装置の修復はたった一日半で済み、志緒は直ったばかりのACSを昼間から起動していた。

 仮想世界への二度目のダイブ。
 軽い睡魔のような感覚を越えた先はもう穏やかな農村の風景だ。

 前回ログアウトした酒場の軒先から志緒は一歩踏み出し、村の中を散策する。

 なるべくプレイヤー達の居ない寂れた場所を目指していた。
 路地裏から抜け出ると、風車の付いた小屋と放牧された牛の群れに出くわす。
 集落は中心以外は建物も(まば)らで、ほとんど平野のような様相だ。ただ寂れてはいても長閑(のどか)であった。

 陽光の暖かさも、吹き抜ける風の肌寒さもしっかりと感じる。
 牧草を()む牛、木擦れの音を立てて回る風車。
 何度体験してもここがゲームの世界だという事実を疑ってしまう。
 吸い込む空気にさえ味がするこの虚構の世界。
 意識をしても、自分が今、本当はベッドで横になっているだけだなんて到底信じられない。

 またしばらく歩くと、集落を取り囲む麦穂の海に出る。
 黄金色に実る前の青い穂先が風に揺れている。

 そういえば田舎の祖父の家にも牛舎があり、餌用の穀物として麦を育てていた。――この長閑な農村は、どこかそんな懐かしさがある。

 そんな郷愁(きょうしゅう)に思いを()せていた時、ブレスレットからウィンドウ画面が飛び出す。
 どうやらフレンドチャットのようで、相手は恭弥から。
 うざったい文面で村の大広場――プレイヤー達の蘇生地点である、リスポーンクリスタルが設置されたその場所に集合しろとの事。

 (おもむき)も何もあったもんじゃないと、溜め息を一つ。











「志緒、なんで昨日はインしなかったんだよー」
「色々あんだよ。お前だけか?」
「そこのが香坂」

 物を指す様に言って示したのは、隣にあるマーカークリスタルだ。
 別名「クリスタルの繭」。――中を覗けば、香坂が閉じ込められているのが薄く見える。

「さっきまで居たのか」
「20分くらい前かな。多分またすぐにも戻ってくるよ」

 香坂だけでなく、村中のそこかしこにそのマーカーは点在していた。

「そういや、このエクトリアにはそんなに居ないが、帝国の首都とかになるとプレイヤーで(あふ)れかえってるらしいな」
「街中のアルドランに匹敵するぐらい多いらしい。帝都シルヴィカッツとか、魔術立国のパルテナル、冒険者御用達のダンジョン都市ギルサンドラ、――メジャーな所はプレイヤーでごった返してるってさ」

 アルドラン――基本的にプレイヤーではない人型のNPCを指す。
 アルドヘイムに在住する人間故にアルドランと呼ぶらしい。
 
 そんな折、隣のクリスタルから光の柱が上がって人影が(あらわ)となる。

「やー、警告文ってアレ、なかなか解除されねーのなんの」

 その軽薄っぽい物言いを聞くまでもなく、現れた人物は香坂だ。

「お、奥崎ちゃーん! 昨日は何で来なかったん?」
「別に約束してた訳じゃねぇだろ」
「オレなんか毎日欠かさずインしてるから。さっきから警告文でまくりなんを、マジ気合で乗り切ってプレイしまくってんからね」
「警告文? ……ああ、体調管理の一環でデバイスが制限を設けてるってやつか。 無理して長時間プレイしようとする輩への措置として」
「いるいる。こうしてのめり込んじゃうタイプ」
「マジ『休憩してください』『休憩してください』ってうっさいんよ」
「素直に従っとけ。健康被害とかに繋がるんじゃねぇのか」
「A&IS側もそんなの出されたら(たま)らないから、ナイーブになってんだろな」
「いやいや、科学の進歩に犠牲は付き物っしょ」
「自分から犠牲になっていくスタイルか」
「香坂らしい。ははっ」

 確かに寝食を忘れてしまう程の体験であるのは志緒も認める所だ。 

「あ――そうだった! 奥崎ちゃーん、もう心配しなくていい感じよ」

 唐突に、香坂はその顔を明るくする。 

「いっやー、ぶっちゃけ、この前は結構気にしてたっしょ」
「何の話してんだ」
「とぼけちゃってぇ、人数の事じゃーん」
「人数?」
「こっちは俺とまっすんと藤堂、んで奥崎ちゃんで4人。でも向こうは篠宮、木ノ下、橋本親方の3人。――ね? ぶっちゃけ、気にしてたっしょ?」
「……はぁ?」
「わざわざ俺、必死に声掛けて女の子引っ張ってきたんよ? たぶんもう直ぐこっち来そうな感じ」

 そうニヤニヤとする香坂を見て、ようやく言わんとしている事を察した。

「新しく誰か誘ったの? 誰?」

 渋い顔の志緒とは裏腹に、恭弥は興味津々で(たず)ねる。

「ぶっちゃけ、同じクラス! ほら、奥崎ちゃんってあれじゃん? 知らない人とか嫌がるタイプじゃん? だからねー俺、マジ気ぃつけて人選したんよ」
「で、誰?」
「なんとねぇ、あの氷川なんよ」
「氷川って……おい、あの氷川か?」
「なんか意外っていうか、その……」
「え? え? 何そのビミョーなリアクション? あの氷川よ? 俺らのクラスで一番エロイあの氷川を誘ったんよ?」

 志緒達のクラスで恐らく一番目立っているであろう氷川(ひかわ)瑠璃佳(るりか)は、容姿こそ一級品なものの、典型的な派手ギャルというか――まあそういう風な噂が後を絶たない女子だ。

「俺――ナイスっしょ」
「は、はは……」
「香坂お前、痛覚とかのフィードバックレベル幾つだ?」
「どしたん、いきなり? ま、俺ってほら、臨場感とかチョー求める派だから、そーゆーなんは全部最大値に設定してんよ」
「そうか。じゃあ、しっかり歯ぁ食い縛れ――」

 ゆらりと立ち上がって肩を回した志緒が、香坂の正面へと立ち望む。
 いつも通りの軽薄な顔を転がしていた香坂は途端に、何かを感じ取ったように表情を固くする。

「ちょ、奥崎ちゃん?」

 一瞬に腰を落とし、滑車で繋がれた様に左腕を真後ろに引くと同時に、右腕を背中と肩の連動に合わせて猛然と前へ繰り出す。

「――げっふぅ!?」

 カエルのような声を出して崩れ落つ香坂。
 志緒の渾身の順突きがその腹腔にのめり込んでいたのだから、無理からぬ事だ。

「――げっほっ! おほっ! ……ちょっ、イッテェー!! マジ有り得ないんすけどぉ!!」

 崩れ伏したまま、痛みに歪んでいる顔を上げて抗議の声を飛ばす香坂。

「ええぇーっ!! マジ――ちょっと! 今ので俺のHP3割近く削れてるんすけどぉ!?」
「へえ。じゃあ同じのを三発も喰らわせりゃ、香坂を仕留められる訳か。ちょっと試してみるか」
「――いやいやいやいやっ!! マジで、ちょっ――勘弁してくださいっ!」
「クリスタルすぐ近くににあるんだし、いいじゃねぇか? な?」

 迫力満点の笑みで、志緒は倒れ伏した香坂を真上から捉えている。

「マジでぇ!? 嘘っしょ――この人ぉっ!!」
「はーい、そこまで。もうやめたげて」

 狼に出くわした子羊のようにプルプルと震え出した香坂が流石に不憫(ふびん)に思え、相方を(なだ)めつつ恭弥はそれを助け起こす。

「何でなんよぉ……? 俺、良い事したっしょぉ……?」
「とりあえず今回は、最悪の気の利かせ方をしたって学習しようなー」

 涙目の香坂の背中を優しく叩きながら、恭弥は諭すような口調だ。

「おーい、お前ら。人の多い所で暴れてると普通に衛兵とんでくるぞ」
「まっすーん!! マジでさぁ――ちょっと! 奥崎ちゃん有り得ないんよぉ!」

 いつ間にやら、増山もここに集っていた。
 香坂はその増山に(すが)りつくようにして状況を話す。

「氷川かあ。確かに読者モデルとかもやってたらしいし、見た目は抜群だよな彼女」
「まっすんまでそんな反応ってどゆことぉ? なんでぇ? 氷川とか超エロイじゃん? エロイ女の子って最高じゃん?」
「うむ、その点に関しては(やぶさ)かではないと具申する。が、なんつーか、俺らと縁遠いから」
「マジ? ……絶対にウケると思ったんに」
「そもそもあれだろ。奥崎は藤堂とデキてるから、そういう心配は……」
「アホか」
「そっか、そうなんか。マジで悪かった奥崎ちゃん。俺ってまだまだ未熟者だったわ。今日はもう抜ける事にすんわ」
「真に受けんな――てか、お前が呼んだ氷川がもうすぐ来るんだろうが。どうすんだよ」
「実は、さっきから警告文が収まんないんよ。昨日の昼からぶっ続けでプレイしてるからかも」
「昨日の昼って、それもう24時間近く……」
「そりゃヤバイに決まってる。限度を知らねぇのか、こいつ」
「てなワケで、お疲れちゃーん。氷川が来たらテキトーに言っといて」
「――おいっ」

