明けた空から太陽が真下に街を照らす。

 その街――エクトリアはひどく殺風景に様変わりしていた。
 元から大して見所もない場所だったが、それでも牧歌的な温かみがあった。しかし今、家屋の多くが魔物共に破壊され、あるいは延焼を防ぐために打ち壊され、その寒々とした様相を見せている。

 それでもこの街はいずれ復興される。
 街の住人が根こそぎ居なくなってしまった訳ではない。
 犠牲は払ったが、けれども住人の多くが生き残った。
 (しば)らくすれば帝都から応援も駆けつけよう。

 痛々しい様相の街中を一人、志緒は杖を突きながら歩いていた。
 右腕は肩から吊るし、まだ痛々しい傷跡が見るに耐えないが、それでもその表情は澄んでいた。
 無謀だ、無茶だと、そう理解していた。
 だというのにそれを成し遂げてみれば、都合良くも充実感やら達成感が身に()みる。
 ただ、やはり今のこの街の様相には含む所もある。
 だからどこか煩雑とした顔でもあったろう。

 実際まだ多くの衛兵が、凄惨だったあの戦闘の後始末を行っていた。

 そんな中で志緒は、目をひく鮮やかな軍服姿の一団を見つける。
 酉谷を筆頭に路地や家屋から何かを運び出して、荷車へと乗せている彼らだ。
 布に包まれた大きなそれは、物であって物ではないように荷台へ丁重に運ばれ、そして規則正しく安置される。

「やあ、シオくん。ケガの具合は?」

 近付く志緒に気が付き、酉谷はまたあの柔らかい笑みで声を掛ける。

「ああ、お陰さんで」
「そうか。幸いな事だ」
「それって、もしかしてよ……」
「……うん」

 荷台に乗せられたそれらからは、布を()して(にじ)んでいるものがある。色汚れた液体――血だ。
 その形状は何より、いくつかは布が(わず)かに(はだ)け、内部にある物の片鱗を見せていた。
 そこからは見えるのは彼らと同じ種類の軍服の端であった。

 そう、それらは〈暁天の騎士団〉から出た犠牲者の(むくろ)だろう。
 バーグの言では彼らも全勢力を以って事にあたっていた。

「……今この世界で、その行為が正しく機能するかは分からない。けれども、彼らの安息の為に……〝祈り〟たいという気持ちは……どうしても、掻き消せないな」

 言葉の内容の割に無感情にそう述べる酉谷。
 行き過ぎた感情は、得てして人をそういう風に見せてしまう。
 それを知っている志緒だ。

 今また担架によって一つの遺体が運ばれてきた。
 それを荷台の空いた場所に移そうとする際、するりと布が()がれ落ちてしまう。
 それにより、志緒はその亡骸(なきがら)と対面を果たす。

 知っている顔だった。
 あの豪邸、騎士団の支部にて顔を合わせた名も知らない少女。
 志緒と同世代だと思われる、けれど短いおさげがどこか幼くも見せていた可憐なあの彼女が、見るも無残に虚空(こくう)(あお)いでいる。

 志緒はその眉間に深い縦(じわ)を刻んで、しかし、決してそこから目は背けない。

 自分達は助かった。
 だが当然の話、助からなかった人間だっている。
 それこそ志緒は全知全能の神様のつもりはない。また完全無欠な英雄のつもりでもない。
 それでも、助けられなかった、救えなかった――そういう言葉が重く、内心の奥底に鳴り響く。

 酉谷が(つつし)み深く、落ちた布を拾い上げては再びそれに被せた。

「なんだか本当に、この世界で命を落とす事が現実世界への帰還の一途(いっと)である事を切に願ってしまうよ」

 同意を求める程にはっきりとはせず、しかしその願いのような心情は容易く()み取れる。

「この子の名前は?」

 (しぼ)り出すように、志緒は低く(かす)れた声でそう漏らす。

「それは君が知る必要のない事だ」

 しかし突き放すような冷淡さで酉谷がそう言った。
 驚きに顔を上げ、志緒は正面の相手を(うかが)い見た。
 やはり彼はどこにも感情の機微を生やさないような――そんな表情だった。

「彼女の〝死〟の責任は僕にある。君がそれ以上、その肩を重くする必要はない」
「…………」
「せめて名前だけでもその胸に刻もうとしたんだね。けれども、それは要らぬお節介というものだよ。この子の〝死〟を背負うべきは僕だ」

