タオルで鼻を押さえながら、晴太は保健室へ向かっている。おれ鼻血出しすぎじゃね、と少々凹み気味だ。
 体育の授業はハンドボールの試合だった。前半終了間際、相手との競り合いでまともに敵の頭を食らった瞬間、(キーゼルなんだっけ)と柚月に言われた言葉が頭をよぎった。

「失礼しまーす……ってやっぱりいないっと」
「また晴太か」
「へっ?」
 カーテンの向こう側からぶっきらぼうな声がして、晴太はどきっとした。柚月の声だ。

「柚月? いんの?」
「いるから喋ってるんじゃん」
 不愛想を顔に貼り付けました、という表情の柚月がカーテンを開けて顔を出した。寝ていたのか、髪の毛に寝癖が少し付いている。

「わりい。また寝てるとこ邪魔した?」
「いや、調子良くなったから起きたところ」
「ならいいんだけど。ずっと寝てたのか?」
「サッカーしたらひっくり返っただけ。あ、保健の先生もうすぐ戻るぞ」

 柚月はベッドに腰掛けたまま、足を軽くぷらぷらさせている。一見ぶっきらぼうに見えるけれど、晴太への警戒を解いているのが見て取れた。

 夏休み後半から、ぽつぽつとではあるものの柚月と会話をするようになって、少しずつ分かってきたことがある。
 ぼそぼそとぶっきらぼうな喋り方は、別に怒っているわけではないということ。話すきっかけがあれば、意外とよく喋ること。言いかけた言葉を時々飲み込んでしまうこと。「別にいいけど」が口癖なこと。

 以前柚月に教えられた通りに止血をしながら、晴太は柚月の顔を見る。少しまだ顔色が悪いようにも見えるけれど、本人が大丈夫というのなら大丈夫なんだろう。

 転校してきてもこの調子じゃ、クラスにも溶け込めないままなんだろうか。柚月とこんなに喋ってるの、おれ以外にいるのかな。
 心配すると同時にのぼせた気持ちがせり上がって、晴太は驚いた。柚月への特別な気持ちが、どうも自分の中にあるみたいだ。
 一体どういう気持ちなんだ。柚月とこうして喋ることが特別だなんて。
 
「晴太のこと、思い出してたらさ」
 柚月の言葉に、晴太はまたどきっとした。
「え?」
 ほんの少しだけ柚月の表情が緩んでいて、晴太は胸のあたりがますます落ち着かない。
「写真だよ。いつ見せてくれんの、晴太の撮った写真」
 言ってたじゃん、夏休みに。それ思い出したらなんか気分良くなった。そんな風に言う柚月の声を聞きながら、晴太の心も一緒になって弾む。顔が少し熱い。
「い、いつでもいいよ。それより先生遅くね?」
 落ち着かない胸の内を誤魔化すように、柚月から視線を外す。わざとらしくドアの方を見たりして、何やってんだおれ。

 その時、授業の終わりを知らせるチャイムと共に、養護教諭が戻ってきた。
「ごめんごめん、清沢君調子どう? ってあれ、鼻血の子。また鼻血?」
「鼻血の子……ふっ」
「笑うなよ」
「おや、二人とも前から仲良かったっけ」
 まあ楽しそうで何より。先生は柚月と晴太の顔色を確認すると、来室カードに確認印を押した。
「大丈夫になったんなら、早く教室に戻りなさい」

 廊下を少し歩いたところに、二年生のクラスへ続く階段がある。
「柚月どうする? 教室戻る?」
「どうしようかな。晴太は?」
「実は喉が渇いててさ」
「お、偶然。俺も」
「……」
「……」
「ジュース、」「ジュース買いに」
 晴太と柚月の言葉が重なり、二人は顔を見合わせて笑った。
「学食行くか」
「おう」