冬休み中、図書室は閉鎖される。夏休みと違って冬と春は日数も少ないし、三年生の図書部員が抜けて人手も足りない。顧問や司書の先生も何かと忙しくて、図書室開放にまでは手が回らないのだ。
 休み前に借りてしまおうと、図書室はいつになく混雑していた。柚月は貸し出し作業に追われ、ずっと自分を待っていた人影があることに、まだ気付いていない。

 最後の業務が終わり、ふうと一息つく。普段図書部の活動を休みがちな柚月は、少しでも挽回しようと他の部員の持ち場も引き受けて、久しぶりに頑張って仕事をしたという充実感、それと。
(疲れた……、あ)
 後ろに下げたはずの椅子に足を引っ掛けてしまった。転ぶ──。

「あっぶね。大丈夫か、柚月」
 とっさに両腕をしっかりと掴まれて、かろうじて柚月は後ろへ倒れずに済んだ。ガタン、と椅子だけが後ろへ転がった。
「あ、晴……、なんで」
「柚月が終わるの待ってた」
「うそ」
「ほんと」
 とりあえず座れ、と椅子に座らされた柚月は、まだ目の前に晴太がいるという事実がよく飲み込めていない。
「なんか飲むか?」
「あ、うん。鞄に……水筒が」
「おっけ」
 晴太が貸し出しカウンターの内側に入って、柚月の足元から鞄を引っ張り出す。水筒を手に取ると、「これか?」と柚月に手渡した。
「うん……ありがと」
「落ち着いたら、家まで送るよ。後ろ乗ってけ」
 
 だれか来たらすぐ降ろせよ、という柚月の心配をよそに、晴太は軽々とペダルを漕ぐ。サッカー部で鍛えた脚は伊達じゃないようだ。
「柚月こそ、しっかりつかまってろよ」
「お、おう……」
 夕闇迫る帰り道、二人のほかには誰もいない。もう少し晴太と一緒にいたい。そんな柚月の思いとは裏腹に、自転車は柚月の家に着いてしまった。

「晴太。うち寄ってけよ。ドーナツ、あるぞ」
 とっさに柚月の口から出たのは、下手くそな誘い文句。ドーナツで釣られるかっつの、パン食い競争じゃあるまいし。
「ドーナツ食う」
 釣られたよ、晴太の嬉しそうな笑顔に思わず柚月も笑う。良かった、気付かれてはいないみたいだ。俺が晴太を引き留めた理由。

 伯母さん達は用事で家を空けていた。ドーナツの皿を持って柚月が部屋に入ると、晴太は隅の方で所在なげにしている。柚月はその横に座り、皿を真ん中に置いた。
「何だよ、マンガでも読んでるかと思った」
「うん……」
「ほら、食えよ」
「いただきます」
 ドーナツを一口齧ると、晴太はそのドーナツをじっと見つめる。そこから先の言葉はない。
「晴太?」
「好きだ」
「……え?」
「好きだ」
「ドーナツ? 知ってるよ」
「違ぇよ」

 少しかさついた皮膚が柚月の唇に触れる。それは少し留まって、じきに離れた。
 自分の唇に何が起こったのかよく分からなかった柚月は、けれどまだ食べていないドーナツの甘さを唇に感じて、それを舐めて、晴太にキスをされたのだと知った。

「おれの好きは、こういう好きだ」
 そう言うと、晴太は堪え切れない思いを消化しようとするかのように、残りのドーナツを一気に頬張った。
 少し泣きそうな顔でドーナツを頬張る晴太の表情に、晴太も同じ好きを持っていたんだと柚月は確信する。嬉しかった。
だれにも言えないかもしれないけれど、二人の世界の中で、それは紛れもなく真実だ。

「ったく、リップクリームくらい塗れよな」
 無頓着な唇から柚月へと移された砂糖の粒は、再び晴太の唇に移される。
「俺の好きも、こういう好きだ」

 柚月の唇が離れると、そこにはぽかんとした晴太の顔があった。