目覚めるとそこは自分の部屋などではなかった。

 (ほこり)(かび)の匂い、それを上塗りするような独特な煙たい焼香(しょうこう)
 腐りかけの木で作ったような床や柱。
 そして天井が異様に高く、薄暗い堂内。
 寝台というよりは祭壇(さいだん)とでも言うべき場所に、自分が寝かされているのに気付いた。

放浪者(ワンダラー)よ」
「うおっ!」

 自分のすぐ脇から黒いフードの頭が持ち上がってきたので、さすがの志緒も頓狂(とんきょう)な声を上げる。

異質なる放浪者(エクストリニアス・ワンダラー)よ」

 また別のフード頭が脇から浮かび上がってくる。今度はそれが次々と続いた。

 どうやら台座を取り囲むように頭を垂れて(うずくま)っていたので気付かなかったが、自分の周りには計6体の人らしきものが居る。
 目深(まぶか)にフードを被って顔を見せないが、人の形をしている以上人間だと思われる。

 面喰らった状態で、志緒はまじまじとそれらを眺めてしまう。
 すると内の一人が(おもむろ)に立ち上がり、道を示すように片方の掌を広げた。
 その指し示す方向に青い蛍光色を放つ巨大な水晶石のオブジェが鎮座していた。
 堂内に他の光源はなく、その淡い光だけこの場を照らしている。

 (いざな)うかのように、立ち上がったフードの一人がこちらの動きを待っていた。

 何はともかく、志緒は身を起こして床に足を付けた。素足にひんやりとした床の感触が伝わる。
 ゆっくりと先導する相手に従って、その巨大な水晶へと近付いた。
 すると発していた光が不可思議な屈折をし、志緒の姿を投影したかのような姿見へと変わった。

 そこに、自分自身が映っている様をまた深く見入ってしまう。

 夢にしてはやけに実感の(ともな)ったものだと、懸念を覚えていた志緒。
 その引っ掛かりが(ほど)ける。

「……そうか。ゲームが起動して、もうBoDCの世界か」

 そう自覚した途端、ゲーム本編の説明書や資料、コンセプトアートなどで目を通していた情報が一気に思い起こされる。

 設定では、ここは確かクリスタル教と呼ばれる宗教の聖堂で、フードを被った彼らはその教徒だ。
 クリスタル教徒は力を秘めたこれらの水晶石を用い、次元の狭間に干渉するという。
 その力で異界から人を召喚する。
 それはプレイヤーの事を指し、その身にクリスタルと同じ素材で作られたという腕輪をしているのが証となる。

 詳しい事はともかく、つまり彼等は物語の導入部分を引き受けたような役柄。

「にしても、マジかこれ……?」

 志緒は水晶に映った自分を確認し、そして手で()で回すように自らの身体を点検しした。
 腕や足を可動させて筋肉や関節の動きを事細かく確かめ、その全くの違和感の無さに思わず感嘆の声が漏れた。
 胸に手を当てれば、脈打つ心音が感じられる。息を止めてみれば、普通に苦しくなる。
 どこにも違和感などない自分の肉体がそこに在る。

 驚くべき――そういう言い回ししか出来ない程に、自分の身体が自分の身体なのだ。

 それはゲームのようなテクスチャなどでは勿論ない。
 毎朝鏡で確認している自分の顔、そうして身体である。

 麻のような質感のボロ布の服を着ていて、左腕には見覚えのある幾何学模様の腕輪が装着されている。
 そんな風体の自分自身がこの世界に居る。
 そう、仮想であり虚構である(はず)のこのゲームの世界に。
 自分の目で耳で鼻で、そして手で世界を感じられる。――恐ろしいとすら言える程、そこは現実世界そのものだ。

 もっと間近で確認しようとして近付くと、水晶が揺らめく。
 そして同じ素材で出来ているという左手の腕輪が、まるで吸いつく磁石のように目の前のクリスタルへ引き寄せられた。

 あろう事か、次の瞬間、志緒はその巨大な水晶石の中へと吸い込まれていた。

 声も出せずに硬直していた。
 だが特にどうという事はないと知り、うっすらと目を開く。

 そこはクリスタルの内部だ。
 淡い筋状の光が自身を取り巻いている。

 途端、左手の腕輪から発せられた強烈な閃光が眼前を穿(うが)つ。
 左手の腕輪――それは現実世界で身に付けたACSのブレスレット型デバイス。説明書通りなら、この腕輪がオプション操作やらに対応している。

 目の前に何やら画面が開いている。
 その複数が重なるような窓枠には、よく見覚えがあった。ゲーム的な解釈で言えば、つまりメニュー画面というかコンソール画面というか――概ねそういうものだろう。

「初期設定ってやつか」

 ゲーム中の演出効果の調整を行えると共に、確か職業やらスキルやパラメータのボーナス値やらを選択できると聞いていた。
 今がその場面なのだろう。
 事実、眼前のウィンドウに多岐に亘る職種の一覧がずらっと並んでいる。

 タッチパネルのようにその立体的な画面を操作してみれば、クリスタルの内部に移りこんでいるボロを着た自分の服装が切り替わっていく。

 志緒は説明書などで読んでいた情報を元に自分なりの設定を済まし、気に入った職業を選んで操作を終えた。
 自分の服装がブレるようにして切り変わった。
 これにて設定完了らしい。

 するとクリスタル内部を淡く漂っていた光の粒子が変質し、眼前を漂う別の何かへと姿を(うつ)ろわせた。

 それは始め、まるで小さな虫だった。
 顕微鏡で見た線虫というか、そんなか細いミミズがのた打ち回っていく次第で、それが文字へと変わった。
 まるで楔形(くさびがた)文字のような、そんな記号的なものが並ぶ。
 日本語でない筈のその言語――しかし、それを読み取れる。

 それは短く〈何を望む?〉と問い掛けていた。

 この唐突な質問に、志緒はひどく答えに(きゅう)した。
 ゲームの演出なのだろうとは分かっても、いきなりそんな事を問われた身としてどうしたものかという思いだ。

 ここで今欲しい物でもねだった所で意味はないだろうし、そもそもこの抽象的な質問はそういう意図ではない。
 ゲームの演出に合わせて推察してみれば、これから世界に羽ばたくプレイヤーへのボーナスイベント的な何かだ。
 冒険に役立つアイテムや能力など貰える、お約束的なあれだろうと思われる。

 だから志緒は(しば)らく逡巡(しゅんじゅん)した後、ごく短く、力」と抽象的に答えていた。

 また眼前の楔型文字がのた打ち回り、別の文章へと変わった。

 今度は〈なぜそれを望む?〉と返してきた。

 これまた、答えを出すのに長時間を有する質問だった。
 力が欲しいのはなぜか?――ゲーム的に言えば、強い武器や必殺技があった方が攻略が楽だからに決まっている。
 そう答えればいいのかと思う半面、この演出に多少は沿って考えねば野暮だろうと思えてくる。

 それ故、志緒は熟考した。

 なぜ力が欲しいのか?
 強くなって優越感に浸りたい?
 他者を支配できるから?
 ――いや、そうではないと思う。

 少なくとも志緒は人より、力を持つという事がどういう事か知っている。
 現実世界にて、鍛え抜いて研磨してきた肉体と技術。自分はその気になれば素手で人を殺める事だって可能かもしれない。
 その事実が、歳不相応に深い考えを志緒に持たせている。

