二、瓢箪から駒

 その日は、母さんから再婚の話を聞かされた一ヶ月後の土曜日の夜だった。
「あおちゃん、この日空いている?」
リビングのカレンダーを指差し、母さんに聞かれて首を傾げる。
「彼と彼の息子さんと私達で、食事会をしたいらしいの」
母さんのその言葉に、ぼんやりとしていた『母さんの再婚』が本当の事なのだと実感させられてしまう。
「特に用事は無いから大丈夫だよ」
俺の返事を聞きながら、母さんはウキウキした顔でカレンダーに『食事会』とペンで記入している。
そんな母さんの背中を見ながら明日のお弁当の準備をしていると
「彼のうちはね、奥さんが息子さんを出産して亡くなってしまったらしいの。彼の息子さんって、家族団欒っていうのを知らないらしくてね。あおちゃんとなら、良い兄弟になれるような気がするの」
カレンダーを見つめ「私の勘は当たるのよ」なんて言いながら、母さんがぽつりと呟いた。
俺がお弁当の下準備でレンチンしていたブロッコリーを取り出していると
「彼の息子さん、爽やかなスポーツマンタイプのイケメンなのよ。一緒に暮らしたら、彼の分のお弁当も作ってあげてね」
母さんの中で、完全に俺も同居確定で苦笑いを返す。
そんな俺の背中を見つめながら、母さんはリビングのテーブルに座ると
「あおちゃんは、本当に良い息子に育ったわよね」
ポツリと背中越しに言われて、思わず振り向く。
「料理上手で、掃除洗濯なんでも出来ちゃう。いつお嫁さんに出しても、恥ずかしくないわね」
そう言って笑う母さんに
「母さん、俺は男だよ。お嫁に行くんじゃなくて、お嫁さんをもらうの」
夕飯の残りをお弁当に詰めながら答える俺に
「正直言って、そこに拘り無いのよね~」
ぽつりと呟かれてドキリとした。
「ねぇ、あおちゃん。お母さんに何か隠し事してない?」
突然そう言われて、思わず手にしていたお弁当箱を落としそうになる。
「隠し事ってなんだよ。そんなの無いよ」
必死に笑顔を作り、何とか誤魔化して部屋へと逃げ込んだ。
月明かりの中、勉強机の上にある綺麗にラッピングされたハンカチに目が留まり、そっと触れてみた。
俺が持ち主に返す為に、百均で綺麗なラッピング袋を買って入れてある。
だけど、ずっと返せずにいる思い出のハンカチだ。
 俺には、誰にも言えない秘密がある。
口に出したら最後、大切な人をいっぺんに失ってしまう大きな秘密だ。
「はぁ……」
一つ溜め息を吐き出し、月明かりが眩しくて窓を開けてベランダに出てみた。
見上げた空には、満月が静かに夜空を照らしている。
「翔さん……」
ポツリと呟いた名前に、胸の奥がチクリと痛む。
その時
「あれ? あおちゃん」
聞き覚えのある声が聞こえて、視線を下に落とした。
すると、ちょうど家に入ろうとしていた蒼ちゃんが手を振っているのが見えた。
俺の家と、幼馴染みの彰三とその兄の蒼ちゃんの家はご近所さんだ。
うちのマンションの通りを挟んだ反対側に、赤地家の家がある。
丁度、俺の部屋のベランダから赤地家の玄関前が見えるので、幼い頃はベランダから手を振っていたものだ。
我が家はマンションの五階にあり、ちょうど良い距離で交流が出来るのだ。
俺も蒼ちゃんに手を振り返すと
「葵? 葵がベランダに居るの?」
近所中に聞こえるような大きな声で、彰三が玄関から飛び出して来た。
色素の薄い色白の蒼ちゃんの隣で、対照的な健康優良児の日焼けした彰三が両手を大きく振っている。
赤地家の兄弟は、本当に兄弟なのか?と思うほどに対照的な容姿をしている。
長男の赤地蒼佑こと蒼ちゃんは、色素が薄く透けるような白い肌と、日の光に当たると金色に輝く薄茶色の髪の毛と瞳の色が似あう中性的な美貌をしている。
この世に美の神様が居るのなら、絶対に祝福のキスを受けたのだろうと思う程に奇麗なのだ。
特に最近の蒼ちゃんは、美貌に色気が加わって妖艶な美しさだ。
そんな事を考えて彰三と蒼ちゃんに手を振り返していると、車からゆっくりと出て来た見間違える筈の無い人物の姿を見つけた。
スラリと伸びた長い脚と、無駄の無い均整の取れた体躯で、立っているだけで絵になる。
きっと絵本の中の王子様って、こんな感じなのだろうと思ってしまう。
その人は蒼ちゃんと少し会話をした後、こちらへと視線を移した。
切れ長で奥二重の目と目が合った瞬間、思わず反射的に隠れてしまった。
ドキドキと高鳴る胸を押さえ、深呼吸をする。
(やっちゃった……)
自己嫌悪でその場に蹲り、頭を抱える。
「また、嫌われているって勘違いさせちゃうな……」
ポツリと呟いて、溜め息を吐いた。
会いたいけど、会うと気持ちを知られたくなくて避けてしまう。
矛盾した自分の感情に、どうにもならずにいた。