 そんな事を言ってる合間に香坂の姿は光に包まれ、残ったのは浮遊するクリスタルのオブジェだ。
 残された志緒達は相当に気まずい溜め息を吐き合うのだった。

「奥崎と藤堂はこの後どうするんだ? 実は俺もちょっと、懇意(こんい)にしてるBoDCのファンサイトの集まりがあってだな。ああ、勿論ゲーム内で」
「俺は志緒を誘ってクエストこなそうと思ってたんだけど」
「一人でこの世界をブラつこうかとも思ってたが、まあ、道連れがいてもいいか」
「よっし、じゃあ二人で行こう」
「おやおや? これまた、拙者はお邪魔虫ってヤツですかな?」
「うるせぇ増山」


 ままあって、広場の一角に屯する志緒達に声を掛ける者がいた。

「やっほー。藤堂たちよね? すっごいねここ、現実と変わんないじゃん」

 件の氷川瑠璃佳だ。
 ボリュームのある髪を左右で結んで垂らし、芸能人としても通用するその(きょう)のあるルックスとプロポーションを見せびらかしている。
 業界からスカウトもされた事があるというからして、その容姿は相当のもの。

「やあ、氷川」

 人見知りしない恭弥はいつもの人懐っこい自然な笑みで彼女を迎えた。

「まさか氷川もBoDCに興味があったとはなあ。意外だぜ」
「えーっと、増山と……? ヤダ――だ、誰それ?」

 氷川は志緒の姿を見てぎょっとしたように目を見開いた。

「はっはっは。こりゃもう、恒例になっちまうなぁ」
「志緒だよ。志緒」
「――奥崎!? ウソ、やだ――何それ、似合いすぎ!」

 諸手(もろて)を打ち鳴らして笑う氷川に、志緒の眉間の皺が最大度で刻まれる。

「それでさ氷川、実は当の香坂がリタイアしちゃってるんだけど」
「ああ、そう? まあ、ちょうど良かったかも」
「どういう事?」
「私もさ、まだ来たばっかりなんだけど、さっき声掛けられちゃって。何か大学生のグループらしいけど、結構悪く無さげだったからそっちに付いて行こうと思ってたの。だから香坂には謝りに来たのよ」
「へ、へー……そうなんだ」
「だからゴメンね。あ、一応藤堂とはフレンド登録やっといていい? 何かあったら連絡してよ」
「う、うん」
「待って、確かフレンドのやり方、さっき教えて貰ったから……あ、これでOK」

 何とも珍しい事に、あの恭弥でさえもどこか押され気味だ。

「じゃあね。また連絡して」

 そう言い残し、氷川も行ってしまう。

 唖然として取り残される志緒達。
 彼女もある意味、香坂などと同じ部類の人間であった。

「いやあ、何なんでしょうね、この空気感?」

 強張った表情の増山が、リポーターのような空惚(そらとぼ)け感で話し始めた。

「そして彼女は何故、藤堂とだけ登録を済ませたのか?」
「顔だろうよ」
「あぁっ! そこ言い切っちゃいますか!」
「氷川、まだ来たばかりって言ってたのにフレンド登録数が既に10件もあるや。しかも全部が男の人」
「くそビッチじゃねぇか」
「あぁっ! そこも言い切っちゃいますか!」

 額をぺしっと叩いて舌を出し、おふざけで場を誤魔化すのに努める増山の憐れさだ。

「いやいやー、そりゃまあ確かにアレだもんなあ。んっんー、どうですかね――奥崎殿? 氷川のあの格好ですよ?」

 若干頬を上気させて鼻の下を伸ばした――そんな如何(いか)にもな増山が、志緒の脇腹を小突く。

「拙者が拝見致した所ですな、あれは〈降霊巫女(スピリチュアルダンサー)〉の職種でございますなあ。なんちゅーか、この……ズバリ彼女の格好を一言で表すならば?」
「……娼婦だろ」
「ハイ! ――本日三度目っ! 忌憚(きたん)のないご意見を頂きました!」

 氷川の格好は確かに相当レベルに性的なものだった。
 胸元から下腹にまで届きそうなV字の切れ込みの入ったレオタード。布の量の多い腰巻は何故か正面だけが開いて際どい部分をさらし、その他にも綺羅(きら)を飾るアクセサリーがふんだんに用いられていた。

「あの衣装をあれだけ着こなせる人間も氷川ぐらいよのう。いやぁ、確かにその、ヤラしい話、股間にビンビン響くぜ」
「興味ねぇな」
「なっ――奥崎はやっぱそうなのか……?!」
「うるせぇって」 

















 ギルドにて登録の確認と簡単なクエストの受注を行い、さっそく集落の外へと飛び出す。

 クエスト箇所である西の山麓(さんろく)までは距離があり、各地に設置されたワープクリスタルを用いた転送が早かったが、そこまでは徒歩で向かう事にした。
 志緒はこの世界を眼で見て足で歩いてみたかったのだ。

 集落付近の麦畑を抜けると、青々と広がる平原の風景だ。
 晴れ渡った空と少し流れの速い白雲。
 ここ一帯はどうやら風が強いフィールドらしい。草原は海面のように波立っている。

「――うえっ! ぺっ、ぺっ! ……風で砂が口や眼に入る感覚まで再現してんのかー。ほんと凄いよなACS、どういう仕組みなんだろう」
「噛み砕いて言うと、全部が俺らの脳で起こってる錯覚なんだろ」

 志緒は、散々と情報媒体で繰り返されていたその概要を口にする。

「理論としてはごく単純らしいな。現実世界でも全ての情報は脳によって処理されてるらしいから、それを再現させてやる装置って事か」

 例えば、草原には白黄色の花が群生している。
 とても強い香りを発するが、その花が何の種類なのかは実は設定されていない。
 ただ志緒自身、その色や形状が(いばら)によく似ていると感じる為、それが野茨の花で香りだとして認識されるのだと言う。
 そういう無意識下のコントロールが、装置によって行われている。

「難しい話はよく分かんないけど、この世界がすごいって事だけはわかる」
「言葉では言い表せねぇよな」
「ようし、じゃあ志緒、あの大きな岩棚のとこまで競争な」
「何が『じゃあ』なのか分からん」
「いいから、いいから! よーい……ドン!」

 その際立つ容姿を幼く見せて、はしゃいだ恭弥が駆け出していく。
 こんな広くて清々しい場所では前後の見境もなく走り出したくなる衝動に駆られるのだろう。
 志緒にとっても、その感慨は当て嵌まった。

 目印のように丘陵の上に鎮座するその大岩の下まで、全力で駆けていく二人。

「はあっ……はあっ……! くっそ! やっぱ、足早ぇな――お前は」
「――へへ! 俺の勝ち!」

 恭弥はこの青空に退()けをとらない笑顔でそう拳を掲げた。
 息切れもすれば、汗も掻く。――無論、現実でそうなっている訳ではない。
 それでも身体を動かした後の心地良い疲労感と余韻は染み渡る。

 丘を降り、澄んだ水が流れる川場へと至って喉を潤した。

「味も匂いもするってほんとにびっくりだよな」

 村で買い込んでいた干し肉を(かじ)りながら、恭弥は後ろを振り仰ぐ。
 川岸の岩場に立って、志緒は川のせせらぎと流れる雲を堪能していた。

「楽しんでるな、恭弥」
「そりゃモチロン」
「お前がこのゲーム……いや、ACSっていう技術によるこの擬似世界そのものに行きたかったのも頷ける。それほどの精度だ」
「んー?」
「ここじゃ、お前の右足、ちゃんと〝昔みたいに〟機能してる」

