晴太の撮った写真は、まだ見せてもらっていない。柚月は学校へ行く以外殆ど外に出ないくせになぜか酷い夏風邪を引いて、学校を一週間休む羽目になってしまったからだ。
 
 夏休みから二学期の始めまで、脚本に夢中で夜ふかしが過ぎたり、薄着のまま自室の机に何時間も向かっていたりと、体調管理がおざなりだったのは確かだ。
 人から頼られたことが嬉しかったのと、書き上げたものを喜んでもらえたこと。何より晴太に褒められたことが、柚月の心を駆り立てて止めることが出来なかった。
 その代わり、無理した分の手ごたえはあった。文化祭の次の舞台も清沢君に脚本を書いてほしい、と演劇部員から言われたのには正直嬉しかった。表情に乏しいと自負している自分が喜んでいることに、柚月本人が一番驚いている。

 そう言えば、晴太と喋るようになってから、笑うことが増えてきたような気がする。
 ようやく身体を起こせるようになった柚月は、部屋の姿見に自分の顔を映した。相変わらず血色の悪い顔だけれど、ほら頬のあたり。いつも強張っていた筋肉が、少し柔らかくなったような気がする。

 それと、ここのところあまり口にしていないあの口癖。
「別にいいけど」
 鏡に向かって、柚月はそっと声に出してみた。
 過集中で人付き合いの苦手な性格、そして考えごとをしていたくらいで転んでしまうくらいの運動能力のなさにはこれからも困らされると思うけれど、晴太と話すようになったら、別の意味で「別にいいや」と思えるようになった。

自分が夢中になれるもの、晴太が目を輝かせて「めちゃくちゃ面白いじゃん!」と言ってくれたおかげで、見つけられそうな気がしている。
 晴太に「本を書く人になりたいのか?」と聞かれた時、柚月は正直戸惑った。脚本を書いていた時は充実していたけれど、果たしてそれが自分の諦めたくないことなのかどうかは、分からなかった。
 俺は何をしたい? 鏡の向こうの自分が答えた。何かを書きたい。書くことを続けたい。ようやく血が通って動けるようになってきた俺の心が、そう言ってる。そうだろ?

「柚くーん、お友達が図書室の本を持ってきてくれてるんだけど」
 バタバタと慌てたように階段を上りながら、伯母さんが柚月の部屋に呼びかけた。
「入るわよ、ってあら、起きられるようになったのね。良かった」
「うん、寝てたらだいぶ良くなった」
「ね、今入江君て子が、柚くんが借りてた図書室の本、持ってきてくれたの。あなた、教室に置きっぱなしだったんじゃない?」
「あ、やべ」

 次の舞台の脚本は何を書こうと思って、何冊か借りていたのを忘れていた。
 だけど、どうして晴太が持ってきたんだ? てか同じクラスのやつでも俺の家なんか知らないのに、なんで晴太が。
「どうするの? 起きられるなら挨拶だけでもしなさいよ」
「うん、すぐ降りる。玄関で待っててもらって」
「分かったわ。だけどあんまり長話するんじゃないわよ」

 学校で着ている大きめのカーディガンを羽織って、もう一度姿見を覗く。よし、少しは顔色も良くなったみたいだ。ついでに寝癖のついた髪の毛を、手ぐしで直す。
 柚月は、心なしか早まったように感じる自分の胸を落ち着かせながら、ゆっくりと階段を降りた。