「あれ、お姉ちゃんの彼氏かな。」
美桜が指差して言った。
 塾の帰り道、美桜と家に向かって歩いていた。家の前には嬉しそうに笑うあの人と見知らぬ男。
「違くね、オッサンじゃん。」
冷たく言い放つ。前にも同じようなことがあった。

 僕がまだ小学生の頃。制服姿のあの人と話す同じ中学の制服を着た男子学生。
 それは3歳差の僕には叶わないことでお揃いを見せつけられたみたいで腹が立った。
 僕は邪魔をした。姉ちゃんがそいつを好きにならないように。

 今回は…どんな作戦を立よう。

◯◯◯

 偶然、上司と会った。家族想いな優しさは職場でも隠しきれていない。彼はただの上司だ。

 家に入るとすぐに美桜が帰って来た。
「ただいま!見たよ〜。さっきの彼氏?

 お姉ちゃんには誰よりも幸せになって欲しいから。高校辞めてから仕事ばっかりで、彼氏作らないんだもん!」

 前に聞かれたことがある。
「お姉ちゃんが恋愛しないのは私たちのせい?」
 その時は「恋愛よりも家族の方が大事だから。」と言った。本心だった。でも、美桜は悲しそうに涙を流した。
 私が望む恋愛は決して叶うことがないと知らずに。

「…で、どうなの〜?」
美桜なりの優しさや心配を感じた。また悲しませないように咄嗟に誤魔化す。
「さぁ、どうでしょう?」
(あど)けたように笑ってみせる。
「えー!そうなのー!」
嬉しそうに抱きついてくる美桜の後ろに気配を感じた。
「…姉ちゃんって、ああいうのがタイプなの?」
君に聞かれてしまった。

「…そうだよ!年上で自立してて、紳士的な大人の男性(ひと)!」
《歳下で守ってあげたくて、ちょっと反抗的なまだ高校生の君。》
私の理想とは真逆の人。
 冷たい目をした君に耐えきれず、嘘を吐いてしまった。

「ふーん。」
 君は乱暴にトートバックを机に置き、椅子にドンっと腰掛け気怠そうに頬杖をついた。
「良かったね。お姉ちゃん!気にしないで良いよ。お兄ちゃん、彼女いたことなくて悔しがってるだけだから。」
美桜が言うと
「俺、彼女いるよ。言ってなかったけど。」
「え?」
目の前が真っ暗になった。
 驚くことではない。君がモテないはずがない。でも、私はショックを隠せない。

 あの日の君を想い出す。あの約束を忘れてしまったのだろうか。もし、まだ好きでいてくれたら…。そんなこともう諦めたことなのに。願ってはいけないことなのに。微かな願いを込めて、君の目を見つめながら訊ねる。

「ねぇ、夏空の好きな人はどんな人?」
目は合わさないまま君は答える。
「…同級生で、髪が長くて、」
嘘を吐く時、君は目を合わせない。
 どうかこのまま目を合わせないで。そう思った瞬間、君と目が合った。
 さっきまでの冷たい目からは想像できない程、優しく、愛しい人を見つめる目で
「笑顔が優しい人。」
真っ直ぐに私を見つめる。君は嘘をついていない。私のことを好きな君はもういない。

 「そうなんだ。良かったね!ちょっと部屋で休むね。」
そう言って部屋に向かう。

 心のざわめきはどんどん大きくなる。嘘を吐いた代償はあまりにも大きかった。
 あんな嘘をつかなかったら、君に彼女が出来たことを知らずに済んだのに。
 ううん、違う。これは君との約束より私の居場所、家族の方を選んだことへの代償だ。自分の想いに嘘を吐き続けてきた代償だ。

 その夜、シャワーの音で隠しながら声を堪えて私は泣いた。