領域の話かもしれないんだ!」

 その怒気すら含んで張り上げた大声に、場がしんと静まり返る。

「いやいや! まっすん? これゲームよ? これって只のゲームの話なんよ?」
()ずその〝ゲーム〟っていう認識を改めろって増山は言ってんだ」
「え……? だって、奥崎ちゃん? だってマジでさぁ……」
「そうなのかもしれない」

 静まり返っていた中、恭弥も硬い声と表情で立ち上がった。

「きょ、恭弥くん――」
「マーカークリスタルも壊れて中のプレイヤー達が放り出されたって話、憶えてる?」
「ああ、確か広場での一件があったか」

 志緒はあの時の事を思い浮かべながら頷いた。

「帝国兵に回収されていったその彼ら、もう今は全員が衰弱死したって。あれから、このゲームに新しくログインできた人間は一人もいない。……これってさ、ACSにそもそも致命的な欠陥があって、そしてそれは取り返しのつかないレベルの物だったんじゃないかって思うんだ」
「取り返しの付かないレベルって何なのさ」

 橋本が薄気味悪そうに尋ねた。

「それって、実は私達がもう死んじゃってて、意識だけがこのゲーム世界に取り残されてるとか?」
「氷川、あんた何て事言うのさ?!」

 新顔の氷川が、どこか自嘲気味に口許を歪めていた。

「でもそういうのってお約束じゃない。後はACSが私達の意識を完全に乗っ取っちゃってるとか? 実は本当に私達、このアルドヘイムっていう異世界に飛ばされてたとか? ――アハハハ、ただの冗談だって」
「ミヤちゃんもそんな事言ってたけど、不安になるからやめてよぉ」
「…………」
「ミヤちゃん? どうしたの、大丈夫?」
「大丈夫、何でもないから。あたしは幸輝がそう言うんなら……そうした方が良いかな。何だかんだ言って、この状況を一番に理解してるのって奥崎と幸輝の二人ぐらいでしょ? なら……」
「俺も増山に賛成するよ」
「マジ? んー……じゃ、俺も!」
「何さ――あんたそれ。まあ、いいわよ。うちも賛成に鞍替えっと」
「わ、わたしもっ!」
「氷川はどうだ?」
「それでいいと思う。確かに私もこの街の空気、なんかイヤ。エクトリアってちょっと田舎過ぎるけど、ま、仕方ないかな」

 満場一致という事で、さっそく彼らはその準備を始めた。














 クリスタルが使えない為、彼らは全員が乗れる二頭立ての馬車を買い取った。
 装備品の類を切り詰めるようにして売り、食料などの必要物資を買い込み、街道を真っ直ぐ北東に上ってく。

 馬車で(おもむ)けば半月は掛かる行程であったが、街道を渡っていけば迷うこともなく、途中で休める中継所なども多い。


「ケツいってぇ! 馬車ってこんなに揺れるん!?」
「そりゃ道が舗装されてないんだ。当たり前な話だぜえ」

 いつもの芝居調の増山が、手綱を引きながら後ろを振り返って笑う。

「広大な空の下、馬車に揺られて行く旅路。なんかこう、ロマンが溢れてくるよなー」
「おお、藤堂、分かってらっしゃる! こいつぁ男だったら誰もが一度は夢見るシチュエーションだぜ」
「わたしだってこういう風な空想した事あるよ」
「まさかの篠宮男説?!」
「ひっどーい! もぉっ」
「はははっ――」

 帝都の宿屋で(くす)ぶっていたあの陰鬱な雰囲気は、からりと乾いたこの青空に洗われたように消え去っていた。

「響子ちゃん、ほんとごめんね」
「何がさ?」
「だって馬車買うお金足りなくて、鎧売っちゃったんだよね」
「別にいいわよ、そんな事。あれね、着ながら動き回るのって結構しんどかったの。それにただでさえ重たいうちがあんな鎧着て馬車に乗ってたら、お馬さん達がすぐにへばっちゃうじゃないのさ」

 そう豪快に笑って、その恰幅の良い身体を揺すった。

 橋本だけでなく、戦闘用の衣装からは皆が着替えている。
 言うまでも無いがその身体は代謝を繰り返す。
 汗も掻けば、汚れも出る。――帝都で仕入れた動き易い服装の彼らは今、アルドランと何ら変わりない見た目だ。

「ねえ、眠る時も馬車の中なの?」
「いや氷川、さすがにそれはキツイだろ。体力的にもな。街道沿いに進んでいって、その都度の街で宿を取るぜ」
「なら良かった。お風呂にだって入りたいしね」
「まあ、宿に風呂があるかは保障せんがな」
「は? ウソでしょそれ」 