 少年マンガやアニメでなら、ここで「他人を守るため」だとかいう青臭いセリフの一つでも吐くところだろう。
 しかし志緒にとって、その答えは大衆の御題目に沿うようで、思考停止に他ならなかった。

 長い沈黙を破って、だから志緒はこう答えた。
「自分の意志を通し、目的を達するためだ」――と。

 文字がまた(うつ)ろう。
 今度ただ一言〈祝福を〉とそう残し、風に吹かれるように消えた。

 そこで、このクリスタル内を照らす光がその光度を急激に増し、瞬く間に視界を奪っていく。
 その余波に吹き飛ばされるよう、意識は剥離(はくり)する。
















 再び意識を取りもどすと、今度は豪華絢爛(けんらん)な装飾が施された室内だ。

 やはり部屋の中心にクリスタルが安置されており、そこから真っ直ぐ続く先に扉が一つだけある。
 部屋の中に目ぼしいものはなく、扉から外へと出るしかないようだ。

 ドアの先も、()色の鮮やかな一本の廊下が続いている。
 そしてその廊下の先も小奇麗なドアである。

 躊躇(ちゅうちょ)していても時間の無駄だろうと、志緒はその扉も開け放った。
 中は、絨毯(じゅうたん)の敷かれた豪奢(ごうしゃ)な執務室のような部屋だった。
 奥にも扉、左手の壁には暖炉、向かいには絵画やら壷やらが展示されている。
 そして中心に(きら)びやかな装飾の入った長机と椅子。――そこには一人の人間が座っている。

 その人物は入ってきた志緒をちらりと眼で確認すると、立ち上がって一礼し、自身の向かいに置かれているソファーを平手で示す。

「どうぞ、お掛けになってください」

 声を掛けられる。
 長いウェーブの金髪だったが、声からして男のようだ。
 豪華に飾りつけられた軍服を着た端整な貴人だ。

 少しぎこちなく、志緒は勧めに従って腰を降ろす。何かの面接のようだと感じる。

「ようこそ、この『アルドヘイム』へ。帝国はあなた方を歓迎致します」

 はっきりと聞き取り易く、それでいて威圧的でない声で貴族風の男が会釈する。
 アルドヘイムというのは概してゲーム内で世界そのものの事を指す。そして帝国というのは大陸の統一支配を果たしたウルフレイド帝国の事だ。

「あんたは?」

 格好やこの状況からみてもたぶんNPCだろうとは思う。ただ念を押す意味で、志緒はそう問いかける。

「だたの書記官ですよ。帝国第一筆頭書記官のオルクトルと申します」
「書記官……」
「さて、それではこちらの書類に必要事項を記入なさってください」

 そう言って羊皮紙を一枚、男が差し向けてきた。

「なんだこれ? どういう……」
「ご心配なく。我が帝国に()いて、貴方の身分を保証するものです。貴方達『青水晶の住人(クリスタリアン)』を帝国の同胞として認知させるための単なる手続きです。書面に記入して頂くだけで結構ですので、どうかご協力を」
「……まあ、いいか」

 話についていけず疑問は尽きぬものの、ともかくその書面とやらを確認してみる。
 職業と名前、あとは初期地域とやらを記入すればいいだけのようだ。

 よく分からないがさっさと済まそうと、羊皮紙の脇に置かれていたインク瓶に漬された羽ペンを取った所で「いや待てよ」と心の声が出た。

 自分の名前は奥崎志緒で、職業は学生である。――だがこのゲーム世界ではそうじゃないわけだ。
 現実的過ぎるこの流れで、危うくその事を履き違える所だった。
 そう、ここはBoDCというゲーム世界で、自分はそこに〝転生〟を果たした主人公(プレイヤー)なのだから。

 志緒は先ほどの巨大クリスタルの内部で選んだ職業を書き込んだ後、自身の名前はどうしようかと思い悩む。
 自分にセンスがないのは承知なので、結局は無難な物を書き込んでいた。
 余談だが、自身は日本語を書いているつもりでも書面上ではあの楔型文字が列記されていく。自動的に翻訳される仕組みらしい。
 最後の初期地域というのは、たしか恭弥がファザーランドとやらのエクトリアだったかを選択してくれと言っていたのを思い出し、そのように記入する。

「――結構です。ありがとうございました。これであなたの身柄は帝国の管轄に置かれ、その権限に於いて各地への無期限の滞在が許可されました」

 オルクトルと言ったこのNPCの仕草や表情の自然さに圧倒されっぱなしだ。――AIによるプログラムだとはとても思えない。

「それでは、腕輪をこちらに」

 金で取っ手をつけたような小さい円盤を志緒の腕輪に向けてかざすと、まるで共振反応のように二つが振動を始める。
 やがてそれが治まると、ブレスレットの幾何学模様が薄く色を帯びて光るようになった。

「はい、完了です。これで冒険者ギルドの各支部へとあなたの登録が行われました。所定の管轄域にて、これからはギルドがあなたの支援を担当します」

 冒険者ギルドとは主にクエストを受注する為の組織だ。プレイヤー達にとっては最も利用頻度の高い施設となる。

「赴任先はエクトリアですか。良い所ですよ、とてものどかな場所だ。きっと気に入られる事でしょう」

 社交辞令か、にこりと薄く笑んで男は流麗に言葉を舌で転がす。

「それではこのまま奥へと戻り、再び大水晶(オリジナルクリスタル)にて転送を開始してください」
「なあ、あんた――」
「申し訳ありませんが、私どもの役目はこれまでです」

 穏やかではあるが有無を言わせぬ調子。
 そして微笑も絶やさない。

「我々『アルドラン』はあなた方との共栄を切に願っております。これからもどうぞよしなに」
「……そうかい」

 貼り付けたような笑みに若干の気後れをし、志緒はぎこちなくその部屋を後にした。

 そして、再び巨大なその青い水晶の前に戻って来る。この部屋にはあのフード達は居ないようだ。
 水晶に近付くとやはり腕輪が引き寄せられる。
 思い切って、自らその内へと飛び込んでみた。













 短い合間に三度の覚醒を果たす。
 今回もまたあの(かび)臭く薄暗い堂内だった。

 しかし、どうやら初めて目覚めたあの聖堂ではない様子。
 建築構成は前と同じだが、堂内には蝋燭(ろうそく)の灯りが(くま)なく(とも)されていて、今にも崩れ落ちそうなほど腐食(まみ)れだった前とは違い、そこはまだ建材として充分にその役目を果たしている。

放浪者(ワンダラー)よ」
「またいた」

 フードを目深に被った信徒がやはり六人、志緒を取り囲むようにして台座の前に寄り集っている。
 と、彼らの内一人が巨大なクリスタルとは対角線の位置にある両開きの背の高い扉を平手で促す。

「もう出てけって?」

 一歩一歩まるで覚束(おぼつか)無く、その扉へと足を向けた。
 扉の前で後ろのフード達を振り向いてみたが、彼らは特に変わらない。
 ともかくこのままでは話が進まないのだろうと扉を押し開けた。

 てっきりまたどこかの廊下に通じてるとばかり思っていたが、扉の先から差し込んできた(まばゆ)い自然光に一瞬、視界を奪われる。

 やおらに眼を()らす。
 そして、そこから飛び込んできた光景に柄にもなく感動を覚えた。

 夕日だろうか、茜色の暖かな光が(なな)めから差し込む。
 風が一陣、何か懐かしい匂いを連れて吹き込んできた。
 麦穂の香りだと直ぐに思い至った。
 石畳が真っ直ぐ続いているその左右には、まだ黄金に色づく前の青々とした麦の穂並みが延々と広がっている。
 それが夕日に照らされ、まるで一足早に黄金色に染まったかのようだ。