 言葉が出なかった。
 酉谷の話すその内容にではない。
 色を亡くしたような(おもて)に宿る、その凄絶な何かにだ。

 おそらくと、彼はこれ一度の話ではないのだろう。
 何度もそんな事を経験してきたからこそ出来あがってしまった、そういう表情であるのかもしれない。

「酉谷さん、あんたこそ色んなモンを背負い過ぎてるんじゃないか」
「……どうだろうね」

 表面だけで、酉谷は薄く笑んだ。
 志緒は()っとそれを見つめ続ける。
 何とも形容できないその無言の内に、しかし二人はどこか通ずるものを垣間見ていた気がする。

 酉谷――彼は、救えなかった、守れなかった側の、志緒なのかもしれない。

 そう、この世界で光を当てて貰えなかったもう一人の自分だ。
 時も、空気も、全てが全て、都合良くは流れてはくれない。
 その(いびつ)に足を捕られる人間の方が多くいる。
 現実とはそういうものだ。

 この第二の現実(アルドヘイム)でも、それは同じだ。

 今回の件は腐蝕の王の復活の、その始まりに過ぎない。
 この先、同じような――もしくはそれ以上の困難が待ち構えていたとして、自分はどこまで「自分」を貫けるのだろう。

 志緒はふと視線を外して荒れ果てた通りの先を眺める。
 遠く、平原が続く手前、その丘の一つに、誰かの墓標の(ごと)く一振りの剣が地面に刺さっている。
 戦って散っていったもの。
 その持ち主は果たして自身の本懐(ほんかい)()げられたのだろうか。
 もう知る由もないが、それでもそれを願わずにはいられない。

 だが直ぐにも、いいや――と、志緒は思い改めた。

 誰に祈るでも、願うでも、それでは届かない。
 全知全能の誰にも、完全無欠の彼にも、志緒はなるつもりはない。――そして(すが)るつもりもない。
 だから、もっと確実な手段を持ち得なければならない。
 姑息(こそく)で運任せなそれでは駄目なのだ。
 大きな流れから逸脱しようとも、何重にも()かれたその手管(てくだ)()ち得る事が可能な、そんな何かを手に入れる必要があった。

 志緒は一つの事実を再認識する。

 それはあの凄惨(せいさん)な夜の出来事だ。
 彼らに残された唯一の希望とでも呼べる代物。
 設定されたシステムという名の武器――即ち〈気魂剥離(アウラティア)〉現象。

 あの瞬間のエクトリアではあまりにも多くの生命が散っていった。
 モンスターも、アルドランも、そしてかつてはプレイヤーと呼ばれた彼らもだ。
 それら全ての気魂(アウラ)を志緒達は吸収していた。――それ故の絶大なスキルの威力と成長速度。

 死があまりにも現実的で等価値であるこの世界の理(ゲームシステム)
 にも拘らず、彼らはその(うち)に宿す事ができるのだ。
 膨大で限界がないかのようなその魂の力を。

 これかと、志緒は得心する。
 これこそが〝神〟である苑宮賢一郎が残した道筋であるのかと、強く確信する。

 故に志緒は、何者にも消せはしない激しい炎をその瞳に宿していた。
 たとえ主役になれない己であっても、そんな道理さえ(くつがえ)す、巨大で確実でもっと真に迫ったもの。
 目的を果たすための〝力〟。
 
 手に入れなければならなかった。
 その(ルール)を踏まえ、それでもその(ロール)を超え、守り抜かねばならないものの為に。





























 街の南端、渓谷の入り口にある崩れかけの宿屋。
 その荒れ放題の一室、ぶちまけられた荷物袋の奥で青水晶を原料とした特殊な腕輪が光っていた。

 まるで長い眠りから(ようや)く目覚めたかのように、その腕輪は刻まれた紋様に沿って光の筋をこれでもかと宿す。

 この世界に数多く存在したそれら、今はもうどこそこに放り捨てられて朽ちているであろうそれら。
 だがこの持ち主は捨てるに捨て切れず、荷物袋の奥に放り込んでいた。 

 だから、その持ち主とてまるで知らない。

 腕輪から光が投射され、何もない空間にウィンドウが開く。
 開かれたコンソール画面が自動でスクロールしていき、この腕輪の持ち主に()てられた一つのメッセージが表示された。


 件名のないそれには、こう記されていた。

 ――
 まだお前の意識が消えていない事を願ってこのメッセージを託す
 調整にかなり手間取ってしまったがA&ISのデータバンクからお前をサルベージできた
 今ならログアウトできるはずだ
 戻って来い
 母さん達に無事な姿を見せてやれ
 ――

 この世界で唯一の例外として、自身の腕輪がかつての機能を取り戻した事を――
 志緒はまだ知らない。











 ホライゾンブルー・パラノイア
 第一部 「宿命の灯 --Rule of Role--」 【完】