 志緒は自若な表情で、その事実を口にした。

「それが理由なんだろ? ――ったく、俺まで付き合わせやがって」
「志緒にはバレちゃうか」
「当たり前だ、どれだけお前と顔を突き合わせてきたと思ってる」

 志緒も身体を動かす事には人並み以上の才覚がある。
 だが恭弥はそんな志緒のさらに上を行く、別格の資質を有していた。

 幼い頃より恭弥はいつだって人の中心に居た。
 特別、学校の体育の授業や運動会などでは彼は完全無欠のヒーローになった。

 足が速く、体幹などのバランス感覚も驚くほど秀でている。
 一緒に入った小学校のサッカークラブ。――どれだけ練習しても、志緒が恭弥に追いつく事はなかった。
 いつだって志緒が勝てたのは単純な腕力ぐらいだ。
 ある時期それがどうしても嫌になり、クラブをやめてしまった。
 その後、憂さ晴らしに近い形で近所の道場の門を叩いた。

 だが恭弥は中学でもずっとサッカー部に所属し、選抜として全国大会にも多く出場した。
 人柄でも能力でも――志緒は、こいつにだけは勝てる気がしないとそう感じて止まなかった。

 だが去年の夏、高校一年の時だ。

 地区大会を想定した練習試合にて、恭弥は相手のラフプレイの煽りを受けて膝を負傷した。
 その時の怪我自体は深刻なのものではなかった。
 ただ悲運だったのは、恭弥自身のその献身的な性格だ。

 ただでさえ膝の怪我は後を曳きやすい。
 にも(かかわ)らず、恭弥はチームの為――みなの期待に応えようと、激しい痛みにやせ我慢をし、無理なトレーニングを積んだ。
 結果、膝の靭帯が酷く損傷し、緊急手術を施されるレベルに至った。

 それから恭弥の足は通常の生活を送る上では問題ないくらい回復したが、全力で走ったり跳んだりという動作はもうできなくなった。
 今でも恭弥は、体育の時間などずっと見学をしている。
 何て事はない風を装いながらも、時折、思う(まま)に身体を動かしているクラスメイト達を羨望の眼差しで見ている事を志緒は知っていた。

「全力で走り回れる気分ってのはどうだ?」
「どうかなー」

 少し気恥ずかしそうに頬を掻いて、はにかむようする恭弥。

「きっと、その内にな――」

 志緒は岩場から、恭弥の直ぐ傍に降り立った。

「今は専属タイトルだが、このACSが広く普及すりゃあ純度の高いスポーツゲームみたいなのも出てくるだろ。それに日本じゃまだまだ低く見られがちだが、海外じゃプロゲーマーって(れっき)とした職業らしいからな」
「……?」
「だから、プロサッカー選手になるっていうお前の夢はもう叶わないかもだが――それの代わりになれるくらいの事は、この先、実現できるんじゃねぇのかって話だ」
「……そっか……」
「この世界でもやろうと思えばサッカーの真似事ぐらいできるだろ。……まあ、そういう事だ」 
「志ぃー緒っ!」

 飛び掛かる勢いで恭弥は志緒の懐にタックルをかます。
 バランスを崩し、草の上へと二人して転がる。

「いてててっ! ギブギブ!」

 さり気なく肘と肩関節を同時に極めるという高等技術で、じゃれつきモードに入った恭弥を取り押さえる志緒だ。


 ゲームとしては一考もので、フィールドには敵対MOB――即ちモンスターは出現しない。
 棲息域というものがあり、街や集落の近辺、そして石畳の主要道路にはモンスター達は近寄らない。
 低確率で街道付近に出没する輩も、街道を警備する帝国兵達によって速やかに駆除される。
 その為、敵と出会うためには安全が確保されていない辺境の地やダンジョンの奥底などに遠征をしなくてはならない。主にこれがクエストである。

 そういう訳で、志緒達は平和なピクニックを満喫できていた。

 出会うのは敵性でない野生動物など。
 後は牧草を積んだ牛車と農夫に、羊の群れと牧羊犬、その飼い主などだ。

 NPCのAIレベルは相変わらずに恐ろしく、道すがら出会ったアルドラン達は多様な顔を見せた。
 声の調子、表情や仕草、含まれる感情の端々、全てが本物と錯覚する。
 だが最も驚くべき事は、ただ仕組まれたテキストをなぞるだけでなく、こちらの話す内容にそぐうように変化し、応答できるその事実だろう。

 そう、齟齬(そご)なく会話が可能なのである。実は中に人が入ってましたというネタばらしを待ち望むレベルだ。


 そんなで道草ばかりの旅路だったが、クエストの概要地に一番近いクリスタルの石碑まで着いた。
 これらのワープ装置は待ち合わせに用いられているらしく、付近にはプレイヤーが常に一定数は見受けられた。

 その中から、一人が手を振って駆け寄る。

「恭弥くん、志緒くん――こっちこっち!」
「あれ、瑞貴?」

 相変わらずに重力を無視した白の法衣姿の瑞貴だ。

「えへへ。二人のマーカーが街道をずっと西に歩いてたから、もしかしたらと思ってここで待ってたの」
「どうしたの瑞貴? 何かあった?」
「ううん、別に何もないよ。ただ……えっとその、私も恭弥くんたちと一緒に行っちゃダメかな?」
「一緒に? 全然問題ないけど。なあ、志緒」
「別にな」
「でも何でまた? 今日は瑞貴、別の友達と約束してたんだろ?」

 恭弥のきょとんとした表情を真に受けて、当人は何やらバツが悪そうだ。
 しかし次第と控え目に話し始めた。

「うーん……そのね? 約束してたその子とは、一年ぐらいネットだけのやり取りがあったんだけど……」
「もしかして、本当に何かあった?」
「別に、特別に何かって訳じゃないっていうか……」
「はっきりしねぇな」
「あはは……。ただね、その子、ずっと女の子だと思ってたのに……男の子だったみたい」
「ネカマか」
「あー、でもまあ、良くある話だよ」
「それで、何ていうか……その事はびっくりしたけど、まあいいかなって思ってたの。でも何だか、温度差って言うのかな? そういうのがちょっと二人でだいぶ違うみたいで」
「出会い厨か」
「もう、志緒くんさっきから言葉が率直すぎるよぉ」
「はは――成る程ね。で、抜けてきちゃったんだ」
「実は約束があったって、嘘までついちゃって……」
「その嘘を本当にしたい訳か」
「もぉーっ! だから志緒くん辛辣だってばぁ!」

 泣き笑いのような困り顔で、瑞貴は「ひーん」と声を上げる。

「わかったよ。そういう事なら瑞貴とは約束してた事にしようか」
「恭弥くんまで……」
「俺達これから、果樹園の害獣駆除のクエストなんだ。量をこなさなきゃだから、人数は多い方が良いしなー」
「でも、あんまり私を戦力として期待しないでね? 昨日ちょっとだけやってみたけど、普通のゲームと感覚が全然違ってるから……」
「慣れるまでは大変だよな、このゲーム。――あ、でも志緒とかなら直ぐにも順応しちゃうかも」
「そうなのか?」
「増山も言ってたけど、このゲームの近接職、ともかく人を選ぶんだよ。嫌気が差してキャラクリをやり直す人が続出中だってさ」

 概括(がいかつ)として、ゲームにおける近接職とは花形であり、またお手軽でもあるものだ。
 しかしこのACSを用いてとなると途端にそのハードルは上昇する。
 詠唱さえ完了すればスキルが発動し、相応の火力を用いれる魔法職の方が、はるかに初心者向きだ。
 
「ま、やってみりゃ直ぐにも解るよ。そいじゃ、行くとしますか」
「おー」

 恭弥と瑞貴、ノリ良く声を上げて軽快に踏み出す。
 無愛想な志緒は無論、常日頃の泰然さを損なう事なくそれに続いた。












「――恭弥くん、すごい!」

 山麓の果樹園には、狒々(ひひ)のような大型の猿が大量に跋扈(ばっこ)していた。

 恭弥は素早い身のこなしと鋭い踏み込みからなる連撃で、それらの頭数を見る間に減らしていく。
 刺突用の細剣(フルーレ)を片手で器用に持て(すさ)びながら、その身は軽やかに流動する様を(てい)す。
 フェンシングの熟達者のような構えから、目にも止まらぬ剣閃が突き出されては(ひるがえ)り、そしてまた繰り出される。