 波打つ夕日色の平原、吐息が漏れるのを抑えられない光景だ。

 さらに石畳が遠く続く先には、街だろうか、建物が群れを成していた。
 振り返れば、真後ろには背の高い一つ棟の灯台のような黒々とした建物。それがなだらかな丘の上に位置しているため、そこに立つ志緒からは遠くの平野まで見渡せた。

 そこは紛れもなく〝世界〟であった。

 頬を撫でる風の冷たさ、夕日の色合い、遠くから響く鳥達の声、(かお)り立つような草花の匂い、そして麦穂の独特な匂い――
 データで構成されたこの世界、そこにデータとして自分が存在している。
 全くの違和感も相違もなく自分が自分としてここに立っている。

 これは本当に、感動すら覚える精度である。

 身体を曲げたり伸ばしたり、跳んでみたり転がってみたり、風を切って何にも(はばか)ることなく走り回って、自分が息切れしてるのに気付き、さらに感動した。
 ここは現実ではないと理解していても、それでもまだ、ここは別次元の現実なのだという観念が呼び起こされる。

 これぞまさにRPG(ロールプレイングゲーム)というわけかと、らしくもなく得心していた。

 勢い込んで丘を駆け下り、麦穂の海へと分け入る。
 手足にちくちくと触れるこの感覚でさえ、虚像(ニセモノ)であるというのだから驚きしかない。

「すげえな、これ……」

 まるで黄金(こがね)色の海原のようなその場で、取り留めもなくそう言葉にする。
 鮮やかな西日を時も忘れて眺めていた。


















「村に入ってすぐの酒場だっけか」

 その寂れた農村のような集落は、まさに旧世紀の風情を(かも)していた。
 本当に何百年か昔の、アジアともヨーロッパとも取れない――あるいはそれらが混合した――田舎という光景だ。

「おい、ちょっと待て」

 村の内部へと至ろうした折、木杭の柵で囲まれた小屋から鎧を着込んだ兵士がぬっと進み出る。

「また放浪者か。随分な風体をしおって」

 迷惑そうな顔付きを隠そうともせず――村の衛兵だろうか、帝国兵士の一人が志緒の行く道を阻む。
 顔半分が(ひげ)まみれな、熊のような体型の大男だ。

「なんだ、イベントか」
「いべんと? 相変わらずお前達クリスタリアンどもは、言葉は通じる癖に訳の分からん事を毎回ほざきおる」
「あ?」
「いいか!? ゴロツキ! ――よく聞けよ!」

 拳骨を揉むすよう構えて、上から志緒を睥睨(へいげい)している。

「ゴロツキ……?」
「お前達の身は帝国の預かりとなっているんだ! 村の中でバカな真似をしてみろ?! 帝国兵士の沽券(こけん)にかけて真っ先に飛んでいって取り押さえ、牢にブチ込んでやるからな!」

 それだけ勢いの良い啖呵(たんか)を切ると、背を向けて駐屯兵士達の監視小屋であろうそこに戻っていく。

 その場に残された志緒は唐突過ぎる罵詈(ばり)に対応が出来ずいた。
 小屋の中では、兵士は踏ん反りかえってまだ志緒を睨みつけている。
 ゲームの初戦闘をこの尊大な衛兵で飾ってやるかと湧き上がる怒りはあったものの、深呼吸して気を治めた。

 村の内部は閑散としているように見えて、それなりの人が流動していた。

 当たり前な話、村には人が居る。
 だがざっと見渡しただけでも2種類の人間がいるのが判別できた。

 甲冑(かっちゅう)鎧から派手な色合いの法衣まで幅広く、多種多様な恰好で好き勝手な場所に(たむろ)している輩。
 大声で談笑していたり、何かを覗き込んでは頭を捻っていたりとその様は移り変わりが激しい。
 もう一方は荷車を()いたり、軒先で(わら)(しご)き上げたり、ただ黙々と自身の仕事に従事している。
 こちらは年を取った人間が多い。

 言うまでもなく、前者がプレイヤーで後者がNPCの村人達だ。
 人種的な違いはほぼ見受けられないが、雰囲気とでも言うべきものが明らかにこの二つで食い違っている。
 たとえ服装だけ同じに揃えて見ても、前者の彼らを取り巻くその空気に違和感を覚える。
 この中世の農村のような場所に彼らはどこかそぐわないのだ。

 そこかしこでプレイヤー達――この世界的な呼称すれば「放浪者(ワンダラー)」や「青水晶の住人(クリスタリアン)」といった者達の、会話や呼び込みが聞こえる。

「あーあ、またお使いクエストか」
「雑魚モンスのクセにあいつら強すぎない?」
「どうせ後から修正入るだろ」
「西の廃坑道! 最深部まで行ける方ー! 連れてってー!」
「難易度設定もうちょい考えろよな」
「俺はやり応えあって良いと思うよ」
「そもそもシステム的に他のゲームと同じ感覚でやっちゃダメだって」
「はいはい、(スナ)ゲー砂ゲー。ファンタジー調の世界観で、相手の知覚外からの遠距離攻撃で仕留めるのが一番安定するってもうこれね」
「やっぱ、弓は人類最強の発明ですねえ!」
「風景とかのグラ、リアル過ぎて吐きそう」
「いやもう、ゲームグラフィックとかいうレベルじゃないからこれ」
「あのー、さっきダンジョン内で転んだら岩場に頭ぶつけて死んだですけど? どういう事なんです?」
「仕様です。諦めてください」
「なんでゲームでもこの顔面凶器と付き合わなくちゃならんのか? むかつくんじゃ! ――整形MODはよ!」
「イケメンのワイ、高みの見物」
「鏡見て、どうぞ」
「性別すら選べないとか、そんなにポリコレ棒の餌食になりたいんですかね」
「すでに改造MOD作って摘発された人がいるって本当?」
「それってデマ情報。だって世界トップレベルのA&ISの技術者が極秘裏に開発したシステムだろ? 根幹に携わってた人間がとかでない限りさあ」
「臨時でいいから誰かPT組まね?」
「α版とは言え、ゲームバランスがもうほんと……」
「だから修正来るってば」
「西の坑道ぉー! 行ける人ぉー!」

 そういう具合に、とんでもなく混沌とした会話が飛び交っている。
 ブレスレットを用いれば登録をした人間とのチャット機能も使えるが、文字を打ち込むより言葉を口にした方が圧倒的に早い。

 また異質なのは集落内部に散見される奇妙なオブジェだ。
 それはまるで聖堂にあったクリスタルの小さいバージョン。(ほの)かな青い光を発して、その地点に浮遊して留まっている。

 それはプレイヤー達のマーカーと言うべきか、もしくはビーコン。
 ゲームにログインしてる時はともかく、一旦ログアウトすると仮初めとは言えこの肉体から精神は離脱する。
 これはその肉体を含め、所持品やらを全て取り込んで保護する(まゆ)のような役割を果たしいる。
 システム的にこれらは不壊のオブジェクトとして扱われるから、妙な話、ラスボスの攻撃を受けたってびくともしない訳だ。

