お盆中の休校期間が明けてみると、学校に来る生徒の数は少し減ったような気がする。図書室で交わされる私語の響き具合に、柚月は軽く耳を澄ませた。
 柚月の書いている脚本は大詰めを迎えている。演劇部に相談したところ、あとの展開も清沢君に任せるというので、休校期間が明けてすぐに図書室通いを再開した。早く仕上げて皆に見てもらわないと。柚月は少し焦りを感じている。

 けれど今日はなぜだか文章が書けない。焦っているせいだろうか。それとも暑さのせい。たしかに夜寝苦しくて、あまり眠れなかった。なんとなく頭の後ろらへんが重だるい。
 これが俗に言う「煮詰まる」というやつなのか。柚月はノートを閉じると、軽く伸びをして席を立った。

 二学期が始まってしまえば文化祭の準備だけに一日を費やすわけにもいかなくなってくる。各クラス共、大掛かりな装置は夏休み中に仕上げるのが常だ。早々に仕上がったクラス、思うように進まず夏休み後半も全員集合のクラス。文化祭に出し物のある部活動はそちらにも力を入れないといけないし、そうでない部活も秋の大会に向けてのんびりとはしていられないようだ。

 柚月は図書室を出て、校庭の見える渡り廊下をゆっくりと歩いていた。学校に来ている生徒が少なくなったと感じたのは、校庭の喧騒が少しだけ減ったからかもしれない。
 夏休み後半、大会を控えているサッカー部と陸上部は練習場所を変えたと養護教諭の先生が言っていた。
「怪我の多いスポーツは保護者が付き添わないといけないから、それはそれで大変だよね」

 前に保健室で会ったサッカー部のやつも、派手にやらかしていた。鼻血経験者の柚月からすれば大した怪我ではないけれど、本当に下向いて止まるのか半信半疑って感じだったなあいつ。
 柚月はあの日の光景を思い出して、少しだけ気持ちが上向いた。ありがとうの一言さえ、だれかと交わすことの少ない柚月だ。
 
 IQの高い柚月は、周りのクラスメイトに合わせるということが出来なかった。口数はどんどん減っていき、苦手な運動からも逃げているうちに、クラスに溶け込むという努力をしなくなっていて、この青南高校に来るまで、友達を作るという行為は諦めていた。父や母もそれを分かっていたのだと思う。
自分は、たぶんこの先も良好な人間関係というのはきっと構築出来ない。そんな風に気負っているせいか、人から言われるありがとうが印象に残っているのかもしれない。

 学食の自販機で紙パックのオレンジジュースを買い、椅子に座る。ストローを紙パックに刺そうとしたら、押さえていた場所が悪かったのか、中身が零れてしまった。
 テーブル用の布巾を取りに行こうと椅子から立ち上がった柚月に、布巾が差し出される。
「これだろ」
 手の主を見た。
「あ、鼻血の」
 思わず柚月は口に出してしまった。さっき思い出していたサッカー部のやつ。来室カードに名前は書いていたんだろうけれど、覚えていない。で、咄嗟に出たのが「鼻血の」。
「ひでぇな。まあ確かにそうなんだけどさ」
「ごめん」
「別にいいよ。それよりほら」

 促されてテーブルを拭く。オレンジジュースはまだ残っている。良かった。柚月がもう一度椅子に座ると、鼻血のやつも向かいの席に座った。
「鼻血じゃなくて晴太。おれは入江晴太。二組だよ。清沢は一組だよな」
「あ、ああ」

 なんだか落ち着かない気持ちだ。こんなにだれかと言葉のやりとりが続くなんて、おかしい。柚月はとりあえずオレンジジュースを啜った。