「お前いつそんなの習ってた?」
「ヘヘっ——フェンシングの動画の真似してるだけ」

 そう息継ぎの合間に吐き捨てて、恭弥はどこか(たか)ぶった顔だ。

「天才かよ。どんな選ばれた血筋の設定だ」
「違うって、多分これACSの効果だと思う。体がイメージした通りに動いてくれる」

 そんな余裕の面持ちで、恭弥は飛びかかって来た狒々を(また)ぎ越すような跳躍をしてみせる。
 そうして背面に回ると無防備な脇腹に剣を突き立てて仕留めた。

 (たお)された獣はその場に崩れ落ち、ゲーム的な演出で光の粒子と化して消えた。――この時、素材アイテムなどを落とす。
 武器の強度や耐久力も現実に即しているらしく、細身のその得物(えもの)では獣達の硬い頭蓋や骨に刃を立てるのはリスクが大きい。
 その辺もきっちり理解しているらしく、恭弥は眼や口蓋の奥、刀身を水平に寝かしてあばらの隙間を的確に狙う。

 志緒もその見事な動きに見惚れてばかりではいられまいと、大柄の得物を構えて眼前の敵へと向き直る。
 志緒が手に持つは、まるで象の大腿骨を削って作ったような骨製の大斧だ。

 ACSというこのシステム、ボタンを押せばキャラが攻撃をしてくれるという訳では勿論ない。
 目測で相手との距離を大まかに計り、体重移動と足捌きによってその距離を着実に詰める。重心を考慮しながら身体のバランスを保ち、武器の重さでひっくり返らないように振り降ろす。
 そうして重苦しい音を立てた斧は――しかし、土砂を撒き散らすだけ。

「当たんねぇ……!」

 扱いが難しい重量級武器はとても初心者の手に敵う物ではない。
 増山の忠告をちゃんと聞いておくべきだったと、今更ながら後悔する。

 身軽に跳び退()いていた狒々が、助走を着けて牙を剥いた。
 一瞬の判断だった。
 それはやはり、志緒が格闘技経験者として場慣れしているという証だったか――地面に重く食い込んで(まま)に動かない斧刃ではなく、テコのように可動する(つか)の部分を用いて突っ込んできたその顔面を打ち払う。
 短い悲鳴のようなものを上げ、突進の軌道は()れる。

 後はその身に叩きこんできた古武術の真髄(しんずい)
 払い腰で地面に叩き落とした相手の喉仏に体重を乗せた(かかと)をめり込ませる。
 のたうち回って隙を見せる獣の頭蓋に、余裕を持って大斧を振り下ろした。

「こうすりゃいいのか」

 次は、二体まとめて左右から迫ってきた。
 一匹の動きを前蹴りで縫い止め、もう片方の鼻先に人差し指の基節骨を立てた一本拳を叩き込む。この獣にも人中線があるのかどうか、しかし効果は抜群。
 そして大斧を真横から振りかぶって()ぎ払う。
 弧を描いたその軌跡に巻き込まれ、左右の獣は容易く吹き飛ばされた。

 確かに恭弥が言の通り、現実よりも体が動く――というより、結構なレベルの非現実的な力場が発生している。
 例えば、狒々の体格から考慮すれば、奴等は50キロ台はあるだろう。この手に持つ骨の大斧だって中が伽藍堂(がらんどう)なわけない。それを振り回して狒々達を吹き飛ばすのだ。
 これはきっと、あまり現実離れしない程度にダイナミックさを演出するゲーム効果の一部だろうか。

「さっすが志緒、力こそパワーだな」
「うるせぇ、何かと優遇されるこのスピードタイプめ」
「志緒くんもすごい。待っててね、確か私、スタミナの回復が早くなるっていう法術を覚えたから……えっと、えっと……」

 瑞貴があたふたとステータス画面を開いて自分のスキル一覧を確認している。

「おい! 篠宮――後ろ!」
「え……?」

 そんな瑞貴の背後へと、三匹ほどが四つ足で駆け込んできた。

「――きゃああああっっ!!」

 ウィンドウを開いたまま、耳に(つんざ)く悲鳴で逃げ回る。

「杖で殴れ――杖で」
「む、無理だよぉぉっ!!」

 必死の涙目で逃げ惑い、やがて果樹園からも飛び出す。

「ったく。――恭弥」
「あいよ!」

 甲高い声を連れて無軌道に動き回ったせいか、園内の獣達が瑞貴に釣られていく。
 それに続くよう志緒達も走った。

 果樹園の被害を気にせずに済むこの状況、志緒はチャンスだと踏む。

 恭弥の俊足があっと言う間に獣を引き連れた瑞貴との距離を詰める。
 直前の出張った岩を踏み台にして、恭弥の身が宙高くを舞う。中空でくるりと身を(ひるがえ)してバランスを整え、脇目も振らず一直線な状態の瑞貴のその正面へと降り立つ。
 瞬間、交差する二人の身は擦れ違い、恭弥は瑞貴の背後に控える獣達へと(さめ)つくような剣撃を浴びせている。
 片腕一本だけを用い、左右の足幅を組み替えて自重を移して反転し、流麗とさえ言える動きで三匹をほぼ同時に仕留めた。
 そして擦れ違い様、もう既に体勢を崩しつつあった瑞貴のその身をしっかりと抱き留めるというおまけ付き。

「瑞貴、大丈夫?」

 その腕の中、間近の端整な顔に、熱に浮かされたような目を合わせて息を呑む少女。

「今の恭弥くん……なんか、すごく……――カッコイイ!!」
「そ、そう? 真顔で言われると照れるな」
「おいイケメン、残ったのをこっちに誘い出してこい」

 ともすれば二人だけの世界に没入するが、狒々達はそんな彼らを取り囲もうと群がってきた。

 恭弥は瑞貴の手を引いて、志緒の方へと駆け出す。
 追い(すが)り、飛びつく獣をその反射神経で処理しつつ、ほぼ一直線に恭弥は志緒の前へと踊り出た。

 腰に吊るした髑髏(どくろ)を引っ張りだし、それを双手(もろて)で掲げた。
 何も入っていない筈の頭蓋の内部――その眼窩(がんか)の奥からボッと(ほむら)が揺らめく。
 次の瞬間には、その両の掌に紅蓮の輝きが燈っている。

「ちゃんと避けろよ」

 その号令を聞いた恭弥が瑞貴の肩を抱いて、こちらの側面へと向けて転がり込む。
 志緒は双手に宿った炎を前方の群れなす獣に向け、振りかぶって投げつけた。
 地面に着弾したそこから、燃え盛る火炎が周囲までをも広く焼き焦がす。

 炎術師の初歩的な攻撃スキル〈自在の炎(フレイムワークス)〉。

 狒々達は炎に巻かれて幾許(いくばく)(もだ)え苦しんだ後、光となってその場に霧散した。

「おお、結構な威力だなー」
「炎は大抵の生物には有効だろうからな。この職種を選んだ甲斐がある」
「……こ……こ――怖かったぁ……」

 残党が数匹いたものの、群れの大半が仕留められた事実に(おのの)いてか、山の方へと逃げ帰っていく。
 これにて指定されたクエストの要件を満たした。

  
 しかし意外にも、涙目の瑞貴はそこから立ち直って俄然とやる気を(みなぎ)らせ、延長戦を申し出る。自分が全くのお荷物だったという事実が、彼女の中で思う所があるらしい。
 志緒も恭弥もまだ身体を動かし足りないというのが実情だったので、特に異を唱えるでもなかった。


















 そこは廃棄された坑道だった。
 内部は狭く暗く、得も言われぬ(よど)んだ臭気が立ち込めている。

 出没するモンスターの系統はアンデッドが占有しており、汚名返上の闘志を瞳に宿らせた瑞貴にとってはこの上ない。
 事実アンデッドに特効な彼女の法術の数々は、行く手を阻むスケルトン共を片っ端から浄化していく。どうやら彼女の職種は、特定の分野にて力量を発揮するものらしい。