 今また志緒の目の前で、青い光の柱が立ってはプレイヤーがクリスタルに変化した。
 正直、割と邪魔だなと感じる。

 村の様子を(うかが)いながら練り歩いて、件の酒場らしき建物を探した。

 この世界の酒場がどういう物か詳しく知らないが、セオリー的にそんな感じの建物を目に留めていく志緒。
 だが、それは割とすぐに見つかる。
 二階建ての大きな木造家屋で、カウンターテーブルや円テーブルに人々が寄り集って酒を酌み交わしている様が開け放たれた扉の向こうに見えた。

 店先にぶら下がっている看板らしき物には、記号のような簡略さで紺色をした鳥っぽいものが描かれていた。
 確か恭弥は「藍鴨亭」だとか言っていたと思うから、ここで間違いない筈。

 中にはそれなりの人数が詰まっているようで、ここから見知った顔を一人探すのは手間取りそうだ。

 そう思っていた矢先、通りへ突き出たテラスにて卓を囲んでいる一群に、よく見知った顔が数人混じっているのが見えた。
 見知った顔が、まるで着慣れぬ突飛な服装で騒ぎ立てている。
 もっとも今この世界で着慣れた服装など一つも見受けられないだろうが。

 と、その中でも特に見慣れ過ぎて見飽きてるイケメン面が、こちらに気付いたらしく視線を合わせてきた。
 初めきょとんとしていたその表情が、瞬間ぱっと華やいだ。

「――志緒!」

 このゲーム世界でも恭弥のその人懐っこい笑みは顕在のようだった。
 














「ようこそ、エクトリアへ! ようこそ、ウルフレイド帝国領へ! ようこそ、俺達のアルドヘイムへ!! そして、ようこそ……このBoDCの世界そのものへっ!!」

 グラスの並べられた円卓にて、増山らしき人物が両腕を広げ、たっぷりと溜め込むような長口上で歓待の意を示す。
 らしきと言ったのは、やはりその服装に違和感が拭えないからだ。
 見知った顔がまるで見慣れない恰好でいる。コスプレというか何と言うか、どうもしっくり来ない。

「奥崎ちゃん――それ迫力満点じゃん? フィールドで出会ったら絶対に敵性NPCだと思い込むって」

 軽薄な口調で驚きを言葉にしているのは香坂だろう。

 増山と香坂、そして恭弥を除いてテーブルを囲んでいるのはもう3人ほど。
 全員がまるで見知らぬ仲というのではない。いや、自分の判断が間違いないなら全員が同じ学校の生徒だ。

「ホントに志緒くんそれ、すごい様《さま》になってる」

 自身の右隣、恭弥のさらに隣には篠宮瑞貴の姿がある。

「俺も最初は全然気付かなかったよ。顔にまで刺青入ってんだもん。おばさん達悲しむぞー?」
「ひえーっ!? これ奥崎? ――こわッ!」
「そのまま、映画とかに出てそうね」

 真向かいの増山の左から、去年まで同じクラスだった橋本(はしもと)響子(きょうこ)と、瑞貴とよく一緒にいる事で顔を知っていた木ノ下(きのした)宮歩(みやほ)が居る。
 全員がやはり、学校で会った時とはかけ離れた奇抜な格好している。

 恭弥は艶の消えた革ズボンにロングブーツ、襟の長いシャツの上に金属製のリングが編み込まれたベストを着てる。
 腰には細身の剣が一振りぶら下がっていた。

 増山は金箔で紋様を飾りつけたような真っ赤な厚手のローブを(まと)い、普段掛けているのよりもかなりクラシックな眼鏡を掛けている。そして妙な形状の大きな杖を背負っていた。 

 香坂の服装は一言で表せば、戯曲に登場するウィリアム・テルのような恰好だ。
 事実、弓を肩に矢筒を腰に引っ提げて、二色の外套を交差させるように羽織っている。

「なんで橋本らが?」
「私が誘ったんだよ。どうせならみんなでと思って」

 瑞貴は相変わらずの独特な柔らかい声色で話す。
 のんびりしているというか、まあ人から言わせればそこが最大の魅力らしい。

 彼女は布が重力に逆らったような形状で装飾されている白の法衣姿だ。
 身体のラインをぴっちりと際立たせるインナーと、それを所々で覆い隠すように布が逆立っている。
 そして宝石の付いた短い杖を手にしていた。

 その尾を曳いて奇抜な格好に眼を白黒させている志緒に気付いたか、若干恥ずかしそうにしながらも、立ち上がってくるりとその場で一回転してみせる。

「えへへっ。どうかな? カワイイでしょ――これ? あんまりゲームの事は分かんないけど、でもこの見た目すっごく気に入ったんだ」

 外見のみで職種を選んだらしい。
 楽しみ方は人それぞれだった。

「どうってもな……」
「えぇー? なんか投げ遣りだ」
「そんな事ないって。瑞貴はちゃんと可愛いよ」
「うむ。篠宮は元が良いから、何着ても似合うんだなあ」

 しみじみとそんな事を呟く恭弥と増山。

「違うよ、この服のデザインの事だってば」
「やー、でもあれっしょ? 可愛いかどうかを基準に選ぶって、なんかこういかにもな女子って感じっしょ?」
「何、香坂? それはうちに対するイヤミか? ――おら」
「いやいやいや! 橋本親方も充分に可愛いでございます!」
「親方言うなっ」

 恰幅が良く背も大きい――女子にしておくには勿体ない体格が橋本である。
 その体格をネタにされてもノリ良く返す肝っ玉で磊落(らいらく)な性格が、男女問わずに好かれている要因の人物だ。
 彼女はメタリックな重装鎧(キュイラス)を軽々と着込んで戦槌(ウォーハンマー)を引っ提げてる。
 なるほど確かに、こちらはゲームを満喫する気の出で立ちだ。

「まあ正直、いきなり職業選べなんて言われても分かんないよね。あたしもテキトーに選んじゃったし」

 背がすらりとしていて、ボーイッシュなショートの髪型とつり目がちな眼元が気の強さを(にじ)ませているのが木ノ下。
 光沢があり折り目のきっちりとした藍紫色(シアンブルー)のロングコート姿に、表紙に細かい装飾のなされた一冊の本――魔導書を持っていた。

「俺としては、そういう不真面目な態度でこの素晴らしいBoDCをやって欲しくはないんだがな」

 そう声を(すさ)ました増山。

「何? 文句ある?」
「文句も何も、いつも『オタクキモイ』っ毛嫌いしてるお前が、なんで進んでこっち側に来てるんですかねぇ?」
「はあ? 瑞貴に頼まれたから付き合ってあげてるだけじゃない。別にアンタの顔を拝みに来たわけじゃないし。そもそも、あたしが嫌いなのはオタクじゃなくてアンタだから」
「あーあー、そうですかい。たくもう、篠宮も何でこんな奴を誘うかね」 
「え、えぇぇ……」
「瑞貴は悪くないでしょ、バカ幸輝」
「なんだよ、お前には話してない」

 増山と木ノ下はそれを皮切りに何やら言い争いを始めてしまう。
 周りを完全に放置して、どうも火が付いている。

「なあなあ、瑞貴? ぶっちゃけ二人ってどういう関係?」

 声を(ひそ)ませて恭弥が隣に問い掛ける。

「家が隣同士で昔から家族ぐるみの付き合いがあるんだって。あはは……」
「なんだ、じゃあ『ごちそうさま』って奴か」

 合点がいったと風に、口論する二人を暖かい眼で見守る一同。

「そもそもだ! 奥崎を見習ってみろ、奴ほどこの世界に溶け込もうとしている人間もいないぞ!」

 急に話が志緒の方へと飛んできた。

「こんな超絶マイナーな職業を、自分にぴったりだからという理由だけで選べるなんて並のBoDC愛じゃあないぜっ! 自身の悪人面を最大限に活かそうという涙ぐましい努力がひしひしと伝わってくるじゃないかっ!」 

