廃工場を出る。山の向こうから陽が差していた。朝日だ。これほどまでに太陽の光がありがたかったことはない。さっきまで再び日の光を浴びることが出来るなんて思ってもみなかった。

「朝だ」

 どういうわけか、涙が出てきた。

 こんな夜にも朝が来た。

 絶望と恐怖しかない、悪夢の夜が明けた。

 まったく、まさにトラウマだ。軽い気持ちで手を出した闇バイトでここまでひどい目に遭うなんて。

 もう真面目に働こう。二度とこんな思いはしたくない。たった数時間で、俺は心から真人間になろうと決意していた。

「夜が明けたわね」

 振り向くと、篠森レイがいた。忌々しそうに山間の光を眺めている。祓い師とやらはやはり夜型の人間なのだろうか。

 落ち着いたせいか、ふいに疑問が湧いてきた。

「あのバケモノは一体何だったんだ?」

「あれは私たちのいる世界から来た怪異というやつよ」

「あれが……」

 もしかしたら何人も何匹もいるのか。そんな言葉が脳裏をよぎったが言わなかった。言えば本当になってしまいそうで怖かった。

「安心して。あれは比較的ザコの怪異だから。本物の怪異に比べたらまだマシな方よ」

 俺の心を読んだレイが勝手に疑問へと答える。

「あんなのがまだいるのか」

「ええ、もちろんとんでもなく強力な奴もね」

「……」

 弱いとされている怪異であのレベルだと、強いレベルや最強レベルの怪異とやらはどうなるのか。それこそ国が亡ぶのではないか。そんな気がした。それに対抗出来るのは祓い師だけなのか。

「そうよ。だから私たちがいる」

「そうか。まあ、あんなのよりも強いのがいたら、そりゃあ祓い師も必要だよな」

 時間差でレイの言っていることが理解出来た気がする。

 パラレルワールドなんて荒唐無稽もいいところだが、あんなバケモノを見せられたら信じる以外にない。

 もう金輪際あんなバケモノには関わりたくない。そうだ、俺は平和に暮らしたいのだ。あんなのに構っていられるか。

 もう二度と、あんなバケモノには関わらないぞ。

 そう思っていると、レイが平坦な表情で固い決意に水を差す。

「それは出来ない相談ね。あんなバケモノを放置すれば日本は怪異で埋め尽くされてしまう。それを止めるのが私たちの役目よ」

「なんだ、その私『たち』って」

「あのバケモノを討伐するためには助けが必要なの。怪異とは闘えなくても、ドライバーぐらいは出来るでしょう?」

「運転ぐらい、君だって出来るだろう」

「仮免で落ちたわ」

「……」

 どうやら俺はとんでもないことに巻き込まれようとしているらしい。

 迫り来るゾンビ、そして怪異。あれらを思い出すだけで寒気がする。ただ生命の危機を感じるっていうだけじゃない。それ以上におぞましいものを感じた。

 またあんな目に遭えと?

「大丈夫よ。人はそう簡単に死にやしない」

 レイがこともなげに言う。バケモノを消し炭にしたくノ一が言うと説得力ゼロだ。

 ――嫌だと言ったら?

 口には出さず、心の中で呟く。

「あんた、死ぬわよ」

 ――細木か。

 どうやら俺に選択肢はないらしい。誰だ、人生には無限の可能性があるって言った奴は。道は一本しか無いじゃないか。

「まあいいじゃない。あのままクズで生きているぐらいなら、人類のために闘って死ぬ方が有意義でしょう」

 先ほどまで「人は簡単には死なない」と言っていた内容を簡単に覆すくノ一。目の前が暗くなった。

 ああ、これから俺は絶体絶命の旅に出るのか。

 イヤだ。マジでイヤだ。だが俺に選択肢などない。

「分かっているじゃない。物分かりの良い部下は嫌いじゃないわよ」

 レイは乗って来た車を見つけると、勝手にドアを開けて助手席に座った。顎で運転しろと指示している。

 溜め息を吐きたくなるが、泣き言も言っていられない。

 これから先にはまだ見ぬ敵が待っている。それも、さっきのバケモノよりもさらに想像を絶するバケモノが待っていると見える。絶望しかないが、どちらにせよ生き抜くためには奴らを倒すしかない。

「出して。道は私が教えるから」

 溜め息を堪えて、イグニッションキーを回す。これから死のドライブだ。

 山間から差す陽の光が眩しい。悪いものを浄化してくれそうな光だった。いや、出来るなら本当にすべてを浄化してくれ、頼むから。

 朝日に照らされる道。光の道にも見える道路を走る。

 助手席をチラ見すると、レイは腕組みをしたまま目を閉じていた。寝ているようだった。どうやって目的に着けばいいのか、俺は知らない。

 当てのない旅。終わりなき旅。出来ればバックレたい。だが、それは叶わない。これからどこへ行けばいい? 神らしき何かに訊くも、答えは得られなかった。

 ――さあ、俺たちの闘いははじまったばかりだ。

 打ち切りマンガでよく使われるセリフ。

 それは誰に聞かれることもなく、朝の空気へと溶けていった。

   【了】