* * *


「失礼しました」

 パタンと、職員室のドアを閉める。
 担当の先生は不在で、全部の欄を埋めた課題プリントは先生の机の上に置いておいた。
 相変わらず誰もいない廊下。
 静かなその空間をぼーっと歩けば、やっぱり先程の出来事が思い浮かんでくる。

『……誰にも言うなよ』

 そう言った声雨宮のものとは思えないくらい、弱々しいものだった。
 ムカつく奴だけど、涙なんて見てしまったら、さすがに気になってしまうし、心配だと思ってしまう。
 ぎゅうっと締め付けられるような、ざわざわと落ち着きのないような。言い表すことのできない感情が胸を渦巻く。

 ぶつかったのが、そんなに痛かった?
 それとも何かあったのかな。……泣くほどのことって、何?

 下駄箱にたどり着くと、ローファーを地面に落とす。
 するとふいに、脳裏に和佳の言葉が思い浮かんだ。

『雨宮ね、重度の女嫌いらしいよ』

 私が原因………?もしかしたら泣くほど女に触れるのが嫌、とか?
 ……いやいや、そんなまさか。

 関係ない、関係ない……。そう自分に言い聞かせるけれど、なんだか心には霧がかかっていて。
 先程の映像が頭の中で再生されるたびに、それはさらに色濃いグレーになっていく。
 モヤモヤを吹き飛ばそうと激しく首を振ってみても、そんなんじゃ吹き飛んでくれるわけがない。

「……はぁ」

 今日何度目かのため息を吐いた。
 もし、私が泣かせてしまったんだとしたら……どうしよう。
 雨宮のことは空気だと思う。そう決めたところだったのに。
 悩みの種とは、尽きないものだ。

「雨宮のバカヤロウ……」

 私は力なく、ローファーに足を、捻じ込んだ。


* * *


「そろそろ王子の素顔見たくなーい?」

 体育終わりの昼休み。教室には先に授業が終わった女子だけしかおらず、男子はまだいない。
 そこで机に座ったクラスの一人が言い出した。

 王子とはアイツのことだろう。チャラメガネ王子こと、雨宮蓮衣。
 ……つくづく微妙なニックネームだ。ざまあみろ。
 その提案に周りの女子たちは、きゃっきゃと盛り上がる。

「見たい見たーい!」
「前頼んだんだけど無視されたんだよね…」
「王子様のご尊顔、メガネなしで拝みたいわ〜」

 そんな様子を、私はリボンを装着しながら横目で見る。

 なんか変なノリ始まってんなぁ……。

 やはり雨宮は"王子"と呼ばれるだけあって、女子には人気があるようだ。
 くやしいけれど、たしかに顔はとてつもなく整っているから人気なのはまぁ頷ける。それだけは、認めざるを得ない。

「雨宮くんがメガネ外したところ誰も見たことないんだもんね〜」

 ビクッ──クラスメイトが漏らした言葉に、私は肩を揺らした。

 ……見ちゃったんですけど、私。
 昨日から何度思い出したかわからない、メガネが外れた雨宮の素顔を思い浮かべる。
 ツンと尖った鼻先、控えめで血色のいい唇、白くて透けそうな肌。ばっちり二重の大きい目、不思議な色の瞳。
 まさに、王子様が絵本から出てきたような顔だった。

 ……王子の素顔を見ただけだったのなら、よかったのに。

 ”じわっ……ぽとり。”

 なんで涙なんか見てしまったんだろ……。
 お陰様で昨日はなかなか寝付けなくて。やっとのことで寝て、起きて。
 一日経てばあの出来事のこと、吹っ切れるかなと思っていたけれど、モヤモヤは少しも小さくなっていなかった。

 私は脱いだ体操服を畳みながら、女子たちの会話に耳を傾ける。

「頼んでもどうせまた無視だし〜。……力尽くしかないんじゃん?」
「ウケる!!」
「ジャン負け行こうよ」
「こっわ(笑)」

 ……なんだか物騒な方向に話、進んでない?
 私は思わず眉間に皺を寄せる。

「私カメラ係する〜証拠は収めないとね♪」
「よし任せた!」

 ……もうこれは、止められないパターン。