「すごいなー、瑞貴の法術。まさに墓守の真骨頂って感じ」
「墓守は別にエクソシスト的なあれじゃねぇだろ」
「恭弥くん、見て見て――さっきのスケルトンが使ってた剣、まだ新品みたい」
「おお、ラッキー。こいつらが持ってるの刃が欠けたボロばかりだから、換金できそうなのはどんどん拾ってこう」
「で、ごく自然に俺の荷物袋(インベントリー)に放り込むのは何でだ?」
「だって筋力(ストレングス)の値がさー」
「志緒くん力持ち」
「てめぇ等……」

 そんな具合に、割と暢気(のんき)なまま坑道の奥へと至った。

「ここって奥の方が広くなってるんだ。でも、何だか様子が全然違うね」
「これ、坑道って雰囲気じゃないよな」
「地下の遺跡だろう。坑道を掘り進んでたら、この遺跡にかち合っちまったんじゃねぇのか」

 区切りのようにそこはからは模様の入った直角の石壁だ。
 どうやらこの坑道が封鎖された理由とはこれらしい。また、廃坑道内にアンデッドが多かった理由にも(ちな)んでいる風だ。

 さらに奥に進むと三叉路に差し掛かる。
 恭弥が何気なく選んだ一番右の通路の先には、何かの石像が羅列された半球形の部屋があった。
 壁に埋め込まれた石像が部屋の中心を睨むようにしているが、それ以外に目ぼしい物はなく、どうやら行き詰まりらしい。

 ただ、そこにはアンデッドではない人間が居た。
 二人の男が石で出来た長椅子のようなものに腰を落ち着けていた。

 ブレスレットの機能で対象を走査したところ、敵対NPCの類ではない――それどころかNPCですらない。
 つまりプレイヤーという事だ。

「君らもクエスト?」

 初め、驚いたような素振りを見せるも、直ぐに切り替わってひどく馴れ馴れしい声を掛けてくる二人。

「いえ、俺らはただ探索に。そちらはクエストですか?」

 人見知りの志緒としてはこういう時、恭弥が居てくれると応対を丸投げできるから楽だった。

「まあね。にしても、クエストでもないのにここまで来ちゃうんだ」

 おそらく志緒達より年上だろう。
 大学生か、もしかしたら社会人かもしれない。

「いやー、アンデッドに有効な法術士が居るので。あ、でも実はほぼ初心者なんです俺ら。初めて受注したクエストが結構楽に終わったもんで、ダンジョンとかも(もぐ)ってみようかって」
「そりゃ何て言うか、随分と剛毅(ごうき)だ」
「けっこう若いねキミ達。学生? 高校生かな?」
「私達みんな、学校の友達同士なんです」

 瑞貴も話の輪に加わる。
 無論、志緒は一歩退いて黙していた。

「学校のって、後ろの彼も?」

 さも意外という顔で覗き込む相手に迫力満点の(にら)みを返す。

「――あっ! いや、ゴメンね。なんか風格があるから……」
「大丈夫です、言われ慣れてますから」

 志緒に代わって、何故だか恭弥が取り繕う。

「このダンジョンって、なんか臨場感ありますよね」
「だねぇ。あまり長く潜ってたせいか、僕ら臭いにやられちゃったよ」
「ACSの機能、ほんと凄いですからねー」
「ははは。そだねぇ」
「あ、そうそう、そこに石棺(せっかん)があるでしょ? それ蓋を開けたらレバーあるから、それで下に続く隠し階段が開くみたいよ」

 彼らが示す通り、壁の石像がまるで取り囲むようなその中心に、重そうな石製の(ひつぎ)が設置されている。

「そうなんですか?」
「僕らもうちょいここで休んでるから。キミ達、先に行くといいよ」
「え――いいんですか?」

 こういう探索では後から来られた人間に荒らされるの嫌がる場面だろうに、彼らは気前良くそう言った。

「まだそっちも、この先は手付けてないんじゃ……?」
「いいよ、いいよ。僕らはクエストで来ただけだし」
「そうそう。収穫も……まあ、あるしね」

 そう言った片方が、脇に置いてある膨れた荷物袋に視線を流す。

「きっとまだ誰も手付けてないから、お宝イッパイかもよ?」
「ホントですか、なんかすみません――」
「そこの棺の(ふた)を開けてね。重いから気をつけて」

 少しの違和感を志緒は覚えていた。
 彼ら相当のお人好しか――あるいはこのゲームそのものを楽しんでいる訳ではなく、雰囲気や馴れ合いだけで充分満足する性質なのか。

 しかしその(いぶか)しい目線は恭弥のさも嬉しそう顔に(ふさ)がれる。

「やったな! お宝あるかもだって!」

 瑞貴も「ありがとうございます」と言ってお辞儀をしている。
 そして、嬉々として石棺に飛びつく二人だ。

「ほら志緒、棺の蓋開けてくれ」
「だから、何で毎回俺なんだ」

 舌打ちをしつつも、手拍子まで加えているノリノリの二人に押され、志緒は分厚い石棺の蓋を已む無く持ち上げる。

 中からは確かにレバーのようなものが姿を現す。
 それを引けば、重苦しい歯車のような音がして、石棺の周りの模様床が段差となり螺旋(らせん)階段の(てい)を成す。

「おおーっ! いいなー、こういう仕掛け」
「探索してるって感じだね」
「――じゃあ、すいません。お先に行きまーす」
「はいはーい。頑張ってねぇ」

 恭弥や瑞貴が件の二人に手を振りながら階段を降りていく。
 どこか腑に落ちず、志緒も続いた。

 螺旋階段を降りた先は一本道の通路だ。
 若干、下に向かって傾斜しているようだが、他に扉や通路はない。

 真っ直ぐ進むと、まるで先程と同じ造りの半球形の小部屋に出た。石像が中心の石棺を睨んでいる構造まで一緒だ。
 だが先程の部屋よりも灯りが(とぼ)しく、年季の入った(ほこり)(まみ)れている。

「んーっと? 宝箱とかは無さげか」
「残念……! あ、でも見て、また棺あるからきっと隠し階段もあるよ」

 床の模様も先程と一緒で、如何にも仕掛けがありますという様相だ。

「先生! 出番ですよ!」
「ホントてめぇ等な……」

 (はや)し立てる二人に辟易(へきえき)としつつも石棺に手を掛ける志緒。
 部屋の汚れ具合の割りには、あまり埃を被ってない棺だ。

 だがそこでより強く違和感を覚え、動きを止めてしまった。

「どうした、志緒?」
「なんか……この部屋、おかしくないか」
「部屋がおかしい?」
「さっきと同じ部屋だから、変だって言いたいの? 志緒くん」
「そうじゃなくて――いや、そうでもあるんだが……」

 志緒はその違和感をうまく言葉に表す事ができなかった。
 そんな彼に、恭弥と瑞貴に二人は顔を見合わせて小首を(かし)げる。

「……おかしいって言や、さっきのあの二人もそうだ」
「あの人達が? どうしてまた?」
「あいつら、あそこで何してたんだ? あのどん詰まりでよ」
「休憩だって言ってたじゃないか。ここの臭気でやられたって言ってたから、気分が悪くなって休んでるんだろ」
「なら普通は外に出るだろ。もしくはログアウト」
「うーん、確かに。もしかしたら直ぐにでも動き出すつもりだったのかな」
「ならなんで先を俺達に譲るよ?」

 志緒のその指摘に、恭弥は若干の間言葉を失する。

「多分きっと、うん、良い人達だったんだよ。気を使ってくれたんだって、俺達に」
「なんだそれ」

 お気楽でお人好し過ぎるその恭弥の返答に、志緒は情けない気持ちだ。

「まあまあ、わざわざ他人のプレイに口挟む事もないだろ? 俺らは俺らで、楽しくいこう!」
「うん、楽しくいこー!」
「お前ら……。もういい」
「ささっ――先生! ガバッと開けちゃってくださいな!」

 嘆声をまた舌打ちに紛らして、志緒はその石棺の分厚い蓋を腰を入れて持ち上げる。
 だが今度のはさっきよりも相当に重く、志緒は全身の筋肉を(たわ)ませる破目となった。

