(コンコン)

「どうぞ」
中から返ってくる低めのイケボ。オレはドキドキしながらドアを開けた。隣には同期の松木さんもいる。彼女も緊張しているようだ。
「「失礼します」」

室内には卒論の準備なのかノートパソコンを一心不乱に叩いている先輩が数人いた。その奥、透明なボードの向こうにあららぎ教授はいた。

「教授、昨日はご心配をお掛けしてすみませんでした」
おそるおそる声を掛けると、教授は手元の資料から目を上げて黒縁眼鏡をクイッとした。似合い過ぎるその仕草にオレはちょっとビビる。

隣の松木さんはと言えば、もうすっかり室内の資料や先輩方の研究内容に目をキョロキョロさせて夢中になっていた。さすがだ。

「大事がなくて何よりだった。目を閉じていた君を2回生が優しく揺り起こすシーンに、次回作への意欲が滾っ…いやいや、無事に帰宅できたと連絡があってホッとしたよ」
「(なんか今心の声が聞こえたような気がしたけど)そうなんです、大丈夫ですって言ったんですけど、先輩が家まで送ってくれました。オレの不注意なのに」
「出合いがしらの衝突というのは、いつの時代でもラッキーハプニングなのだから気にしない事だ。それにしても1回生が研究室に用事というのはそれだけかね?」

あ、そうだ。今日は松木さんが教授のところへ質問しに行きたいから付いてきてくれる?と言われて、昨日の報告も兼ねて一緒に来ただけなんだ。だけど実はオレも気になってた。研究室って普段は何をやってるんだろう…。

オフホワイトで優しげにまとめられた室内。先輩たちが作業しているテーブルの上にはオシャレな観葉植物。来客用にしては小さい2人掛けのソファ、なぜかイエスノー枕(なぜ?)。本棚にはきちんと整理された資料ファイルの数々。すべて教授の可愛らしい手書きの背表紙だ。

教授専用の本棚は、皇先生の作品でぎっしりだ。ちらりと松木さんを見ると、祈るように指を組んで目がハートになってた。オレんちにも全巻揃うのは珍しい貴重なマンガがあるから、気持ちは分かる。

「松木さん、聞きたいことあるんでしょ?」
本来の目的を忘れてる松木さんに小声で諭すと、ハッと意識を取り戻した松木さんが、幾分上ずった調子で教授に質問を投げかけた。

「あ、そうでした。教授は1回目の講義の時に、こんな事をおっしゃっていましたが」

『BL界では、体格についていろいろなパターンが展開されている。受けの方が体格が良い、同じくらいの身長体型、どちらもマッチョなどがそうだ。こちらについては現在私のゼミで3回生が実証研究中である』

松木さんがメタっぽい感じで説明をした理由は良く分からないが、確かに教授はそんな事を言っていた。

「3回生の先輩方が実証研究という事は、その、あの、タチの先輩とウケの先輩の体格差CPをこの目で見られる、と、いう、こと、です、かッッ!!」
「松木さん大丈夫?」
「あ、ごめんなさい。つい想像したら取り乱しちゃった」

息を荒げる松木さんに、あららぎ教授は軽く微笑みながらゆっくり頷いた。

「その通り。今3回生はラウンジでランチデート中だ。検証の上手くいっている生徒、試行錯誤中の生徒、皆相手の気持ちをより理解するべく努力をしているところだから、そっと応援してあげてほしい」
「ハィィィィィッ!松木安子、逝ってきます!!」

松木さん、「行く」の字が違うよ!
オレはあららぎ教授にペコリとお辞儀をすると、物凄い勢いで部屋を出て行った松木さんを追いかけた。