 それから数時間、暢気な笑いを響かせながら彼らは街道を往く。

 だがそんな朗らかな空気から、また帝都での陰鬱な空気へと戻らされる――ちょっとした事件が発生した。

「ごめん、馬車止めて」
「宮歩? どうした、酔ったか?」
「いいから――止めてっ」

 その剣幕に増山は身を強張らせる。
 停止した馬車から降り、木ノ下はどこか覚束無い足取りで離れていく。
 さらに街道からも遠のき、林の方へとふらふらと向かっていく。

「何だあいつ? ……あっ! ああー、お花を摘みに行かれたのね」
「増山くん、そういう事は分かっても口にしちゃダメだよ」
「おっと、これは失敬をば」
「篠宮、お前探ってこい」
「ちょ、ちょっと――志緒くん! いくらなんでも怒るよ」
「違ぇよ。様子を見に行ってやれって言ってんだ。木ノ下の奴、さっきからずっと青い顔してた」
「えっ? そうなの――」
「そうみたいね。木ノ下さん、ずっと俯いてたから」

 氷川がまるで何か含む事でも有るように薄く笑っている。

「わ、わたし、ちょっと見てくるね」
「瑞貴、うちも行くわ」

 馬車から瑞貴と橋本の二人も降り、慌てて木ノ下の後を追った。

「なになに? マジどったんよ? 腹でも壊したん?」
「さあ、何かしらね」

 やはり氷川がどこか面白がっている風にそう漏らした。

 暫らく掛かって、瑞貴だけがどこかぎこちなくとぼとぼと戻ってくる。

「……増山くん、次の街ってあとどれくらいかなぁ?」
「次の街? まだ結構、距離があるぞ。……え? 宮歩のやつ、そんなにヤバイのか? 病気?」
「うん、ちょっと……。熱もあるし、このまま馬車には乗ってられないみたい。出来れば、どこかで休ませてあげたいんだけど」
「弱ったな。街道沿いの次の街までは多分、まだまだ掛かるぞ。街道を外れりゃ、小さい集落ぐらいはありそうだが、そこまで詳しくは記憶してないな」
「ともかく、横になって落ち着ける場所って無いかな? このままじゃ、ミヤちゃん……えっと、その……」
「増山、俺達が近くに民家がないか探し回ってくるよ。それで、そこの家の人になんとかお願いしよう」
「恭弥の言う通りだ。手分けして探せば、近くに一軒くらいはあるだろ」
「お、おう! すまんな、お前ら」
「これ、俺も行った方がいい感じ?」
「そんな感じ!」

 恭弥が香坂の背中を叩いて促す。

 ちょうど木ノ下が橋本に肩を貸されて戻ってきた所だ。
 確かに、その顔色はひどく血の気が失せている。

 志緒達は街道から三方向に散って、手分けして民家や集落がないかを探して回る。
 お手柄な事に香坂がすぐにも近くの農園を探し当てた。

 彼らは街道を外れ、その方角へと進路を変える。
 馬車の中では、毛布を重ねて敷いたそこに木ノ下を寝かせ、瑞貴が杖をかざして回復の法術を唱えていた。

「ありがと、瑞貴……。ちょっと楽になった」
「ごめんね。私がもっとマシな回復呪文、覚えてたら良かったのに」
「なに言ってんだか」
「――大変ね? 大丈夫?」

 氷川が、どこか意味ありげに二人の会話に割り込む。

「なによ……?」
「ううん。ただ、木ノ下さんって……重い方なんだ?」
「……!」
「ひ、氷川さん!」
「辛いでしょうね。この世界ってほら、現実と違って何かとね?」
「アンタだって……そのうち……!」
「かもね。――ふふっ」

 馬車内では、ひどく刺々しい空気が立ち込めていた。

「何? どしたんよ? ――なんでケンカしてるん?」
「香坂、あんたは黙っとき」
「へ? マジどゆ事それ? 木ノ下の具合と俺が黙る事、どう関係してるん? てか、そもそも木ノ下どしたん? 食あたり?」
「香坂、いいから黙っときなって!」
「……お、親方? 何で怒ってるんよ? 俺何か悪い事したん?」
「よしなさいよ、香坂。木ノ下さんが可哀相じゃん」
「あんたもさっきからなに面白がってんのさ!?」
「はあ? ちょっと、心外じゃない。私だって心配してるんですけど? だってホラ、男子には到底分からない辛さだものね」
「――あんたねぇ!」

