待ち合わせは最寄り駅。ホームは家族連れやカップル、友人同士達で賑わっている。夏の終わりを知らせるように涼風が頬を撫でる。

 浴衣の着付けとヘアメイクのフルセットを予約して、私史上最高の状態で君を待っている。

 「ねえ。あの人、かっこよくない?」
近くにいる浴衣姿の女の子のグループがささやき合うように話している。
 ふと、視線を向けると。人の間を縫う様に君は笑顔で近づいて来ていた。周りの視線なんて気にも留めないで、ただ私にだけ向かって歩いてくる。
「お待たせ。」
鈍色の浴衣を着た君はいつもより大人びて見えて、どこか他人のように思えてしまう。
「夏空が浴衣着て来るなんて思ってなかった。」
「今日はデートだからさ、最高の想い出作りたいし。」

 でも、君は浴衣姿にいつものトートバッグ。
「何で浴衣にトートバッグ?」
そう尋ねると君は不思議そうな顔をして
「え?だって、これ姉ちゃんがくれた物だから。お気に入り、俺の宝物。」
偽りのない笑顔で言う。
「もう、大袈裟だなー。」

 私たちの会話を邪魔するように電車の到着を知らせるアナウンスが響く。辺りの空気を押し出すようにして突風を生み出し、ホームに電車が停車した。
「徒歩で行けるのに、なんで最寄駅に集合?」
不思議そうに訊ねる君の手を引いて稲森神社とは逆方向の電車に乗り込む。
「目的地は川嶋駅!稲森神社のお祭りだと知り合いに会っちゃうから。」
納得したように君は笑った。

 電車内は空席が目立つ。隣同士で席に座ると君が顔を近づけ、囁くように尋ねる。
「今日は恋人同士ってことでいいの?」
恥ずかしさを隠しながら、
「うん。今日だけ、今夜だけね。」
自分に言い聞かせるように言った。
「じゃあ、今日はPyonPyon送金禁止ね。あと、俺に遠慮するのも、姉でいることも。分かった?」
そう言って顔を覗き込んでくる。
「分かった、分かった。」
私は両手で顔を隠すようにして恥ずかしさを堪える。

 目的地の川嶋駅までは1時間程。車両内の人も増えてきた。
 手を繋いだカップルが目に入った。ふと、考える。私たちは周りからどのように見えているのだろうか。…恋人同士に見られてたら良いのにな。
 トンネル内を電車が駆け抜ける。車両の窓に映った笑い合うモノクロの私たちは紛れもなく恋人同士に見えた。

 電車が川嶋駅に到着し、車両の扉が開くと同時に改札口へ向かって人波に押し流される。
「清夏。手!」
君の手が私の手に触れ、逸れないように手を繋いだ。

 久しぶりに繋いだ君の手は暖かくて大きかった。

❖▓❖

 改札を抜け、人の流れが落ち着いてからも私たちは手を繋ぎながら歩いている。
 道の両側には色とりどりの屋台が立ち並ぶ。

 焼きそば。お好み焼き。射的。ヨーヨー釣り。

 ふと、フルーツ飴に目が止まった。氷のように透き通った飴は太陽の光で宝石みたいにキラキラと輝いている。
「フルーツ飴、食べたい?」
君が訊ねる。
「うん。苺飴が食べたい!」
 色とりどりのフルーツ飴の中で紅の苺は目を引く。フルーツ飴の屋台にはじゃんけんに勝ったら2本。あいこと負けは1本。の文字が。
「彼氏さんと彼女さんどっちが挑戦する?」
屋台のお兄さんが訊ねてきた。
「彼女が挑戦します。」
 君が小声で頑張って、と呟きながら優しく私を前に押し出す。
「じゃんけん…」

結果は。「…負けた。」

 1本の苺飴に苺が3粒。
「私、もう1本買ってくる。」
そう言い、屋台へと引き返す私の手を君が優しく掴み、引き寄せる。
「いいよ。半分こしよ。最初に清夏が食べて。」
君が苺飴を差し出す。1粒の苺を口にした。カリッとした飴の食感と苺の甘さが口に広がる。太陽の熱を含んだせいか、少し温かい。
「残りの2粒は夏空が食べて良いよ。」
「なんで?」
「だって夏空は弟だか…」
「彼氏でしょ。」
私の言葉を遮るように言う。
 君は嬉しそうに苺を1粒頬張ると私に最後の1粒を差し出す。
「今日だけは俺は清夏の彼氏だよ。」
「うん。」

 今日だけは。

 最後の1粒を口にする。愛しくて哀しい味がした。

🍓🍓🍓

 暮相が過ぎ、花火の上がる時間が近づく。

 空いている場所を見つけた君は、トートバックの中から小さなレジャーシートを取り出して芝生に敷いてくれた。そこに腰掛け、ふたりでまだ花火が上がらない夕闇の空を見上げる。茜色から青紫、灰色へと空はゆっくりと色を変え、夜は深まっていく。見える景色がモノクロに変わっていく。
「誕生日おめでとう。」
「ありがとう。最高の誕生日になったよ。」
 私がそう言うと君はリボンの付いた縦長の箱を取り出す。
「これ、誕生日プレゼント。」
 暗がりでよく見えないが綺麗に包装されている。
「開けて良い?」
「うん。」
 箱を開けると見覚えのあるネックレス。
「これって、夏空の彼女のプレゼント探しに行った時の。」

