テーブル越しに目が合った。僕に良く似た僕の父親と言う男に。

 彼は何度も「君を引き取りたい。」と連絡をしてきたが、僕には彼の記憶が全くない。母さんも彼のことを一度も話そうとしなかった。母さんと僕を捨てた男。だから、会うことを拒否してきた。

 話を聞く気になったのは彼が大学の受験に掛かる費用と大学の学費を全部出してくれると言ったからだ。その代わりに僕が彼の戸籍に入るということ。
 そうすれば、僕はあの人と他人になれる。弟ではなくなる。

 昼下がりの喫茶店、彼は戸惑いながら口を開く。
「君の力になりたいんだ。…もう、だいぶ、かなり遅くなってしまったけど。」
疑いの目で彼を見る。
「僕と美春(みはる)…。君のお母さんとの話を聞いて欲しい。

 彼女と出逢ったのは高校1年生の頃。彼女は大学1年生で塾の先生だった。

 僕らは恋に落ちて、同じ時間を過ごしたんだ。

 この喫茶店で時間も忘れて話し込んだりもしていたんだよ。

 高校生だったけど、彼女との未来を真剣に考えていた。彼女を幸せにしたいと、彼女のいない未来なんて想像出来なかった。

 だけど、高校卒業を控えた頃。突然、彼女と連絡が取れなくなった。周りの大人たちに訊いても、何も教えてくれない。聞かされるのはいつも、君の大事な将来の為に彼女のことは忘れなさい。とだけ。

 でも、必死に探した。何日も、…何年も。忘れようともしたけど、忘れることなんて出来なかった。」

 テーブル越しに目が合った、僕に良く似たその人は今にも泣きそうな目で。鏡越しの僕を見てるみたいだ。
 あの人が突然いなくなったら。…そんなこと考えたくもない。当時は僕と同じ年齢でどうすることも出来なかったのだろう、今の僕みたいに。ただただ、もどかしく、やるせない。

 「大人たちは僕に隠していた。美春の居場所も、何をしているかもね。でも、ある人がね、ある日、全部教えてくれたんだ。僕をずっと見ていて、居た堪れなくなったんだと思う。
 そして、やっと再会できた。君と初めて会った日に。」
 彼と初めて会った日は父さんと母さんの葬儀の日。僕が初めて見たのは彼が母さんの棺の前で泣き崩れる姿だった。
 どんな気持ちだっただろう。愛する人が、ずっと探し続けて、想い続けて。もう二度と会うことが出来ないと知った時、幸せにしたいと願った人が知らない誰かと家庭を持ち、幸せに暮らしていたと知ってしまったら。

「これは僕の罪滅ぼしでもあり、夢でもあるんだ。…君の父親になりたい。」

 彼の言葉で僕は決心がついた。
「分かりました。ただ、あなたに伝えておかないといけないことがあります。」

 彼にはちゃんと話そう、僕の父親には。彼は不安そうな顔で待つ。

 「僕は…。僕は、姉の青野清夏が好きです。あなたが母さんを好きだったように。彼女の側を離れたくない。だから、あなたの望むような息子にはなれないです。」
そう言うと彼は納得したような顔をして優しく笑った。
「分かった。今まで通り、君の家族と過ごして良いよ。戸籍は僕のところに入れてね。そしたら、君も自由になれるだろう。」
「お金は将来、働いて返します。」
「返さなくて良い。でも約束して欲しい。僕を父親だと思って。あの人ではなく僕を…」
そう言うと彼はフッと笑った。
「僕は偽善者だから。本当はね、美春に選ばれなかった僕が、美春に選ばれた彼から…愛された彼から、君を奪いたいだけかもしれないね。」
涙を流す彼に言う。
「…僕たちってやっぱり似てますね。僕も姉ちゃんの為って言っておきながら、結局はいつも自分の為にやってるんですよ。全部、…全部。
 あなたの息子になります。姉ちゃんの側にいる為に。」
「ありがとう。お姉さんには僕から上手く伝えておくよ。あと、時々で良いから僕と会ってくれないかな。こうやって一緒にコーヒーを飲んで、お母さんの話を聞かせて欲しい。僕の知らない彼女の話を。」
そう微笑む彼に疑いはなくなっていた。
「はい!」

 別れ際に約束をした。彼とあの人が直接話す機会を作ることを。

 彼は最後にこう言った。
「後悔をしないようにね。」

 去り行く背中を見ながら思った。優しい人だと。偽善者でも僕の力になりたいと願うあなたは充分、優しい人だ。

 僕らが他人になると伝えたらあの人を傷つける。それでも、僕は他人になりたい。他人になって、あの人の恋人になりたい。あの約束を叶える為に。

 あの人が傷つくならその傷は僕が治す。絶対に笑顔にするから、幸せにしたいから。彼のように後悔をしないように。

 僕らが他人になったら、僕の恋人になってくれるだろうか。こんな偽善者(うそつき)の隣に立って笑い合ってくれるだろうか。