 その一言にて、香坂を除いた3人も勘付いた。

「それって……」
「マジか? ……そこまでを……?」
「え? え? ――何? どゆ事?」
「こ、香坂、いいからこっちに来てろっ」
「何よ? まっすーん」
「あらら、気付かれちゃった」
「氷川! あんたよくもぬけぬけと?!」
「何? 隠し立てても直にバレちゃった事でしょ? さっきそう木ノ下さんが言ったとおりにさ。その内、私達にだって。――ね? 瑞貴ちゃん?」
「――っ!?」
「うそヤダ――何その反応?! まさか図星? アハハ! そっかぁ、瑞貴ちゃんも近いんだ。大変ねぇ」
「氷川ぁ!!」

 橋本が今にも掴みかからんと立ち上がり、氷川もそれを受けて身を構えたその刹那――
 幌で覆われた薄暗い車内が橙色に輝いた。

「――うわっ!?」
「――のおぉぅ!?」

 両隣に座っていた恭弥と香坂の驚きが一番強かったろう。志緒のその手から一瞬とは言え、車内の空間を焦がす(ほむら)が放出されたのだから。

「ちょっ――ちょっと奥崎、何してんのさ?」

 肝を抜かれた橋本達も、相応に取り乱している。

「そりゃ、お前らだろうが。病人の頭上で組み合おうとなんかするな」

 木ノ下は先程から横ばいのまま苦しそうに顔を伏せている。
 その様子を目撃して、橋本はバツが悪そうにたじろいだ。

「あと氷川、お前はここで降りろ」
「――はあ!?」
「判ってんだろ、お前がこの場の空気を乱してんだよ」
「何、それ……?!」
「どうしても俺達と一緒に行きたいってんなら、きっちりと篠宮や木ノ下に謝って許しを乞え」
「……何よ? 私だけが悪者?」

 静まり返った車内で、殆んどの視線が氷川に向けられていた。

「どうすんだ? 謝りたくないなら、それでもいい。独りでどこへなりと失せろ」
「そんな、待ってよ……!」

 志緒の鋭い目線が氷川の面を穿っていた。
 息を詰まらせるようにしていた彼女は、徐々に顔を俯けさせる。

「悪かったって。私もちょっと、気が立ってたの。こんな……こんな気色悪いふざけた話ってあんまりでしょう? だからその……ごめんって」

 志緒は目線で問うように、瑞貴達の顔を窺う。

「うちもちょっと、冷静じゃなかったわね……」
「私は全然平気だよ。ミヤちゃん、話、聞こえてた? 私達はミヤちゃんがいいなら、それでいいよ?」

 瑞貴が優しくそう促すが、木ノ下からは反応がない。
 氷川はその枕元に(ひざまず)くようにして、今一度「ごめん」と漏らした。
 それでどうにか木ノ下が頷いた。

「……や、やー! マジあれね? マジみんな仲良くが一番よ? ケンカとかね、マジ良くないっていうか? マジ! みんなで手を取り合ってこ!」

 すっかり冷え切った車内の空気を香坂が必死で暖め直してくれる。

「にしても奥崎、お前も無茶するぜ。車内で炎をぶっ放すとかよ。新品の幌、これちょっと焦げてないか?」
「ホント、志緒は大胆っていうか……」
「ちゃんと威力は調整したろ」
「いやいや――そういう問題か!?」
「もうね、ちょっと俺、左耳が熱かったんよ?」
「俺も右側の襟足、焦げてないかな」
「うちも流石に目が点になったわよ」
「やー、マジでもう……あれ? てか結局さ、木ノ下は何で具合悪いん?」

 橋本の圧巻の張り手が、香坂の頬に炸裂していた。
















 その農場は結構な規模だった。
 農作業に従事している人間を相当数囲っているようだ。
 この農場の主人であるという色の黒い中年女性に、瑞貴が事情を説明し、賃金を支払ってもいいから部屋を貸してくれと頼み込んだ。

「あんた達、アルドランじゃあなさそうだ」

 低い迫力のあるしわがれ声で女主人がそう切り出す。

「え? あ、あの……」
「喋り方や表情で、簡単に見分けは付くんだよ。クリスタリアン共は、どうにも奇抜だからねえ」
「そうですけど、あの――決して迷惑はお掛けしませんから」
「クリスタリアンの身体はわたし等とは造りが違うって話だったろうに。……どうやら、あの噂は本当なんだねえ」
「あのぉ……?」
「いいだろう。その子、連れておいで。わたし等の薬がどこまで効くかは知りやしないが、月のものに効く薬草を煎じてあげよう」
「あ、ありがとうございます!」
「その代わり……」
「はい。お代はきっちり払います」
「そんなもんは取らないよ。ただ、うちの方針でね、部屋を貸すのは仕事をきっちりとこなす人間だけなんだ。だから働いて貰う。――それでいいね?」
「えっと、はい。そちらがそれで構わないなら」