()めてんのか? それとも貶《けな》してんのか?」
「たぶん両方」

 増山の代わりに恭弥が暢気(のんき)な声で答えてくれる。

 先ほどから話題に上がって止まない志緒の服装――それは確かに、物凄くインパクトのあるものだ。
 苔色(モスグリーン)をした擦り切れたフード付きのマントに、露出面が多くて上半身はほぼ裸と言っていい装束。
 身体全体を赤い刺青が蛇のように絡みついている。
 極めつけは獣の爪や牙、果ては髑髏(どくろ)の面までが吊るされた飾り紐だ。
 正直、ありがちなやられ役の悪党が好む格好である。
 無論、荒々しい筋肉質な肉体と強面を兼ね備える志緒にはこの上なく似合っていた。

「でも志緒くん、なんでその職業選んだの? やっぱり見た目が気に入ったから?」
「なワケあるか。わざわざ自分からネタに走らねぇよ」
「もう既に充分オイシイけどな」
「うるせぇ恭弥――このタコ」

 馬鹿馬鹿しいやり取りに、場は賑わい立つ一方だ。

「まあ、取り敢えずアレ、みんなでフレンド登録しとかない? ゲームにインしてる時、連絡取り合う手段ってこれくらしかなさそうだし」

 橋本が取り成すようにそう切り出した。

「フレンド登録ってどうやるの? このブレスレットで開くメニュー画面からできる?」
「ウィンドウ開いたまま、腕輪を相手に向けるんだ。そうすると画面が対象のステータスなどのプロフィール(らん)に切り替わるから、プレイヤーが対象ならそこにフレンド申請の項目が出るぜ」

 首を傾げている瑞貴に増山が丁寧に解説を施す。

「あ、ほんとだ。……わあ、なんかいっぱい情報が出てくるね」

 各々、申請し合って登録を済ませた。

「ちなみにこれはモンスターを含めたNPC全般にも対応してるから、ボスのステータス確認したい時なんかもこの方法を取らなきゃいけない」
「普通のゲームなら、頭の上にHPバーでも表示されてるもんだけどなー」
「極限までに忠実な仮想世界を目指して造られてるらしいからな。そういうお約束が通用しないんだ」

 恭弥のぼやきに、得意げにメガネをクイッとして増山は知識をひけらかす。

 ブレスレットを用いたそのメニュー画面はゲームの基本的なシステム操作だけに飽き足らず、様々な情報をも注釈してくれている。
 故にゲームプレイには必須なアイテムだ。

「ステータスって個人によって結構バラ付きがあるな。これってさ、選んだ職業によって変わるのかな? 増山」
「いや藤堂、職業によって左右されるのはその伸びしろだけだぜ。初期ステータスは個人の身体データを基に算出される」
「つか、マジこれ? 奥崎ちゃんのステータスずば抜けてね? 反応(リフレックス)とか敏捷(アジリティ)とか……筋力(ストレングス)の値なんか俺らの倍以上なくない?」
「言っただろ、リアルな身体データが基準だって」
「そりゃ志緒はこの歳でベンチプレス100キロ挙げる化け物だしな」

 呆れ混じりの声で、それでも恭弥が賞賛するように言った。

「べンチプレスって、あのオリンピックの競技になってる?」
「瑞貴――それ多分、重量挙げの事じゃないかな」
「どう違うの?」
「いやまあ、似たようなもんだけど」
「よく分かんないけど、100キロ上げられるってそんなにスゴイんだ?」
「凄いなんてもんじゃないくらい凄いな」
「大袈裟に話すな。道場でなら、俺の倍は挙げる人だって居る」
「そりゃ大人でだろ? 同年代でそんなの出来る人間いないって」

 骨格がまだ完全に形成されてない故、志緒にはまだ伸びしろがあるという訳だ。
 その状態でそれだけのポテンシャルを示すのは確かに破格だろう。 

「マジっすか、やっぱ奥崎ちゃんは超人だったんすか。――と思ったら橋本親方のもすげぇっ! 奥崎ちゃんに次いでのレベルじゃん!?」
「おお、本当だ……」
「橋本、お前もなんかやってるのか?」

 単純にその数値に興味を覚え、志緒が問い掛ける。

「ちょっと! 〝も〟って何よ〝も〟って! 別にうちは奥崎と違って何もやってないわよ。てかあんた等、何よその眼は?」
「ナチュラルでこの値っすか!? ヒ、ヒェェ!」
「いや、ちょっと待てよ。100キロ上げられる奥崎の筋力がこの値で、それに次ぐ橋本がこれだという事は……橋本もベンチプレスとかやったら、90キロは軽く上げられないか?」
「女子でそれって相当じゃねぇか」
「もしかしたら響子ちゃん、オリンピック出られるかも」
「親方マジぱねぇっす!」
「あぁーっもう! うっさいわねぇ! そういう香坂! ――あんたのステータス、理力(ロジカル)記憶(メモリ)の値が絶望的に低く過ぎじゃない!」

 さすがにネタにされっぱなしの橋本が、お返しという風に香坂のステータスに触れた。

「え、うっそ……――うっわマジだこれ! 何? どういう事? 何で俺の値だけこんなに低いん?」
「んー、そりゃあお前が、なんと言うか、お前の個性(キャラ)なわけで」

 空惚(そらとぼ)けなコミカルさで恭弥が答える。

「マジっかよ!? ぶっちゃけ、それひどくね? 確かに俺ってば、物覚え悪くてよく先生からも怒られるけど。そんな事まで分かっちゃうん? ――ACSって」
「脳の神経回路と繋がってるからな。きっとある程度はそういう部分で判別できるんだろうぜ」
「それってちょっと怖い話だわね」
「あー、わかるわかる。これがSF映画とかなら、デバイスずっと使い続けてると最終的には機械に脳を乗っ取られちゃったりして?」
「や、やめてよ、ミヤちゃん。そんな不安になる事……」
「あっはは。ゴメンゴメン、瑞貴」

 全く新しいゲーミング装置であるACSは、極限のリアルを追求するためにプレイヤーの諸々の情報――骨格や心肺機能などから、身体能力の値を概算しているのだという。
 そしてそれをデバイス自体が管理している。
 確かに木ノ下が言うような事は映画で言うならお約束な展開だったろう。

 そういう点も含めて、嵐の様な議論を呼んでいる発明品だった。

「あっ、職業の詳しい解説とかも載ってるじゃない。何よ、もっと早くに教えときなさい」
「宮歩よ、この世には説明書というものがあってだな」
「うっさい。そんなの陰キャのアンタ以外は一々読まない」
「聞き捨てなっらーん!」
「ねえねえ、私の職業ってこれ何て読むのか分かる? 聖……何とか……?」