「わっ――!?」

 短く瑞貴の悲鳴があがった。

「あらー、先客がいらっしゃったか」 

 相変わらずの暢気な風情で、恭弥は開けた棺の中を覗き込んでいる。

「棺だから〝持ち主〟が居て当然か」
「び、びっくりしたぁ……」

 棺の中にはレバーは無かった。
 代わりに白骨化した亡骸が一つ、腕を胸の前で交差するようにして永眠(ねむ)りについてる。

 と――、その時だった。

 白骨化したその頭蓋の内部が途端に(うごめ)く。
 眼窩のその(くら)(ほら)から、暗褐色の光沢を持つ節繋ぎの胴と刺々しい無数の足を持つものが這いずり出てくる。
 毒々しい形状の(むし)――ムカデだ。

「うっきゃぁぁーっ!? だめ――だめっ!! 私ムカデだめぇぇ!!」

 半狂乱になった瑞貴が珍妙なステップで飛び退く。
 しかし、ムカデのその数が異常だった。
 どこに詰まっていのかという量が、穴から押し出される粘土の様に湧く。

「な、なんだ……?」

 異常はそれだけではない。
 その這い出てきたムカデ達はどうしてか一直線に部屋の唯一の扉へと向かい、そこに折り重なるようにして群がった。
 尋常ではない数が、扉を黒く染めつくす。
 ぎちぎちと無数の足で互いが互いと組み合わさり、扉はもう開きそうにない。

 それを見て、志緒達はようやくと危機感を覚えた。

 そして正にそんな折、扉に視線が釘付けな一同のすぐ後ろで重力から解き放たれたかの如く白骨死体が浮かび上がる。

「トラップ――」

 恭弥は素早く剣を引き抜く。
 それを見て取った志緒も勘鋭く先手を打つ。――振り向きざまに裏拳(バックハンドブロー)を繰り出していた。

 まるで糸に吊るされた骨を砕いたような感触があった。
 しかしその相手、浮き上がった白骨死体は砕かれた骨片ごと宙を舞う。こちこちと骨同士を打ち鳴らすような音を響かせ、右に左にと目まぐるしく飛び回る。
 そしてその眼窩から組み合わさったムカデの束が伸びてきて、それが腕のように形作られた。
 だらしなく開いたような顎から薄紫の(もや)を漂わせ、おぞましい魔物の様相へと瞬時に切り替わった。

「〈宙舞う骨塚(バロウズキーパー)〉! パラメータも相当みたいだし、流れ的にボス戦ってやつかなっ!?」
「いいじゃねぇか、そういうの」

 恭弥がブレスレットで相手のステータスを確認して声を飛ばし、志緒は大斧を肩に担ぎ直して不敵に笑む。

「ほら、瑞貴! 戦闘だって」
「ひぅっ……わ、私、ムカデはぁ……」
「いやいや、散々スケルトンとかゾンビとかグロいの相手にしてきたじゃんか」
「――ムカデとゴキブリだけは別!」

 恭弥が腰を抜かしてる瑞貴を助け起こしている間、志緒は一人で敵と相対していた。

 真っ先に攻撃を仕掛けたせいか、相手は志緒以外に見向きもしない。
 (おびただ)しい量のムカデで形成された腕を振り上げて、相手は中空から志緒に殴りかかる。
 肉厚の刃身でガードをするも勢いを殺せず、壁側へと追い詰められた。

「――野郎!」

 大斧を足で蹴り上げる要領で構え直し、脳天目掛けて垂直に振り降ろす。
 だが相手は風のような動作でひらりと退()がり、斧刃は硬い石の床を(えぐ)るのみ。

「瑞貴ってば! 相手はアンデッド系統だから退魔の法術を!」
「う……うぅっ……」

 さっきから志緒が斧刃を立てて敵の攻撃を受け止めているせいで、ムカデの残骸はそこら中に飛び散っている。
 それが瑞貴の動きを封じる要因となっているらしい。

 志緒と魔物との一対一のぶつかり合いは尚も続いた。

「頼むよ、瑞貴だけが頼りなんだって!」

 恭弥のそんな思わせぶりな言葉が響いたか、再び闘志を宿した瞳で瑞貴は立ち上がる。

「わ、わかったっ……! 私、やるよ――恭弥くん!」

 彼女は杖を構え、激しい立ち回りを演じる志緒の許へと走った。

 気合充分に「やー!!」という声まで上げて、杖の先端から光を(ほとばし)らせる。
 強烈な光が横合いから穿(うが)たれると、魔物は途端に奇妙な声を発してよがり苦しんだ。

「き、効いてる……?!」

 光を照射しながらも不安げに瑞貴が魔物の様子を窺う。
 しかし次の瞬間、魔物はムカデの腕を扇状に広げて閃光を防ぎ始めた。どうやら光を本体である白骨部分に照射しなければ意味が無いらしい。

「ぜ、全然怯まなくなっちゃったよぉ……!」
「それでいい――続けてろ」

 涙声をだす瑞貴にそう喝を入れて、志緒は魔物に猛然とした勢いで迫る。
 大斧を振り上げ、ガードを固める相手に構わず真正面から斬りかかった。

 一際、奇怪な悲鳴があがる。

 ムカデの腕を扇に広げた事で層が薄くなり、志緒のその刃は本体にまで容易く届くようになったのだ。
 そして膜を破ったその部分から、瑞貴の光が侵入する。

 堪らずといった体で、魔物は宙高くに浮かび上がって距離を置いた。

 だがそこに壁の石像を駆け上ってきた恭弥の姿があった。
 そしてオーバーヘッドキックをかますような、大胆な姿勢からの蹴りが魔物の胴体を捉えた。

 トンボ返りのように戻ってくるその相手を志緒はタイミングを図りながら待ち構えていた。
 斧の柄頭を両手で握り込んでは、渾身の力を(ふる)って真横に払う。
 志緒の筋力と斧の重量、そこに遠心力が加わり、ムカデの膜ごと魔物のその身を真っ二つに吹き飛ばしていた。

 曲芸師のような業を披露していた恭弥の身が地面へと到達する。

「ナイス、志緒!」
「お前もな」

 二つに分かれて吹き飛んだ亡骸。――だが、頭部を宿す一方がまた浮かび上がってくる。

「えぇーっ!? まだ死なないのぉ……!」
「実際はもう死んでるけど」
「言ってんじゃねぇ」

 しかし魔物の様子がおかしかった。

 突如、眼窩から生やしていたムカデの腕を急速に収めていき、そして無防備ともとれる構えでただ宙に浮いている。
 無論、相手に表情などはないから、それが余計に不気味に映る。

「……なんだ?」

 その異様さに、志緒は攻撃のとっかかりを(いっ)していた。

「どうしたんだろ? コイツ」
「えっと、もしかして、何かのイベント始まるのかな……?」

 数秒、数十秒と場が静止していた。
 警戒した面持ちの三人は、無闇に攻撃するのを控え、相手の出方を待っていたのだ。

 それが、判断ミスであったと気付いたのは、激しい目眩(めまい)と吐き気を覚えてからだ。

「ぐっ……!? なんだっ、どうなって……――っ!?」

 こみ上げる吐き気と悪寒とに、志緒はたまらず身体を折り曲げた。
 残りの二人も似たような顔色で床に膝を突く。

 志緒はその時、気が付いた。
 骸骨の口から少しずつ吐き出されていた靄が、部屋中を満たすまでに(かさ)を増やしている事を。

 次いで後ろの扉に目を遣る。
 まるでセメントで塗り固めたように、ムカデ達によって閉ざされた扉。
 よくよく見遣れば、部屋中のありとあらゆる隙間にまでムカデがびっしりと張り付いている。
 それはもはや封鎖というより密封であった。

 中空を自在に動き回れる相手が、何故に部屋の扉を閉め切って狭い空間内での戦闘に及んでいたか、その理由を解する。

「――毒ガス!? そんなの、あり……か……ッ!!」
「うぐっ――げほっ……?!」

 恭弥が耐え切れずに音を立てて床に伏した。
 直後、彼のその身が光の粒子と化して空間そのものに消え行く。――その場に残ったのは手にしていた剣と、そして装備品などの衣服だ。
 派手に動き回っていた恭弥と志緒、その所為で毒の回りも早い。
 瑞貴の方からもひどく辛そうな咳が聞こえる。彼女も四つん這いの体で、地面に額を着けていた。

