花火の翌日、朝一で橋の下に花火を片付けに行って、そのまま双葉を呼んで双葉の自転車の切れたチェーンを自転車屋まで直しに行った。双葉とはそこで別れて、家に帰ると熱に浮かされるように脚本に向かった。
 双葉と過ごした一日は胸の中に色々な種を残していた。その種が枯れてしまう前に芽吹かせようと脚本に立ち向かう。
 それはまるで、過去の自分との会話だった。雄太から恋愛物の脚本を書くように頼まれ、色々と勉強しながらその時点で書けるだけのものを書いたつもりだ。
 その時の努力を否定はしない。だけど、今その脚本を見ると、甘い部分があちらこちらと目に入る。本当は丸ごと直してしまいたかったけど、文化祭も近づいて稽古も進んでいる今、そこまでするわけにはいかない。
 だから修正するのは雄太と約束したクライマックスシーンと、修正に連なって辻褄が合わなくなる部分だけ。双葉と雄太以外に影響が出ないようにしつつ、双葉が演じるヒロインのトラウマにクローズアップする。

 そんな風に食事も睡眠も忘れる勢いで一日中脚本を直して、日付が変わる前に修正版の脚本を雄太と双葉に送った。
 その結果、僕は風邪を引いてぶっ倒れた。
 熱に浮かされるようにというか、単純に熱で意識が朦朧としていたのかもしれない。
 とにかく、何年かぶりに風邪なんてものをひいて三日間学校を休んだ。双葉まで体調を崩していたらどうしようかと思ったけど、幸い双葉は元気だったようで僕を心配するメッセージを送ってくれていた。
 土日も含めて五日ぶりの通学。まだちょっとだるさは残っていたけど、授業を終えて演劇部の稽古場へと向かう。

「おっ、復活したか」
「ごめん。迷惑かけた」

 稽古場に入った僕を迎えたのは、先週と同じく雄太だった。あの日と同じように舞台の上では双葉が稽古をしている最中だった。双葉の周りの演者からすると直したシーンの一つかもしれない。

「いや、あの脚本送られたら何も言えねえよ」
「雄太の眼鏡に適ったなら、風邪ひいた甲斐もあったかな」

 僕の中では元の脚本より良くなったつもりだったけど、それは僕一人の主観に過ぎない。だけど、雄太が認めてくれたのなら、少なくとも僕の独りよがりだったわけではなくなる。体調崩してでも脚本を直しきったのが報われた気がした。

「でも、結構ガラッと変わっててビックリしたな。何かきっかけでもあったのか?」

 雄太が答えに悩む問いを投げかけてくる。何かあったかどうかでいえば、あったのは間違いない。だけど、雄太は文化祭での公演の後に双葉に告白するつもりで、そんな雄太に対して双葉と二人で花火大会に行ったなんて言えない。まして、橋の下での出来事は。
 僕が答えに悩んでいるうちに雄太が近づいてきて、反対方向を向きながら隣に並ぶような状態になる。そのまま雄太が僕の耳元に顔を寄せた。

「先週末の花火大会でさ。拓真と双葉が二人で歩いてたのを見たって噂を聞いたんだけど、それってマジ?」

 息が詰まる。隣の雄太を見ることができなかった。
 その可能性は考えなかったわけではないけど、あれだけ人手で、さらには打ち上げ前に中止になった花火大会で知り合いに見られることなんてないと油断していた。

「その感じだと、マジなんだな」

 僕の沈黙を雄太は肯定と受け取ったらしい。今更否定しても信じてもらえないだろう。
 別に今の時点で雄太と双葉が付き合っているわけではないけど、これから告白すると宣言している相手と花火大会に行ったなんて、心中穏やかではないと思う。
 だけど、結果論かもしれないけど、あの花火大会は僕にとって必要なことだった。

「どんなことをしてでも、納得のいく脚本を書きたかった」

 双葉から花火大会を見に行く提案があった時、それで本当に納得できる脚本を書ける確証があったわけではなかった。それでも、手探りの状態で唯一の手掛かりだった。ダメなら仕方ないと思ったけど、あの鮮烈な経験は確かに脚本の中に息づいている。
 ハッと息を呑む音と、小さく息をつく音が連続して聞こえた。

「別に、双葉と付き合ってるとかってわけじゃないんだな?」
「そりゃあね。双葉からも演技ってハッキリ言われてるし」

 双葉だって、脚本のためだって僕を誘う時にはっきりと言っていた。だから、僕にとっても双葉にとってもあの花火大会は今度の文化祭の公演のため。それだけだ。元々の脚本に納得がいってなくて、それをどうにかしたかったという気持ちには一切偽りはない。

「じゃあ、仕方ねえか」

 隣から聞こえてきたのはあっけらかんとした雄太の声だった。
 その声に横を向くと、雄太はちょっと困ったような顔で笑っている。

「……怒ってないの?」
「別に俺が頼んだのは、クライマックスのシーンを直そうってだけだしな。どんなふうに書いたとしても、俺には口出しできねえよ」

 もし逆の立場だったら、僕はここまで割り切って話すことができただろうか。
 雄太の表情は適当なことを言っているようには見えなかったし、怒りを我慢している感じでもなかった。
 本当に敵わない。演劇を第一に考える雄太が引っ張ってるから、うちの演劇部は優秀賞がとれるまでになれたんだと改めて思い知らされる。

「実は付き合ってましたってことなら話は別だけどさ。そうじゃないなら、俺にだって勝ち目はあるんだろ?」

 勝ち目も何も、この前の花火大会は脚本を仕上げるために必要な双葉の演技だったわけだし。
 雄太が稽古の続く舞台に目を向ける。そこでは双葉が自分のトラウマを思い悩むシーンを演じていた。花火後に脚本を修正した部分だったけど、何の違和感もない完璧な演技だった。

「だから、文化祭までしっかり頼むぜ。拓真センセー」
「雄太まで。僕はセンセーなんかじゃ……」
「あの脚本見せられたら、文句なんて何もないんだよ。拓真センセー」

 言葉の途中で雄太の腕がグイっと僕の肩に回される。どこで鍛えているのかその腕は痛いくらいだったけど、もしかしたらこれが雄太の最大限のお咎めなのかもしれない。だから、今はその腕も言葉も受け入れる。

「絶対、いい劇にするぞ」

 勝気に笑った雄太の顔は自信に満ちていた。