 隣に座る恭弥の袖を引っ張って思案気な顔の瑞貴が呟く。

(びょう)だっけ? 聖廟」
「へぇー。それで廟って?」
「え? えぇーっと……」
「死者を奉る所だろ」

 志緒が代わりに口を挟んだ。

「うむ! 〈聖廟守護者(シュラインメイデン)〉――このアルドヘイムでは遺体を土葬させるのが一般的だからな。その神聖な場を守護する墓守が篠宮の職業ってこった。ちなみにスキルチャートではアンデッドに特に効果的な法術を覚えやすいぞ」
「お寺の住職さんみたいな感じかなぁ」
「そういう言い方だとえらく抹香(まっこう)くさいな」
「ちょいちょーい! 俺のは? ――俺のはどんな職業よ?」
「香坂のは〈追跡者(スカウトハンター)〉か。山野の地形を利用して獲物を仕留める狩人だな。弓系統の武器適性が高いのは元より、地形効果を巧くみに活用できるスキルを覚えたりする。まあ、後方支援タイプだな」
「ほーん」
「香坂お前、自分が選んだ職種ぐらい把握しとけっての」
「や、違くて、勝手に適した職業を選んでくれるヤツあったじゃーん? オマカセ機能みたいなん? 俺あれでやったから」
「そういや、うちもそれでやった」
「橋本のは〈重闘士(グラントウォーリア)〉か。うん所謂《いわゆる》、名は体を表すという言葉の良い見本だろう。重装備に長けたガッチガチの近接攻撃タイプだ。――てかオマカセ機能の精度すごいな!」
「親方の親方たる所以――マジぱねぇっす!」
「うっさいわい」
「宮歩のは〈古代魔導士(アルケイックウィザード)〉だな。このアルドヘイムにて魔術師という存在は複数に分派されてるが、その中でも最も歴史が古く、正統派とされているのがこの職種だ。オーソドックスな攻撃魔法が得意で、その他の補助魔法なんかも卒なく覚える。割と良いのを選んだな、お前」
「あっそ。別に興味ない」
「っちぇ……! あー、ちなみに俺のは〈結界魔導士(サークリックコンジュラー)〉だ。読んで字の如《ごと》く、結界魔法と言われる範囲型の魔術に特化した職業だ。シリーズ通して、こいつの使い勝手が優秀なんだよなあ。今回もそれに賭けての選択だぜ」
「経験者は物を言うってやつか」
「ふふん――まあな! そういう藤堂は〈軽装騎士(フェンサーナイト)〉か。前衛職としてはちと耐久力に難があるが、膨大な手数と軽快な機動で戦闘を有利に運ぶマッチメイカーだな。いぶし銀なの選んだもんだ」
「実は俺もオマカセ機能使ったんだけどさ」
「さてさて、次はみんなが一番気になってるであろう奥崎の番だ」
「勿体ぶるようなもんでもねぇだろ」
「ズバリ奥崎のは〈炎術師(ヴォルカニックシャーマン)〉! こいつはとんでもなくマイナーな職業だ。その存在自体、シリーズ1作目と2作目にてちょこっと触れられた程度。ぶっちゃけコアなBoDCファンでもなけりゃ知りもしないぜ。――勿論! 俺は確実に知ってたけどな!」
「アンタの安っいプライドなんてどうでもいい」

 相変わらずの冷たいツッコミを飛ばす木ノ下。

「活火山の中腹に住み着き炎を崇める呪術者集団で、長らく帝国から蛮族として迫害を受けてきたという歴史がある。実際その宗教体系は原始的で野蛮。――なんと1作目ではこの部族を敵キャラとして登場させてたってんだから、なんかもう色々と扱いがひどい」
「マジでっ!? じゃあやっぱ奥崎ちゃん敵性NPCじゃん?!」
「志緒……オイシすぎだな!」
「うるせぇ」
「だがメリットは多い職種で、強力な炎を操る呪術に加え、暗示効果による身体強化で肉弾戦闘までこなすハイブリットな遠近両用タイプだ。多分これ、スタッフも不憫(ふびん)に感じてたんだろうな」
「ねぇ、ちょっと……? 今ステータス画面でその〈炎術師〉ってやつのテキスト読んでたら、食人習慣があるとか書かれてるんだけど」

 橋本が薄気味悪そうに頬を引き()らせて尋ねてきた。

「うんむ。記念すべき第1作目ではダイレクトではないものの、そういう描写がきっちり盛り込まれていたのだ」
「うっひぇ……」
「ちなみに彼らは炎の呪術を扱う際、人間の頭蓋骨(すがいこつ)を模倣した触媒(しょくばい)を用いる。さらに死別した近親者や力のある者を〝もぐもぐ〟する事が、彼ら流の葬儀というか(とむら)いの方法だ。それによって死者の魂が安らいだり、自分達が力を得ると信じられているので……まあ、そういう設定があれだったんだろうな」
「え? じゃあ、ちょっと待って……もしかして、その髑髏風(どくろチック)なアート作品の数々は……?」

 恭弥が震える指先で志緒が身に纏うその装飾品を示す。

「ああ、お袋だ」

 腰や肩に張り付いている髑髏の面を指差し、しれっとぬかす志緒。

「こっちが親父で、こっちが爺ちゃんだったか」

 途端に志緒から距離を取る一同。

「心配するな、恭弥。お前がもし死んだら、ちゃんと〝俺達の形式〟に(のっと)ってやるから」
「や、やめて……」
「遠慮するなよ」
「――冗談でもキツイって!」

 逃げようとする恭弥の肩を太い腕でがっちりと捕らえ、その青ざめた頬をさすさすと撫でる。
 ネタに走るつもりは決して無かった志緒だが、ここまでくればもう乗ってやるしかないという開き直りの境地であった。

 そんなで、色々と騒ぎ立てた後――

「というか皆、ほとんど予備知識なくゲームしてる感じか?」

 増山が、全員に向けて問い掛けた。

「うーん、説明書はちらっと流し読みしたんだけどな。情報量が多すぎて……」
「俺も俺も。マジ分厚すぎて読む気失せたかんね」

 皆ほとんど、そのような感じで曖昧な笑みを(こぼ)す。
 正面からゲームに向き合うコアユーザーはこの中で増山だけらしい。

「なんだなんだー? まあ、そんじゃあ、ついでだからこのゲームの基本的なシステムも俺が解説しておくかな」
「うっわー、知識を披露したくしょうがないって感じ。キモっ」
「――なっ!? BoDCシリーズはハードなゲーマー向けで、ライトユーザーにとってはちょい不親切な部分が多いから親切で教えとこうという俺の優しさを、そんな濁った眼でしかみれないお前の感性のがキモイわ!」 
「――はぁっ!?」
「お二人さん、抑えて抑えて」

 ()突き合う程に顔を近づけて牙を剥く二人を橋本が仕方がないという風にあやす。

「あれっしょ? ぶっちゃけ、ネットでもマゾゲーマゾゲーって連呼されてるんっしょ? 何も知らずに痛い目見た初心者が、書き込みまくったり呟きまくったりでグチりまくってる感じなんよね」
「うむ。香坂の言う通りで、その所為でクソゲー呼ばわりされる始末だ。――全く以って嘆かわしい事にな!」

 テーブルをダンッと叩いて、増山の鼻息は荒い。

「そもそもブレドンって、MMO向けの題材じゃないよな」
「その通りだ、藤堂。そもそもからして、BoDCはFPAG(ファーストパーソンアクションゲーム)という直感的なジャンルなのだ。典型的なシステムにガチガチに縛られたゲーム類とは一線を画すものだぜ。それを理解できずに、ヌルゲーマーどもが好き勝手言いやがってぇ……!!」
「落ち着けー、増山? どす黒いオーラが出てるぞー?」
「BoDCの長所とは! まさにこの一人称視点で繰り広げられる完成度の高い世界そのもの! そしてその舞台装置にこそあるのだ! 無論ゲームであるからして、システム的に払拭(ふっしょく)できない部分は多々あった。しかしそれを感じさせない造り込みと怒涛(どとう)のストーリー演出が評価され、ここまでのビックタイトルへと昇り詰めたのだ! シリーズを重ねる毎にグラフィックは元より、その統合性をも進化させてきた! そして今回、それをこのACSという奇跡のデバイスによって、ゲームそのものを虚構でありながら現実と何ら遜色(そんしょく)ない精度で再現させた――この一事(いちじ)を以ってしても、途轍もない価値を有しているもので! 決して! クソゲーなのではぬぅわいのだ!!」
「うんうん。ブレドンは凄い凄い」
「あぁ!! ――凄いとも!! BoDC最高ッ!! ロックビルソフトワークス最高ゥッ!! フゥォォォーッ!!」