 そして志緒はそこに来て、部屋の様子や魔物が入っていた石棺に今一度険しい視線を這わせ、もう一つの違和感の正体も掴んだ。

「……くそが……ぁっ――!! はめやがっ……た……」

 意識を保てたのはそこまでだ。




















「ハメられた!! クソ――あの野郎どもっ!!」
「ガスはちょっとヒドイよなー」
「もう少しで倒せそうだったのに……」

 エクトリアの農村――リスポーンクリスタルが設置された大広場にて、志緒達はみすぼらしいボロ切れを着て(たたず)んでいた。
 肉体だけ戻ってくるとは言え、流石に裸ではない。――が、奴隷のような服装にされる。

「違う、そうじゃねぇ!! あの二人だ! 俺達はあいつ等にはめられたんだよ!」
「へ?」

 しかし、志緒だけは途方に暮れている二人と違って、まさに憤懣(ふんまん)やる方ないという形相だ。

「二人って、前の部屋で会った人達のこと?」
「あいつ等は知ってたんだよ! あそこの棺にあんな魔物が居るって事!」
「ほんとに何言ってんだよ、志緒?」
「バカか、お前ら!! ……はあっ、くそ! 分かった。順を追って説明してやるよ――このバカ共!」
「ひ、ひどいっ……バカって二回も言ったぁ……」

 志緒のその剣幕に晒され、既に大粒の涙を幾つも零している瑞貴。

「あいつらはな、部屋の仕掛けを知っていたにも拘らず、先に進んでいなかった。だが実際は、奴等あの先にもう既に進んでたんだよ。そして、奥に何があるかも把握していた」

 志緒は怒りを強引に押し込め、お人好しの二人にも分かるよう説明を始めた。

「あそこはトラップ部屋だ。行き詰まりの奥の行き詰まりっていう、(いや)らしい事この上ない仕掛け部屋だ。それを奴等は利用しやがったんだよ。――くそったれ」
「んーと……どういう事?」
「死体漁りだ。俺達みたいなプレイヤーの所持金と装備目当てのな」
「死体漁り?」
「あの部屋の魔物、攻略方法をきっちり確立してなきゃ初見じゃ倒せやしねぇ。知らぬ内に毒ガス撒き散らしてるなんてよ。臭いも何も、元からのあの臭気で判別できねぇと来た。おそらく、奴等も一度はその術中に嵌ったんだろうよ」
「でも、あの人達がそうだってどうして……?」
「あそこでのやり取りを思い出せ。あいつ等、俺達自身の手で石棺の蓋を開けさせただろうが。その中にレバーがあるって言って」
「確かにそうだけど」
「もしもだ、あいつ等が普通に石棺の中のレバーを見つけたとして、何で態々(わざわざ)あんな重い蓋をまた()め直す必要がある? 本来、そんな必要はねぇんだ。開けっ放しにしときゃあいいんだよ。隠し階段の事を知られたくないってなら話は別だがな。だが、奴等は蓋を閉めた。その必要があったからだ」

 ここまで言ってもまだ、恭弥と瑞貴の二人は揃って首を傾げてる。

「つまり奴等、そうやって印象付けたんだよ。棺の蓋を開ければ次に進める――その印象を引き連れたまま、俺等はまんまと次の部屋の棺も開けちまった。だがな、あのトラップ部屋、棺の蓋さえ開けてなけりゃ普通に安全なんだ」
「石棺を開けて中の死体を起こしたから、俺達は襲われた……?」
「だから奴等、魔物が石棺に戻って眠りに付いた頃合いを見計らって、俺達の装備やアイテムを物色してるんだろうよ」
「えぇ!? なにそれ――ずっるーい!」
「奴等のあの大荷物、おかしいとは思ってた。坑道に出現するスケルトンどもが金になる武器防具は持っちゃいねぇ。ありゃ、死んだ俺達プレイヤーの装備品だ。……くそっ! どうりであんな場所で何するでもなく(たむろ)してた訳だ」
「うぇー、殺伐としてんなー」
「――俺達が甘ちゃん過ぎたんだ!」

 憤りをぶつける対象がおらず、志緒は握った拳を持て余していた。

「そもそもこのゲーム、PK(プレイヤーキル)行為だって制限してねぇ。あれくらいの悪知恵、まだ可愛い方だ」

 確かにこのゲーム、システムとしてはそれらの制限はされていない。
 街中などで問題を起こせば衛兵に捕まるが、彼らアルドランが関与しない所では何をやろうとも自由だ。
 もっと言えば、アルドランを殺してしまっても捕まりさえしなければいい。――無論、彼等が管理するクリスタルやギルドの利用が不可能となるが。

「でも、良く気が付いたな」
「棺に積もった埃の具合だ」
「埃?」
「もしもあの部屋が前人未踏であったんなら、石棺には厚く埃が積もってたろうよ。だがあの石棺、やたらと綺麗だった。部屋のそこかしこは、厚く積もった埃で塗れてたってのにな」
「でもさ、もしかしたら誰かが先にあの棺を開けてたって可能性もあるだろ?」
「もし誰か先にあの部屋に到達していたら、それならそれで、その形跡がちゃんと残る。棺を開けて魔物に殺されたんなら、装備品や所持品がその場に落ちてたろう。万が一あの魔物を倒してたら、俺達が襲われる事もなかった」
「そうか、あの部屋って何も無かったっけ。……って事は、あの人達に持って行かれてたって事か」
「それが何よりの証拠だ」
「ええぇぇ!? ひどい、良い人達だと思ったのに……」

 瑞貴にもようやく理解できたらしく、しゅんと消沈する。

「今から戻って間に合うか、いや、ワープクリスタルからあの坑道は遠すぎる。そもそも奴等が大人しく装備を返す訳ねぇし、力づくで奪い取ろうにもこっちは始めたばかりで装備のストックがゼロ――ほぼ丸腰だ。いっその事、この街に装備を売りに来るのを張り込むか」
「志緒、スイッチ入っちゃってる?」
「……いつもに増して目が怖い」
「気付かれないように尾行して、街の外に出た所で闇討ちか。それが一番、成功率はありそうだが、ログアウトされる前に後ろから忍び寄って首を圧し折る、いや、片腕を折るだけで充分か」

 瞳孔の開き切った志緒が口許を歪めながら、ぶつぶつと独り言を繰り返して止まない。

「これからどうしたらいいのかな。お金とかもう無いよね?」
「増山からは、冒険者ギルドには幾らか必ず預けとけって言われてたのにな」
「お金稼ぐために素材とか集めようにも、多分、武器とかが無いと大変だよね……」

「――キミ達」

 そんな折、志緒達に出し抜けに声を掛ける者が居た。

「どうしたの? そんなに途方に暮れちゃって?」

 現れたのはピカピカとやたら見栄えの良い甲冑(かっちゅう)鎧の女だ。
 喋り方や仕草から、間違いなく現代人――プレイヤーである事が判別できる。

「あれでしょう? キミ達、欲張って探索しようとダンジョンの奥深くまで潜って、それで痛い目見ちゃったクチでしょう?」
「はあ、まあ……」

 間の抜けた表情の恭弥と瑞貴が、いきなり話しかけてきた相手に戸惑いつつも律儀に応対する。

「ああ、ゴメンね。私達、最近〈神聖まゆゆん☆奉仕団〉っていうクランを立ち上げたんだけど」
「ま、まゆゆん……?」
「でさ、見れば一発で分かるんだけど、今すっごく困ってるでしょ? 予備装備とかお金、ギルドの銀行に預ける前に死んじゃったクチよね? うん、わかるよぉ。このゲーム、かなりシビアだもんね。初心者お断りみたいな空気、だいぶあるよねぇ」

 まるで営業職のような馴れ馴れしさで話を続ける。

「私達さ、キミ達みたいなそういう初心者の救済の意味も込めてクランを立ち上げたのね。だから、困ってるキミ達の力になるわよ」

 カチャンとその甲冑の胸を叩いて、さも軽そうな音を立てる女。

「簡単に言うと私達、武器やアイテムなんかのレンタルをやってるの。それだけじゃなく、人員の貸し出しなんかもね。急いで戻って所持品の回収だって行えるように。結構、私達のメンバーってゲーム慣れしてるから、難関ダンジョンの最奥部だって行けちゃうわよ?」
「えっ? ――本当ですか」

