柚月が来てくれるなんて思わなかったから、慌てた晴太は、思わず持っていたカレー皿を取り落としそうになる。
「ちょっとぉ入江君、ちゃんとやってね」
「ごめんごめん」
 クラスの女子に眉をひそめられ、晴太は何とか体勢を立て直した。

「いらっしゃいませ!」
 ひと際大きな声で呼びかければ、柚月はびっくりした顔で晴太を見つめたあと、顔を赤くして「おう」と小さく呟き、ふいっとそっぽを向いて案内された席へさっさと行ってしまった。
 可愛いな。そんな思いを抱いて晴太はいやいや、と否定する。だめだって。そういうのは、きっと。
「入江君、カレー! よそって。早く」
「あーはいはい」
 一瞬よぎった思いは忙しさに紛れてしまったけれど、晴太の確信は深まる。柚月への感情。その名前は。

「食いに来てくれてありがとな」
 給仕が一通り終わると、接客係の生徒が、カレーを食べているお客さんのところへ水を注ぎに回る。晴太も持ち場を離れて、柚月のいるテーブルへ水を持って行った。近くの椅子をずりずりと引っ張って、背もたれを支えにして逆向きに座る。
「ちょっと早めに着いたから、ついでだ」
 口ではそう言っているものの、綺麗に平らげたカレー皿を見れば、晴太としては大満足だ。

「……だって、青南高校カレーなんて言われたらさあ……」
「五時起きで学校来た甲斐があったわ」
「おま、っ、午後から演劇部あんの忘れてないよな? 寝るなよ?」
「大丈夫だよ、柚月の脚本だもん」
「ハードル上げんなよ」
「飛べる飛べる」
「ったく他人事だと思ってさ」
 大丈夫だと晴太は強く思う。柚月が毎日図書室で真剣に取り組んだあの脚本なら、きっと皆に伝わる。
「おれもさっさとメシ食ってくるわ。一時に講堂の前でどう?」
「おう、遅れんなよ」

 一時五分前に講堂の前へ到着。遅れるわけないだろう、だって柚月と待ち合わせているんだから。晴太の心拍数は上がりっぱなしだ。柚月はぴったりの時間に、いつものようにぶすっとした顔をしてやって来た。
 少し後ろの席に並んで座る。客席を見渡せば、なかなかの盛況ぶりだ。

「これ一応パンフレット」
「へぇ、ガチじゃん」
「文学部は冊子くらいなら作れるからな」
 受け取ったパンフレットには、着ぐるみの頭を抱えた女の子がぽつんと描かれている。
「この子が主人公?」
「そう。遊園地のアルバイトをするんだけど、いろいろトラブルが起こる」
「へぇ」
 ページをめくると、登場人物と配役、物語のあらすじ、そして最後のページにスタッフの名前が記載されていた。脚本、清沢柚月。
「柚月の名前載ってんじゃん、テンション上がるな」
「別に。スタッフは皆載ってるし」

 柚月の横顔を覗き見る。素っ気ない一言の奥に嬉しさが混じっているのを、晴太は聞き逃さなかった。おれの柚月センサーは、精度を増している。

 上演開始のブザーとともに、客席に静けさと暗がりが広がった。