 拳を高々と突き上げ、もうかなり振り切れてる状態の増山。

「じゃあブレドンが凄いのは分かったから、今作の注意点とか教えてくれるかなー?」
「はぁっ……はぁ……。うむ、ではその話に移ろう」

 恭弥の促しに、メガネをクイッとして切り替えを済ます。

「まずはっきりと言っておくが、今作にはRPG的なレベルアップ要素はない。一つの例外を除いてな」
「うっそマジで?!」
「そうだな、香坂、ゲーム的に例えば物理攻撃力を上げるためにどうしたら良いと思う?」
「そりゃー、あれっしょ? モンスター倒して? レベルを上げて? 強い武器を買うって事っしょ?」
「そうだよな。――しかし残念っ! 基本的にモンスターを倒したぐらいでは大して強くなれません! また、伝説級の武器が手に入っても単純な物理威力は市販の物と大差ありませんので!」
「それマジで言ってんの? じゃあ、どうやって強い敵を倒すんよ?」
「まさにそこだ。では今度は格闘技を習ってる奥崎に訊く。現実に変換してみて――強い相手を倒す為、攻撃力を上げるにはどうしたらいい?」
「鍛錬に決まってる。膂力(りょりょく)をつけて、一撃の重さを(かさ)増やす。もしくは、熟達して急所を的確に狙えるようする」
「そうらしいな。――はい! 今作ではその理論が適用されておりまーす!」
「ええっ!? 何だそれ……!?」

 素っ頓狂な声を一同が上げる。

「え? え? 何? つまり筋力のパラメータを上げたかったら、筋トレしなきゃいけないん?」
「イエス!」
「うっそだろ――それ!?」
「いやまあ、現実世界で筋トレしてこいって話じゃなくてだな。この世界においても、各種のパラメータを上げる作業はほぼ現実とリンクした手法でなきゃ上がらないって訳なんだ」
「じゃあ頭良くするためにはゲームの中で勉強して、足早くなるにはゲームの中で走らなきゃダメって事……?」
「何それ……? バカみたい」

 瑞貴と木ノ下が呆気に取られた顔を突き合わせている。

「魔術や法術などのスキルなんかも似たようなもんだ。これらは術を理解するための勉強に加え、使用していく程その熟練度が上昇していく。強力な技を繰り出す為には、これらをそうやって極めなきゃならないんだぜ。スキルチャートとして派生していくからな」
「結局、特訓しなきゃダメなのね」
「だがさっきもちょろっと言ったが、例外が一つあるんだよ。(およ)そレベルアップ的なシステムを有する例外がな」
「それって〈気魂剥離(アウラティア)〉システムってやつか?」
「おおおっ!? ――奥崎ぃっ! 知ってるのか――お前!? エライ! エライぞぉぉーっ!!」
「PVで紹介してたからな」
「うむ! お前にはどうやら俺と同じ素養があるらしいな!」
「嬉しくねぇよ」
「シリーズを通して〈気魂(アウラ)〉と呼ばれる生命エネルギーがこのアルドヘイムには存在していているんだ。あらゆる生物は死ぬ間際、これらを霧散させて世界に還元していくという設定なのだが、俺達クリスタリアンたるプレイヤーはだな、このアウラが霧散される瞬間、少量ながら自身に取り込む事が可能だ」
「前作まではそれが経験値の代わりでレベルアップできてたっしょ? 今回はから違くなったん?」
「いや、そのシステム自体は一緒なんだが、言うなれば、その振り幅が極端に狭くなったという所だろう」
「わっかんねー。どゆことぉ?」
「アウラの輝き――即ちアウラ量によって変わるのは、スキルの習得速度とその基本威力、そして生命力そのものに留められているんだ。ここで言う生命力とは、所謂HPの事を指すんじゃないぞ。怪我の治りが早くなったり、抵抗力がついたり――と、まあそんな程度だ」 
「普通に有益じゃねぇのか」
「確かにそうだ。だがここで履き違えてはいけない事は、結局の所、ゲームとしてはそれらは然したる要素ではないという事。アウラボーナスによってどんなに高威力な術を覚え、使えるようになろうとも、後ろからグサリと来られれば簡単にやられちまうんだぜ」
「つまり現実的尺度で致命傷を負えば、そのアウラとやらをカンストして溜め込んでいたとしても無価値って事か」

 得心した志緒が増山の言いたいであろう部分を引き継ぐ。

「この超がつく程の現実的なゲームシステムは全てに適用されているんだ。どんなに鍛えても心臓等の急所を貫かれりゃプレイヤーは死ぬし、逆に強力なモンスターだって弱点を攻撃できる手立てさえありゃ一撃で倒せる。それ故に、レベルという概念は捨て去るべきなんだ。例えるなら、油断して急所にでも噛み付かれりゃ、レベル99の主人公だってレベル1の雑魚モンスターに負ける世界。それが今作のBoDCさ」
「でもそんなに簡単に死ぬんじゃ、ゲームとして面白みがないじゃない」
「わかってないなぁ、宮歩。そのスリルこそを楽しむべきだぜ」
「それってアンタがドMなだけでしょ」
「失敬な……! そもそも、死にはするけどそれでゲームオーバーって訳じゃないんだよ」
「あ、それなら俺も知ってる。俺達ていうか、プレイヤー達はこの世界では不死なんだっけ?」

 恭弥が何気なく口を挟む。

「正確には死なないのではなく、死んでも簡単に生き返る。いや、生まれ変われるって方が正しいか」
「そうなの?」
「NPCがさ、さんざん俺達の事を青水晶の住人(クリスタリアン)って呼んでるだろ。俺達は死んだとしてもクリスタルに転送されて戻ってくるんだ」
「なーんだ。じゃあスリルなんて存在しないじゃない」
「ふっふっふ。――無論えげつないペナルティがあるんだよお! ズバリ! 死んだら体内に貯めこまれたアウラは消えてなくなる! さらにその場に所持金や装備品などの全てのアイテムを落っことすのだ!」
「……何それ?」
「死んで戻って来れるのは初期化された己の肉体のみ! 超レアな装備や大金を身に付けていた場合に死んでみろ? ――憤死する事は必至だぜぇ……! 急いで死んだ場所に戻ってみても、そこはもう荒らされた後。クックックック……あの絶望感といったらよう……」
「これ、ブレドンシリーズのお約束パティーンなんよ」