 ヒュー、バーン。

 最初の花火が打ち上がった。夜空に放たれた光でネックレスの宝石が虹色に輝く。
「俺、彼女なんていなかったよ。一度も。」
花火を眺めながら呟く君の横顔を色とりどりの光が染めては消えていく。
「え?」
「あの時は清夏の欲しいものを探しに行った。欲しいものいつも教えてくれないじゃん。」
「でも、こんなに高い物、駄目だよ。」
君にネックレスを返す。
「なんでいつも受け取ってくれないの?…俺を頼ってくれないの?俺が年下だから?弟だから?」
私を見つめて君は言う。
「俺は清夏に頼って欲しいし、喜んで欲しい。幸せにしたいっていつも思ってる。」
君がネックレスを私の首に着ける。
「明るい内に渡せば良かったね。すごい似合ってるよ。」
花火に照らされた君と目が合う。
「ありがとう。」
「これからはもっと俺を頼って欲しい。…弟としてで良いから。」
「うん。」
 君が明るい内に渡さなくて良かった。私が泣いていることを知られてしまうから。
 この花火が終わって家に帰ったら、私たちは姉弟に戻ってしまう。
 今だけしか。君の恋人でいられない。夜空を彩る花火は一瞬で儚く散ってしまう。まるで私たちの恋みたい。
 君の手を強く握り締めた。もう涙は君に隠せないくらい溢れている。君は何も言わずに私を肩に抱き寄せる。君の肩に顔を埋めて泣くのを堪えた。すると、君は泣き顔を隠す様に私を抱きしめた。
「花火が終わっても泣き止むまで俺ずっと待ってるから。落ち着いたら帰ろう。」
「…帰りたくない。帰ったら夏空が弟に戻っちゃう。」
子供のように泣きじゃくる私に君は困ったように言う。
「なんで清夏が泣くんだよ。…好きなのは俺だけでしょ。」
 そんなことはない。私はずっと前から初めて出逢ったあの日から、君のことが好きだ。
 言いたい、伝えたい。でも、絶対に知られてはいけない。
 そうやって、今日まで、今までずっと必死に隠してきたのだから。今更、伝えてしまったら君のことをもっと傷つけることになる。
 頬をひと雫の涙が伝う。想いも流れ落ちた。
「私もずっと夏空が好きなの。初めて会った日から。
でも、…でも。」
 顔を上げると君と目が合った。君は優しく笑った。
「やっと言ってくれたね。俺、清夏のこと全部分かるから大丈夫だよ。プレゼントのことも、俺の為だし。結婚出来ないのも、家族の為だし。
 これからは弟に戻るけど、俺ずっと清夏のこと好きだから。」
 夜空にはフィナーレのスターマインが打ち上がる。会場に観客の歓声が響く。

 ふたりの唇が重なる。

「「ずっと大好きだよ。」」

 私と同じタイミングで君の瞳から涙が零れた。

ーこうして私たちの恋は終わった。ー

 帰り道。最寄駅が近づくにつれてどちらからともなく繋いだ手は離れた。ゆっくりと姉弟に戻っていく。魔法が解けていく。
 改札を出たところで君に言う。

「夏空、先に帰って。一緒に帰ると変でしょ。」
「…うん。」

 少し歩いた後、君は振り返り、叫んだ。
「清夏!大好きだよ!」
「私も!大好き!」

「「またね。」」と笑顔で手を振り合う。
 上手く笑えてたかな?君の目に映る恋人としての最後の姿は幸せな笑顔でありたい。今日を想い出した時、悲しくならないように。
 小さくなっていく後ろ姿を見えなくなるまで見つめていた。恋人でいる君の姿を1秒でも長く、目に焼き付けたかった。

 化粧室に入り、メイクを直す。家族に泣いていたのがバレないように。
 鏡に写る私を見る。涙の跡を撫でた指先は首元へと下がっていき、君がくれたネックレスに触れた。

 このネックレスを身に着ける度に、この夜が決して幻ではなかったんだと思えるだろう。
 君と恋人でいられたこの夜の想い出を閉じ込めたように宝石はキラキラと輝く。

 「ただいまー!」
美桜と冬馬が駆け寄って来る。
「お帰り!楽しかった?…そのネックレス、彼氏に貰ったの!?」
 私はネックレスに触れながら、
「うん!最高のデートだったよ!一生の想い出になっちゃうくらい。お留守番してくれてありがとうね。」
ふたりに微笑みかける。
 部屋着に着替えて座っている君が目に入る。
「おかえり、姉ちゃん。」
少し寂しそうに、でもいつもと同じ様に呟く。
「…夏空、今日はどうだった?」
君に問いかける。
「最高の夜だったよ。」
「良かった。」
ふたりで笑い合った。何事もなかったかのように。
 
 本当にね。最高で最低な夜だね。