 その場慣れした口上に、志緒の警戒心が鎌首を(もた)げる。

「ただこっちも在庫や人員が無限にあるって訳じゃないから、見返りは多少貰うけど。ああ、でも所持品を回収できたら、その中から少しだけを分けて貰えればいいの。もしも運悪く全ロストしちゃってたら、この世界で通用するっていう帝国発行の借用書とかも用立てるし、何なら私達のクラン活動を手伝って貰えればそれでいいわよ。ほら、このゲーム、質よりも数な訳じゃない? 強力なモンスターも多勢で攻略できちゃうでしょ? そうやって、今度はキミ達が困ってる初心者を助けてあげる側にも回れるんだし」
「つまり、困ってる人達同士で団結するって事ですか」
「そうそうそう! こういうさ、経験者とかばっかり優遇されてるシステムって嫌でしょ? みんな平等に楽しくゲームできるようにって、私達は活動してるのよね」
「やった! 恭弥くん、志緒くん、これで何とかなるかも」
「初心者救済をゲーム側じゃなく、プレイヤー側でやっちゃおうって事か。有り難いなー」
「それじゃあキミ達、ついておいで。クランの本部用に借り受けた邸宅があるから、もっと詳しい話をそこでするわね」

 動く度に軽い音を鳴らす甲冑はまるで玩具のようだ。恐らく必要以上に軽量化してるのだろう。
 それはまるで実用性――防具である必要性などを考慮していない。

「……待てよ、おい」

 先導するよう歩を進めた相手に、志緒は低い声を浴びせた。
 瞳孔は相変わらず開き切っている。身体中を奇妙な刺青と分厚い筋肉で固めた志緒のその風体は、むしろボロ切れを纏っている事で余計に凄みがある。

「ど……どうかしたの?」
「志緒、失礼だぞ。そんな殺意の波動をまき散らしてちゃ」
「あんたさっき何で俺達が欲張って探索してたって言い当てた?」
「えっと、どういう意味……?」
「死んでここに戻ってきただけで、何でその死んだ状況まで解ったかを訊いてるんだ」
「いや、キミ達がいかにもな感じで途方に暮れてるから、典型的な初心者だなってピンと来たのよ」
「だから、何でその初心者が〝探索〟で死んだって分かったんだ。むしろ初心者ならクエストに挑んで失敗のが多いだろうが。どうして俺達がクエスト目的でなく、探索目的でダンジョンに潜ってたと言い切った」
「それは、その……あれ? そもそも私、キミ達に探索してたから死んだなんて言った?」
「ええ。確かに、一番初めにそう尋ねてきましたよ」
「そ、そう……?」
「おかしいだろうが――何で言い当てれたんだ。そもそも、死んで途方に暮れてる輩なんて周りに沢山いるだろうが。俺達だけに何で声を掛ける?」

 志緒の言う通り、死んでボロ切れ姿のプレイヤーは広場のあちこちに見受けられる。

「キミ達が一番困ってそうだったし、それに他の子にも声を掛けるつもりだったわよ。これからね」
「……まどろっこしい。こっちも言い当ててやるよ」
「何をよ?」
「てめぇ、あの遺跡にいた二人の仲間だろう」
「ふ、二人……?」
「大方、フレンドチャットで情報が来たんだろう。間抜けな初心者が3人、今からそっちに戻るってよ。じゃなきゃこんなに都合良く、俺達の前に来れる訳がねぇ」

 志緒の言葉に――あるいは単純にその迫力に圧されてか、相手は一歩たじろぐ。

「俺達の荷物はもう、あのハゲタカ共にかっぱらわれてんだ。そうなると、後は体の良い労働力としてコキ使おうって腹だろうが」
「志緒くん、失礼だよ」
「そうだぞ。折角こんな良い話を持ってきてくれたのに」
「話が出来すぎてるってんだ――バカ! 目ぇ覚ませ!」

 その剣幕に(おのの)くは、無論その場の全員だ。

「おそらくあの二人だけじゃねぇな。そんなご大層なやり口だ、他にも都合良い〝屠殺場〟を見つけて何人も配置させてんだろう」

 一歩、相手との距離を詰める。――勿論、相手は逃げ腰で退く。

()めくさった真似しやがって」
「……しょ、証拠は?」

 引き()った上辺だけの笑みの女が、それでも声を絞り出す。

「き、キミの言ってる事って、全部ただの言いがかりでしょ? 君等が(だま)されて死んだ事に、私が関ってるって証拠でもあるのかしら?」
「その〝言い逃れ〟が何よりの証拠だ。俺がてめぇの前でいつ『騙されたから死んだ』なんて言った?」
「――!! だっ、だから証拠はどこにあるのよって言ってんの!? そんなの全部あんたの妄想でしょっ?!」

 薄っぺらな営業スマイルが()がれ落ち、顔を充血させた相手が唾を飛ばす。

「そもそも、仮にもし万が一? そっちの言い分が全部正しかったとして? ……で、どうする訳ぇ? 通報でもする? アカウントでも停止にしてもらう? ――あははっ! 残念ねぇ、ここにはGM(ゲームマスター)なんて居ないのよ?」

 しかし、すぐさまにもその激昂を抑えて、表面上だけとは言え――大人の余裕を取り違えたようなさっきまでの顔に戻る。

「噂を撒いてやるよ」
「噂?」
「てめぇ等がどんだけ手広くやってるか知らねぇが、そのクソみたいな名前のクラン――その下衆なやり口も含めて、吹聴して(まわ)ってやる」
「な、何それ……?」
「疑わしきは罰せず? ――はっ! 世の中どこでもな、石を投げつけられる大義名分を欲してる暇人共で(あふ)れてんだよ。巷で話題沸騰のゲーム内の阿漕(あこぎ)な噂だ。飛びつく輩がどれほどになるか」

 こういう界隈では、話題を上る頻度が多い故、炎上案件は切っても切れない。
 志緒はそれを脅しに(かこつ)けた。

「それに何よりな、――(ツラ)は覚えたぞ」

 そして一層ドスの効いた(かす)れ声で、露出したその筋肉質な肌に筋を浮かせ、今一歩、炯眼(けいがん)を放って距離を詰めた。

「つ、面って……は?」
「てめぇだけじゃねぇ、あの二人もだ。街の外だろうが、ダンジョン内部だろうが、てめぇ等の姿を見つけ次第どこまででも追って行って、無分別に襲い掛かってやるよ。これから先、安穏とプレイができねぇようにな」

 武器も何も持ってない無手の志緒ではあるが、相手とのその力量差は如実(にょじつ)に格として現れていた。

「残念な事に、このゲームにGMは居ないんだって? ――有り難くやりたい放題にさせて貰おうじゃねぇか。アカウント再取得でもして逃げるか? ――けどACSを使用する以上、姿形は変えられねぇってな。……それとも何か? お前のその顔から現実世界でも身元割り出して、同じような目に()わせてやろうかッ!?」
「ひぃっ……!?」

 決して本職の人に退けを取らない志緒の脅し文句が、遂に相手の腰を抜かすに至らせた。
 重複するかもしれないが、奥崎志緒は17歳のただの真面目な高校生である。 

 その凶悪なまでに隆起した太い二の腕が伸びる。
 相手は滑稽(こっけい)なほどに回らなくなった舌で「あわわわ」などと漏らし、震える手元でブレスレットを起動してログアウト画面を呼び出している。

 志緒の規格外の握力がその頭蓋に到達する前に、辛うじてマーカークリスタルへの変貌を果たせたようだ。

「――ったく!」

 そうなってしまった相手は蹴っても何ともないだろうが、志緒は憤懣を紛らわすように足裏を着ける。

 その一連の流れに声も出ないのは恭弥と瑞貴の二人。
 取り分け、瑞貴などは意識を保ってるのかさえ定かではない顔色である。

「……結局、あの人もグルって事?」
「反応からして間違い無い。まあ、これ以上はどうとも出来ねぇが」
「あ、良かった。本当に付け狙って襲うんじゃないのな」
「そんな無駄な事するか」

 さも馬鹿馬鹿しいという素振りで、志緒は首を廻した。

「にしてもこのゲーム、面白いじゃねぇか」
「……うーん……いや、今それを言う?」