 かくして、志緒達は臨時とは言え農作業に従事する事となった。


「かぁー! マジったるいわ。まさかの草むしり大会っすわ」
「こんな広い範囲を手で(むし)ってくんだな」
「農業は雑草との戦いだって言うぐらいだ。ましてやこの世界に農薬なんて便利なもんはねぇだろうからな」
「詳しいな、奥崎」
祖父(じい)ちゃんトコが畜産農家だった。小さい頃から手伝わされた」
「あ、俺それ覚えてるかも。一回か二回、おじさん達に俺も一緒に連れてって貰ったよなー。たしか牛をいっぱい飼ってたろ? あの牛達、まだ元気にしてるかな」
「元気に食肉加工されたろうな」
「あの牛達、食用だったの……」
「つーかマジ、何で俺らはこんな重労働なんに、氷川達は掃除とか炊事なんよ? 男女差別よくなくなくね?」
「まあ、そうは言っても、この時代つーか世界的にはな」
「いや、橋本親方はこっち側っしょ?」
「また張り手が飛んでくるぞ」

 確かに香坂が愚痴るのも仕方がない程のキツイ作業の連続であった。
 だが、とは言えさぼったり逃げ出したりする訳には行かない。
 日がどっぷりと落ちるまで、志緒達は泥に(まみ)れながら作業をこなした。
 お陰さまでか、その日はこの世界の事や自分達の行く末を思い悩む事もなく眠りに落ちる事ができた。

 翌日、まだ木ノ下の体調が(かんば)しくない為、もう二日ほどこの農場で世話になる事に。
 つまりさらにあと二日、厳しい重労働が待っている。
 体力のない香坂や増山などは朝から既にへばっている状態だ。
 だが、特に増山などは根性を見せて働いていた。――おそらく木ノ下の容態を気に掛けての事だろう。

 そんなこんながあり、増山がげっそりと頬をこけさせた頃合いには木ノ下の具合は充分に良くなっていた。

 四日目、朝早くの内に準備をし、昼を待たずに出立する事とした。

「ほら、日にち分の賃金だ」

 出立の際、農場の女主人がそう言って銀貨の入った革袋を寄越す。

「え? あの、私達は別に……」
「言ったろう、うちの方針で働かない者はここには置かないって。つまりあんた等はきっちりと働いたって事なんだよ。働いた人間に賃金を支払うのは経営者として当然さね」
「でも私達はその、療養させてもらうのが目的だったから……」
「従業員が病に倒れたから、看病するのも当たり前だろうさ。それにねえ、実はあんた等がさっさと逃げ出すように、うちの人間でもやりたがらない辛い作業ばかりを(あて)がってたんだよ。だってのにあんた等、よくもまあ踏ん張ってこなして」
「――マジすか……!?」
「――ど、どうりで……?!」

 掠れた声を上げて、香坂と増山の二人がその場に力なく崩れ落ちる。

 その後、押し問答を続ける瑞貴と女主人であったが、気の弱い瑞貴が我を通す事ができる筈もなかった。
 ありがたくその心意気を受け取る事にして、彼らはエクトリアへ向けて再び出発する。

 馬車の中で、若干生気を取り戻した増山が愉快にほくそ笑む。

「働いた人間に賃金を支払うのは当然の理由ってか。いやぁ、現代日本に蔓延るブラック企業とやらに見習わせたい言葉じゃないかね」
「ははは。増山が、また調子の良い事言ってるよ」
「そっち、凄い大変だったって?」
「大変どころじゃないぜぇ――橋本! 見てみろ、この頬のこけ具合を」
「何よアンタ? 体力ないくせにそんなになるまで頑張っちゃって……」
「うるせい。それよりお前、体調は?」
「……おかげ様で」
「そっか、なら安心だ。……いやぁ、にしても! あの女主人さん、女だてらに一人で農場を切り盛りしている立派なお人だったじゃあないか!」
「やーマジ、でもマジに死に掛けたんですけどマジ? つーかマジ、マジ俺死んでね? マジ大丈夫? マジ生きてる?」
「香坂が言語機能に支障を来たすレベルで疲労困憊(ひろうこんぱい)だー」
「本当によ、随分と立派な人だったな」
「――奥崎、お前が人を褒めるなんて珍しい!」
「言ってろ。けどお前ら、あれが本当にNPC――プログラムの集合体だって信じられるか?」
「確かに、俺達が認識していたのとはかけ離れてるかも」
「だな。この世界の住人が――本当に只の人間だって思えてくるぜ」

 恭弥と増山が志緒の言葉に自然と賛同した。

「俺達と同等――いや、時にはそれ以上の思想や信条、品位なんかを兼ね備えてやがる。……彼らへの認識も、改めるべきなのかもな」

 志緒は、これまでのその違和感を柄にもなく長い言葉で(つづ)った。