 増山の隣で香坂も何故だか得意げにそう漏らす。

「ま、ゲーム中に留意すべきはそんな所だな。お次はちょいと、このBoDCの世界観的な物を解説しようか。えーっと、この中でシリーズをプレイした事あるのは香坂だけか?」
「はいはーい。マジであれね、たっぷり洗礼を受けたんよ」
「それ以外は初って事みたいだから、ちょくら語らして貰うわ」
「既に長々と語りまくってんじゃない」
「まずはアルドヘイムの創世神話、第一期から――『かつて世界は、無明の闇に包まれていた。全てが渾然(こんぜん)一体となっている闇、そこに一条の光が(もたら)される。明暗を(へだ)てるように、光の権現たる太陽神ヘクテグラウスが誕生した。そして世界は色を持ち、形を成した。だが余りに強すぎるヘクテグラスのその光は、あらゆる物を焼き尽くした。そこでヘクテグラウスの妻である女神カルーヌは大気となりて世界を優しく覆った。空気となったカルーヌは風になり、そして水となり、その(かいな)の中で命は誕生した』――と、このように世界は始まり、やがて多様に派生した生物の中から、竜族と巨人族との長い争いの歴史が始まる。これが第二期とされていて……――」

 どうも「語らしてもらう」のそのレベルが、今までとは違ったらしい。
 増山のその口からは際限なく言葉が流れ出してくる。

「始まった……ほんっとバカ幸輝」
















 結局、増山のそのとんでもなく長大な架空歴史講義に最後まで付き合わされ、ようやくと開放されて戻ってくる。

 そして自室のベッドの上にて、志緒は長い感嘆の余韻に(ひた)っていた。
 確かにとんでもない体験だった。
 こんなものを開発したという人達に、素直な賛辞を送りたい程。 

 そんな事を考えつつ、ベッドから身を起こそうとした一瞬、ひどい頭痛に襲われた。
 思わず足元がふらついて、床に置いてあった装置を結構な勢いで蹴飛ばす。
 ガシャンと嫌な音を立てて、装置の一つが壁にぶつかって横倒れになる。

「やっべ……」

 転がったその装置を慌てて確認してみるが、とくに外傷はなさそうだ。

 しかし、なんと言っても最新技術の詰まった精密機器である。
 本当に問題はないか、もう一度デバイスを起動させてみて、その嫌な予感が的中している事を知った。
 ヘッドッセットの音声案内から『デバイスの一つが正しくセットアップされていません』というアナウンスが流れ、ゲームが始まらない状態。

 説明書や公式サイトのFAQを照らし合わせて、何とか自分で解決できないかと試みたも無駄だった。

「ゲーム初日で修理コースか」

 どう足掻(あが)いても自己解決はできなさそうで、思わず自棄(やけ)になって装置を放り出す。
 責任の所在は自分にしかない訳だから仕方がない。

 それでも修理となれば数日は返ってこないだろうから、出来れば自力で何とかしたかった。
 ベッドに倒れこみながら、こういう時、知識のある人間が身近にいないかと都合良く考えてしまう。
 増山はゲームオタクであって、電子機器への専門知識があるわけじゃない。

 他に誰か居なかったかと模索し、一人思い当たる。

 ごくごく近くに天才とまで呼ばれた電子工学の専門家がいた。
 無論、それは兄の克司である。

 志緒は長く思い悩んだ。
 しかし、これが会話をするきっかけでもあり、気付かぬ内に拡がっていた兄との溝を少しでも埋める手立てになりはしないかとも考えてしまうのだ。

 幾許(いくばく)かの躊躇(ためら)いの後、それでも思い切って行動に移す。


「兄貴……ちょっといいか?」

 部屋の扉をノックして声を掛けるも反応はまるでなかった。
 この時間、克司はまだ眠らないだろうから部屋には居る筈。

「入るけど、いいか?」

 やはり返事はない。
 だが一呼吸置いた後、思い切って部屋の扉を開け入る。

 部屋の中、確かに克司は居た。
 PCデスクに座り、何かのレポートのような紙束と画面とを()っと見比べている。

「兄貴、悪いんだけど、これ診て欲しいんだ」

 ようやく、克司がゆっくりと振り向いた。
 覇気のない目が志緒を捉える。

「なんかその、ぞんざいに扱っちまってさ。兄貴ならこれ、直せたり……できねぇかな?」

 志緒がACSデバイスの一部を見せたその時だ。
 まるで稲妻にでも打たれたように克司は椅子から立ち上がっていた。

「お前……? それ、どうした……?」

 少し(かす)れて途切れ途切れであったが、(ひさ)しく聞いてなかった兄の声が志緒の耳に届く。

「テスターってのを募集してるらしくてさ。まあ、それでその、タダで手に入るからって友達に誘われて……」

 克司の顔色が奇妙であった。
 目は開かれ、頬骨が出るほど痩せこけたその顔に、何かの強い感情が再来したかのようだ。

「無理そうなら、構わねぇんだけど……もしかしたら、兄貴なら修理できちまうかもって思ったんだ」

 まるで身体が()び付いているかのような不自然な動きで近付き、克司は志緒の手からそのデバイスをもぎ取った。
 そして穴が空くほどに強く、それを見つめている。

 その鬼気迫る様子に、志緒もただ黙して克司の反応を待った。

 だが数刻の後、克司はデバイスを志緒の手に押し付けると、PCデスクにまで戻って背を向けてしまう。

「兄貴?」
「……出てけ」
「――え?」
「出ていけ」

 機械的な冷たい声色で、克司はそう繰り返した。
 それだけで志緒の浅はかなその算段は水泡になったと知る。

「邪魔して悪かった」

 消沈した様子を隠す事も出来ず、志緒は自室へと戻った。
 装置が壊れた事も含め、やる方なく意気を喪失していた志緒は、ただもうベッドで横になっていた。


 そんな彼の部屋の扉が、前触れもなくカチャリと開いた。
 半開きになったその隙間から、幽霊もあわやというほどの白い顔が覗いた。

 克司であった。
 幽鬼のようだった顔が一層、酷くなっている。

「……部品」
「――え?」
「明日、電気街で部品買ってこい。そうしたら、修理してやる……」

 志緒はベッドから跳び上がっていた。

「ほんとに? わかった。明日、朝早くから買いに行ってくる」
「パーツのリストと金だ。そこらで売ってる様な代物ばかりじゃないから……根気強く店を回って集めろ」

 そう言って克司は紙の切れ端と万札を数枚、志緒に手渡す。

「金まで?」
「高価なパーツ買う程の金、お前どうせ持ってないだろ」
「確かにそうだけどよ……」
「あとお前のACS、一旦全部預かるからこっちよこせ」
「壊れてんのはこいつだけだぜ?」
「……いいから」
「まあ、そう言うなら」

 努めて無感情ではあったが、克司の双眸(そうぼう)には何かの強い意志が見え隠れする。
 志緒は言われた通り、ACSデバイスの装置をまとめて渡す。

「……そのブレスレット型のもだ」

 腕に()めたままだったその幾何学模様のガラス細工まで、全てを克司に明け渡した。

 その際、克司のその痩せ細った腕がひどく印象に残る。

 思えばいつの間にか兄である克司よりも自分は背が高くなっていた。背だけではない、その身体付きも克司よりずっと立派になった。
 自身のその太く筋肉質な二の腕と、克司の痩せ細ったそれとの比較が無性に切なく見える。
 なにせ、克司が引き篭もって姿を見せなくなったのが4,5年前だ。
 成長期にある志緒が気付かぬ内に追い越してしまうのは当然の事だったかもしれない。

 それでもやはり志緒にとって克司という兄の存在は大きい。
 そしてまた、その憧憬(しょうけい)色褪(いろあ)せる事もない。
 特に今日はその感情が強く思い起こされていた。

 ――ひどく懐かしく。